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第三話

 柔らかな春の光が、黄金色の魔導樹の葉を透かしてベンチに斑な影を落としている。昨日までの曇天が嘘のような、穏やかな昼下がりだ。

 エーレンは、自らの隣で黙々と口を動かしている男子生徒――フェイをじっと見つめていた。


 彼の細い指先が掴んでいるのは、エーレンが食堂で買い込んできた厚切りのカツサンドだ。ソースの香ばしい匂いが辺りに漂い、パンを咀嚼する小さな音が耳に届く。


 ――『フェイ・トムレイン』、不思議な同級生。

 改めて観察しても、その容姿に華やかさは欠片もなかった。灰みがかった水色の髪は目立たず、三白眼気味の瞳はいつもどこか遠くを眺めていて、他人を寄せ付けない。

 並外れた魔力を持ちながら、それを誇示するでもなく、澄んだ空気のように存在している。一人を好み、自分の内側を頑なに明かそうとしないその徹底した隠者ぶりは、エーレンが求める「理想のモブ」そのものだ。


 もっとも、今の彼は「謎の協力関係」を結んだばかりの相手に対し、警戒心を隠しきれていない。丁寧な物腰ではあるが、座る位置はベンチの端と端。物理的な距離以上に、心理的な壁がそびえ立っているのがわかる。

 その壁を崩すための第一段階が、この「餌付け」である。


「お口に合ったかしら?」


 エーレンの問いかけに、フェイは最後の一切れを飲み込み、小さく頷いた。


「……はい。美味しいです。ありがとうございます」


 袋一杯に詰めてあった軽食は、ものの数分で彼の胃袋へと消えていた。特に、デザート代わりに買っておいた生クリームたっぷりのコロネは、驚くほどの早さでなくなっていた。どうやらフェイは、かなりの甘党であるらしい。


「満足してもらえたみたいでよかったわ。それじゃあ、食後のお茶にしましょうか」


 エーレンは鞄から、魔法によって保温された銀のティーポットを取り出した。蓋を開けた瞬間、爽やかな柑橘の香りが漂い、春の風に乗って鼻腔をくすぐる。

 手慣れた手つきで、予備のカップに琥珀色の液体を注ぎ、フェイへと差し出した。


「どうぞ、紅茶よ。少し濃いめに淹れてあるわ」

「いただきます」


 フェイは、温かなカップを両手で包み込むようにして受け取った。湯気の向こう側で、彼の強張っていた肩の力が少しだけ抜けたように見えた。

 エーレンも自分のカップを口に運び、喉を潤す。爽やかな香りが脳を刺激し、思考が研ぎ澄まされていく。


「お腹も膨らんだところで……これからの活動の目的と、具体的な作戦の説明をさせてもらうわね」


 フェイの動きが止まった。彼はカップを持ったまま、怪訝そうに眉を寄せる。


「昨日も言っていた、モブ……活動でしたっけ。正直、まだ何のことやらさっぱりなんですけど」

「ゆっくり教えてあげるから安心して。――まず、この学校には、大きく分けて二種類の人間がいるのよ」


 エーレンはカップを膝の上に置き、真剣な眼差しを向けた。


「一人は、世界に愛され、物語を動かす中心人物。私が『星』と呼んでいる主役級の人たちよ。そしてもう一人は、その星たちが輝くための背景……広大で静かな『夜空』を構成する脇役たち。つまり、私たちを含む群衆のことね」


 エーレンは、前世でプレイした『ステラ・メモリア』の壮大な筋書きを頭に思い描きながら、言葉を継いだ。


「星がどれほど強く光っても、背景が真っ白じゃ誰もその輝きに気づかない。暗く、深く、完璧に整えられた夜空があって初めて、星は唯一無二の光になれるの。私の目的は、このミラエナ魔法学校という舞台で、完璧な夜空を演じきることよ」


 星どころか雲ひとつない青空を見上げ、すらすらと語るエーレンを、フェイはじっと見つめていた。その瞳には困惑を通り越して、ある種の畏怖すら混じっている。


「あの……すみません。やっぱり一言も理解できません」

「いいのよ、今はまだ。これから実践を通して、じっくり叩き込んであげるから」


 エーレンは、当惑するフェイの反応さえも楽しむように、優雅に微笑んだ。


 カップに残った紅茶が、風に吹かれて小さなさざ波を立てている。フェイは困惑を隠しきれない様子で、琥珀色の水面を見つめたまま呟く。


「とりあえず、君の言う『星』と『夜空』の関係は、理屈としては理解できました。でも、あえて活動と称してまで動く意義が分かりません。星であれば、周りがどうあろうと勝手に輝くものでしょう?」

「ふふ……甘いわね。例えをさらに増やすなら、私たちモブは役者を適切な位置へ導く『舞台装置』。あるいは、主役を際立たせるための『ぼやけた背景』ってところかしら。目立たないけれど、なくてはならない存在なのよ」


 エーレンの熱を帯びた補足を聞いても、フェイはさらに深く首を傾げるばかりだ。


「……ますます、わかりません。君自身は、その星になりたいとは思わないんですか? 装置だの背景だの……どれも見返りのない、損な役回りじゃないですか」


 フェイの真っ当な問いを聞いて、エーレンは思わずけらけらと笑い声を上げた。


「まぁ、普通の生徒諸君はそう思うでしょうね。華やかなスポットライトを浴びて、誰かに愛される主役になりたいって。でも、前世の記憶がある私は違うわ。私は、完成された物語を最前列で鑑賞できる上に、その物語の一部になれることを知っているの。こんな機会、逃すわけがないでしょう」


 そう言って、エーレンは勢いよくベンチから立ち上がった。あまりの勢いに、隣にいたフェイがびくりと肩を震わせる。


「それじゃ、さっそくモブ演技の練習をしましょう。まずは、一番ベタなシチュエーションから……そうね、『逆ナン』で行きましょうか!」

「え、それは俺も参加させられるんですか? 演技なんてやったことないですし、そもそも、ギャクナンって何ですか?」

「雰囲気を理解してもらうためのものだから、テキトーでいいわ。要は、見知らぬ異性に声をかけられたときの『その他大勢』としての振る舞いよ」


 困惑して固まっているフェイを放置したまま、エーレンは深く息を吸い込んだ。

 胸いっぱいに春の空気を溜め、思考を「普遍的な女子生徒」へと切り替える。彼女の橙色の瞳から、先ほどまでの熱が引き、代わりに無機質な光が宿った。


 頭上を渡る風が、魔導樹の乾いた葉を揺らしてカサカサと鳴り響いている。エーレンはベンチから数歩離れた位置に立ち、真剣な面持ちでフェイに向き直った。


「設定を説明するわよ。これは前世の物語では『王道』とされるシチュエーションの一つ。ヒロインとの待ち合わせをしている美形キャラを、そうとは知らないモブ女子がナンパする。けれど、美形キャラは彼女を一瞥もせずに冷たくあしらう……。これによって、主役の美貌と一途さが強調されるわけ。わかる?」

「一ミリもわかりません。というか、俺がその、美形……の代役なんですか?」


 フェイは所在なげに、残った紅茶のカップを両手で弄んでいる。


「雰囲気だけでも掴んでほしいの。こういうのは形から入るのが一番よ」


 エーレンはそう言うと、意識のスイッチを切り替えた。

 顔の前で手をかざしてモブチートを微調整し、自分の輪郭をさらに曖昧にする。それは「隠れる」のではなく「背景の一部として埋もれる」感覚だ。

 それから、はにかむように頬をわずかに上気させ、内股気味にフェイへと歩み寄った。


「あの……そこのお兄さん。今、お一人ですか? もしよろしければ、一緒にご飯、行きませんか?」


 上目遣いで、もじもじと指を絡ませる。自分でも驚くほどの、完璧なモブ女子の演技だ。

 一方のフェイは、目を丸くして固まっていた。だが、数秒の沈黙と思案ののち、素っ頓狂な声を上げた。


「はい? ご飯ですか? ……あ、そうだ。俺、駅前の通りに新しくできたお菓子屋の、ホイップたっぷりのパンケーキが食べたいんですよ。いいんですか、今から?」

「ちょっとぉ! ナンパにホイホイついていこうとしないで!?」


 エーレンはすぐさま演技を止めて、こめかみを押さえながら叫んだ。


「……だって、ご飯って。おごりなんじゃないんですか?」

「おごるけど、今はそうじゃないの! 食欲は一旦抑えて! ……いい? 設定ではすぐ近くにヒロインが隠れて見てるっていう、ここぞって感じの状況なんだから!」

「はぁ。ところで、そのヒロインっていうのは、どこの誰なんですか。君のこと?」


 フェイが不思議そうにエーレンを覗き込む。エーレンはげんなりした表情で、両手を使って大きなバツ印を作った。


「残念ながら私じゃないわ。来年になれば分かることよ。……話を戻して。モブ女子に声をかけられたら、あなたはヒロインのいる方向へチラリと目配せしてから、私に向かってこう言い放つの。『彼女、待たせてるんで』って。冷たく、かつスマートに言うのよ」

「なぜですか? そもそも、これは誰が誰と交際してる設定なんです?」

「もーっ! これは方便なの! しつこいモブ女子を牽制しつつ、物陰で見てるヒロインをドキッとさせるための、高等テクニックなのよ!?」

「へぇー……美形キャラっていうのは、大変な役なんですね」


 フェイは心底どうでもよさそうに、空になったカップをベンチに置いた。


「はぁ……あなた、メインキャラみたいなキザな演技、絶望的に向いてないわね。やっぱり、根っからのモブだわ」

「そっちの設定が意味不明なせいですよ。まぁ、俺はご飯が食べられるなら何でもいいですけど」


 呆れ果てたエーレンと、どこまでもマイペースなフェイ。

 春の柔らかな日差しの下、噛み合わない二人の会話だけが、並木道に響いていた。



 結局、あの日の奇妙な「逆ナン」こと茶番を皮切りに、魔導樹の並木道は二人の定位置となった。

 放課後になると、エーレンが食堂で調達した軽食を広げ、それを報酬にフェイを無理やり机に向かわせる。それが二人の日常になった。


「ほらフェイ、この魔法陣の等価交換の法則、次の試験に出るわよ。ただでさえ出席日数が危ういんだから、ここを落としたら次はないわよ」

「……う。努力はしてみます。……でも、その前にパンケーキ、もう一枚だけ食べていいですか?」


 そんなやり取りを幾度となく繰り返し、エーレンはフェイを教室へと引きずり出した。

 おかげで、フェイの壊滅的だった授業態度は、どうにか「影の薄い不真面目な生徒」から「影の薄い普通の生徒」へと改善されていった。


 とはいえ、フェイが自らの過去や、入学までの経緯を語ることはなかった。エーレンもまた、あえて深く踏み込むような真似はしなかった。適度な距離感こそが、よきモブ仲間の秘訣だと心得ていたからだ。


 時折、校内の空気に息が詰まると、二人は休日に郊外の喫茶店へと足を延ばした。

 使い込まれた木製のテーブル、焙煎された豆の香ばしい匂い。エーレンが費用を支払う代わりに、フェイは山盛りの生クリームが載ったパフェや、濃厚なチョコレートケーキを端から平らげていく。


 甘いものに目がないフェイが、一心不乱に食事をする様子を眺めながら、エーレンは紅茶をすする。

 この何でもない時間が、意外にエーレンにとっても心地よいものになっていた。


 そうこうしているうちに、ミラエナ魔法学校の庭に再び春の足音が聞こえてきた。魔導樹が新しい芽を吹き、一学年上の先輩たちが卒業していく。

 エーレンは無事に二年生へと進級し、フェイもまた、首の皮一枚つながった成績で留年を回避できた。

 そして。


「――いよいよ、ね」

 寮の窓から新入生たちの列を眺め、エーレンは武者震いとともに喉を鳴らした。


 原作ゲーム『ステラ・メモリア』の幕が上がるとき。ヒロインの入学、そして運命の歯車が回り出す本編の開始時期が、すぐそこまで迫っていた。

 隣で欠伸を噛み殺し、眠たそうに目をこすっているフェイ。彼は相変わらず、世界の命運などどこ吹く風といった様子で、制服のネクタイを緩めている。


(さあ、最高の『夜空』を演じてみせようじゃないの)


 エーレンは、期待と少しの緊張を紅茶の最後の一口で飲み下すと、不敵に口角を上げた。


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