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第四話

 二度目の入学式は、一年前のそれよりもずっと、空気中の魔力が色鮮やかに感じられた。

 エーレン・ホーソーンは、名実ともに「先輩」となったのだ。


 この一年間で、周囲との関係にもささやかな変化があった。

 当初はあれほど距離を置いていたフェイが、いつのまにか「エーレン」と呼び捨てるようになっていた。

 相変わらず本心は見えないものの、餌付けと勉強の甲斐あって、少なくとも「放っておけない悪友」程度の地位は築けたはずだ。


 式典は無事に終わり、学生寮の談話室は新入生を歓迎するパーティの熱気に包まれている。

 天井からは魔法で生み出された光の粒が雪のように降り注ぎ、長机には色とりどりの果物や焼きたての菓子が並んでいる。バニラとスパイス、そして大勢の人間が発する熱気が混ざり合い、やんわりと鼻腔を刺激した。


「――ねぇねぇ、今年の入学生、例年以上に家柄のいい子が多いって噂よ」


 ビーシアが、皿に乗せた小さなタルトを突きながら、いつもの調子で耳打ちしてくる。


「騎士の家系の三男坊とか、隣国から来た留学生とか……眼福だわ。まさに収穫祭!」


 シーラもまた、人混みの向こう側にいる美少年たちを値踏みするように目を細めていた。

 エーレンは壁際の椅子に深く腰かけ、友人たちの他愛もないお喋りに「そうね」と適当な相槌を打つ。人混みを嫌うフェイは、案の定、自室に引きこもっているのだろう。姿は見当たらない。


 ふと、エーレンの視線が、談話室の入り口近くで立ち往生している一人の少女に止まった。

 赤茶色のミディアムヘアに、青紫色の大きな瞳。周囲の華やかな貴族令嬢たちに比べれば、その装いは控えめで、一見するとどこにでもいる「平民の少女」だ。けれど、エーレンの目には、彼女の存在だけが異質な光を放っているように見えた。


(間違いない。彼女が『ソニア・グリーナウェイ』。原作のヒロインだわ)


 前世で何度も眺めた画面のなかの立ち絵よりも、ずっと鮮明で、体温を持った「本物」がそこにいる。これまでは、あくまで「前日譚」だった。けれど今日、この瞬間から本当の物語が幕を開けるのだ。


 談話室を埋め尽くす熱気にあてられ、エーレンの頬はわずかに上気していたが、その意識は鋭いセンサーとなって、周囲をつぶさに監視していた。


(……来たわね)


 談話室の入り口。喧騒の隙間を縫うようにして静かに、かつ圧倒的な存在感を伴って現れた男子生徒。デニアス・グレイ。

 魔法の灯火を浴びて鈍く光る金の髪に、彫刻のように整った美貌。彼は新入生の様子を観察するように、ゆっくりと視線を巡らせている。原作どおり、予定時刻を少し過ぎての登場だ。


 エーレンは嬉しそうに喉の奥を鳴らした。このチャンスを逃す手はない。すぐ近くのテーブルでは、ソニアが緊張した面持ちでフルーツゼリーが乗った皿に手を伸ばそうとしている。

 エーレンは、ひそひそ声でありながらも、ソニアの耳に確実に届くボリュームで口火を切った。


「見て! あそこ、デニアス様がいらしたわよ!」


 その言葉に、ビーシアとシーラが瞬時に食いつく。彼女たちは訓練されたモブのように、完璧なタイミングでデニアスの方向へと顔を向けた。


「嘘っ!? デニアス様、こういうパーティにはあまり出席しない人だと思っていたわ」

「本当ね……。もしかして、今年の新入生にどなたかお知り合いでもいるのかしら」


 二人の自然な驚きと関心が、談話室の空気を微妙に変化させる。これこそが、群衆が生み出す舞台の空気だ。


(そうそう、これよ! こういうのがやりたかったのよ!)


 エーレンは、心の中で力強くガッツポーズを作った。

 自分たちモブが発信した噂が波紋のように広がり、ヒロインであるソニアの視線をデニアスへと誘導する。こうして物語の歯車が噛み合う「装置(ギミック)」を自身で作り上げることの、なんと甘美なことか。エーレンにとっては、どんな菓子よりも上質なものに感じられた。


 ちらりとソニアの横顔を伺うと、彼女はデニアスの姿に息を呑み、その手を止めていた。

 主役たちが無意識に惹かれ合うための役割を完璧に果たし、エーレンは口元を緩めた。



 学生寮での歓迎パーティから一夜明けると、校内にはいつもの日常が戻っていた。


 放課後の食堂、西日に照らされた暖かな空気のなか、エーレンとフェイはいつものように、最も目立たない隅っこのテーブル席に陣取っていた。


 エーレンはモブチートを発動させ、周囲の視線をゆるやかに逸らしている。すでに少なめの夕食を済ませたエーレンは、お気に入りの紅茶を優雅に飲んでいる。

 対面のフェイはといえば、皿の上に山盛りにされた生クリームたっぷりのプリンを、幸せそうに攻略している最中だ。


「……ほら、あそこでトレーを持って右往左往している子。あの子こそが、この物語のヒロイン、ソニア・グリーナウェイよ」


 エーレンはティーカップの縁から、そっと視線を飛ばした。

 視線の先では、新入生のソニアが、初めて利用する食堂の複雑な動線に翻弄されていた。平民出身の彼女にとって、この広大で騒がしい食堂は、さながら迷宮のように見えているに違いない。


 そこへ、背後から一人の美形男子生徒が近づいた。彼は困り果てたソニアに優しく声をかけ、そっとトレーを支えて案内を始める。逆光に縁取られたその光景は、一枚の絵画のように美しい。


(ああ、尊い! これこそ、乙女ゲームの醍醐味だわ!)


 攻略対象の誰かが、迷えるヒロインを救う。そんな様式美を特等席で眺める喜びに、エーレンは身悶えた。

 隣のフェイにこの熱量を語ったところで何も響かないことは、この一年の経験で嫌というほど理解した。ゆえに、エーレンは黙ってその輝きを瞳に焼き付けた。


 フェイはプリンを一口運ぶと、興味なさげにソニアを一瞥した。


「ふーん。俺には、どこにでもいる普通っぽい女の子に見えますけど。そんなに騒ぐほどのことですか?」

「やれやれ……相変わらずわかってないわね。その『普通っぽさ』こそが、物語を動かす最強の武器なのよ。彼女が中心に座ることで、周囲の星たちがより一層際立つの」


 エーレンは芝居がかった仕草で首を振った。フェイは慣れた様子で、その熱意を軽く受け流す。


「ところで、フェイ。あなた、どうして昨日のパーティに出てこなかったの?」


 唐突な問いに、スプーンを口に運ぼうとしたフェイの手がぴたりと止まった。彼はわずかに視線を泳がせ、気まずそうに声を落とす。


「……強制参加、とは言われてなかったはずです。俺だって、エーレンの言うことを真に受けて、何でもかんでも従うわけじゃないんですよ。昨日みたいな騒がしい場所は、俺の性分じゃありません」


 不貞腐れたような、それでいてどこか反抗的な物言い。それは、かつての「臆病な人見知り」から、「気心の知れた相手への甘え」へと変化した証拠なのかもしれない。エーレンはあくまで好意的に受け止めつつ、わざとらしく深い溜息をついてみせた。


「それはそうね。あなたの自由だわ。……でも、残念。昨日のパーティ、あなたの好きそうな地元の高級クリームを使った特製スイーツがあったのに。鮮度が命だからって、持ち帰りは厳禁だったのよね」

「と、特製……クリーム……?」


 一瞬にして、フェイの表情が凍りついた。その瞳がこれ以上ないほど大きく見開かれる。


「あなたには私からは見えない、攻略キャラたちの動向を探ってほしかったのだけど。……まぁ、無理にとは言わないわ」


 エーレンは懐から、二枚の小さな紙切れを取り出した。そして、フェイの目の前でひらひらと、誘惑するように揺らしてみせる。


「あーあ、せっかく入手できた、街で大人気の菓子屋の新作ケーキ引換券。……これ、行列に並ばないと手に入らない貴重品だったのに、一人で食べに行くしかないのかしらね?」


 フェイの視線が、獲物を狙う猛禽類のように引換券へ釘付けになった。彼は「ぐぬぬ」と悔しそうに喉を鳴らし、しばし葛藤していた。

 そして、引換券を揺らしていたエーレンの手首を、むんずと掴んだ。その力強さに、エーレンの橙色の瞳が驚きに瞬く。


「……その攻略キャラ、でしたっけ? そいつらを監視して、逐一報告するくらい、俺にだってできます。いや、やってみせますよ!」


 珍しく声を張り上げたフェイの顔は、真剣そのものだった。エーレンは、計画通りに進んだ充足感に、にっこりと上機嫌な笑みを浮かべた。


「そう? それは心強いわ。じゃあ、約束ね。次の週末は一緒に新作ケーキを食べに行きましょう」


 夕闇が迫る食堂の片隅で、二人の協力関係はより一層強固なものへと塗り替えられていった。


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