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第二話

 入学式から一月ほどが過ぎ、校庭の木々が鮮やかな深緑へと着替えを済ませる頃。

 ミラエナ魔法学校での生活は、エーレンが想像していたよりもずっと平穏で、厄介な問題に満ちていた。


 講義中や移動の時間、エーレンの視線は常に周囲の生徒たちを、獲物を狙う鷹のように鋭く観察していた。ノートを取るふりをしては斜め後ろの席の男子生徒の横顔を検分し、廊下ですれ違う集団の「モブ()」を瞬時に測定する日々だ。

 時折、食堂で顔を合わせるビーシアとシーラからは、絶えることなく情報が流れ込んでくる。


「授業中ずっと居眠りしているのに実技は満点っていう、とんでもない変わり者がいるらしいわよ」

「購買部のアイス、特定の時間にしか現れない限定フレーバーがあるんですって」


 そんな真偽の定かではない噂話に愛想よく相槌を打ちながらも、エーレンは心のなかで小さな溜息をついた。


(どれも面白いけど、今は違うのよ! 私が求めているのは、そんなキャラの立ったエピソードじゃないの)


 エーレンが求める「協力者」の条件は明確だった。

 原作ゲームの主要キャラと接点がなく、見た目が極めて平凡で、かつ自分と同学年の男子生徒。


 しかし、いざ探し始めてみると、これが絶望的なまでに難しい。

 この世界が乙女ゲームの舞台だからなのか、あるいはこの魔法学校が高い倍率を勝ち抜いた者たちの集まりだからか、どの生徒も無駄に顔立ちが整い、立ち振る舞いに育ちのよさがにじみ出ている。


 さらに、昨晩の自己反省によって、条件はより厳しいものへと更新されていた。


(私の協力者になってもらうからには、モブという概念を理解させる必要がある。前世の記憶やゲームの知識を打ち明けても、怯えたりドン引きしたりせずに受け入れてくれる……そんな度量の広い、あるいは思考回路が特殊な人じゃないと駄目ね)


 自分で自分の首を絞めている、と思ってはいる。そんな都合のいい人間が、果たしてこの広大な校内に存在するのだろうか。

 思考は堂々巡りに入り、エーレンは重くなった足取りで、あてもなく廊下を歩く。


 ふと気がつけば、学生たちによる活気ある声は遠のき、周囲から人の気配が消えていた。


「あら……ここはどこかしら。初めて来た場所ね」


 運動場の脇を通り抜け、古い校舎の裏手に出たようだった。

 エーレンは鞄から、羊皮紙にインクで書かれた簡素な学内地図を取り出した。しかし、そこには主要な施設の位置しか記されておらず、自分の近くにそびえる、蔦に覆われた古い石造りの塔については、何の記載もなかった。


 入学時の案内で、年配の教師が「本校は歴史が深く、迷路になっている場所も多い。新入生は安易に裏道に入らぬよう」と忠告していたのを思い出す。

 喉の奥がわずかに乾き、不安が胸をよぎる。ビーシアから聞いた「持ち主を探して彷徨う杖」の怪談話が、冷たい風となって背筋を撫でた。


 それでも、エーレンは足を止めなかった。むしろ、ひとけのない静寂のなかにこそ、探し求める存在が隠れているのではないか、とすら考えていた。

 エーレンは地図を丸めて鞄に突っ込むと、湿った土と古い石の匂いが漂う小道の先へと踏み出した。



 石畳の道はいつしか途切れ、足下は柔らかな腐葉土へと変わっていく。

 視界を埋め尽くすのは、天を突くほどに背の高い木々の列だ。イチョウに似た鮮やかな黄色の葉が、風に吹かれてカサカサと乾いた音を立てている。


 これらはただの樹木ではない。大気中の魔力を吸い上げ、その枝葉に蓄える特性を持つ、この世界特有の魔導樹だ。

 この一帯に立ち込める、肺の奥がわずかに痺れる独特の空気感は、ここが学内でも有数の高魔力地帯であることの証左だった。


 エーレンは、自らのモブチートを無意識に発動させながら、警戒を緩めずに進んだ。

 そんな静寂の支配する並木道の片隅に、人や時間の流れに取り残されたような古ぼけたベンチが据えられていた。


「ひっ……!」


 視線が止まり、エーレンは危うく悲鳴を上げそうになった。慌てて両手で口元を覆い、その場で固まる。


 ベンチの上には、一人の人間が仰向けに寝そべっていた。

 微動だにせず、灰色の石像のように横たわる姿。最悪の想像が頭をよぎり、エーレンの指先が冷たくなる。しかし、必死に目を凝らせば、黒い制服の胸元が規則正しく上下しているのが分かった。


「し……死んでない。寝てるだけ、よね?」


 喉の奥で呟いて、ゆっくりと肩の力を抜く。そして、おそるおそる、柔らかな土を踏みしめて近づいた。


 そこに横たわっていたのは、一人の男子生徒だった。

 灰みがかった水色の髪は少し乱れ、その下にある顔立ちは驚くほど「普通」に見えた。無防備に閉じられた瞼の端や、薄い唇の輪郭には、どこか小動物的な愛らしさが宿っている。

 エーレンは、彼の首元で揺れるネクタイの縞模様を注視した。


「私と同じ……一年生?」


 斜めに入った黄色のライン。自分と同じ学年に、これほど存在感の希薄な男子生徒がいただろうか。


 ふと、肌を刺すような春の冷風が吹き抜けた。厚手のローブを羽織っているエーレンでも、身震いする寒さだ。それなのに、目の前の彼は毛布一枚かけず、安らかな顔で微睡んでいる。

 不審に思って、彼の体から少し離れた空間にそっと手をかざしてみた。手のひらに触れたのは、じんわりとした温もりだった。


(彼、魔力で暖を取っているんだわ。それも、呼吸をするように自然な動作で……)


 エーレンの記憶にある攻略キャラクターたちのなかに、彼の特徴は存在しない。しかも、これほど高い能力を持ちながら、基礎魔法の授業で一度も見かけた記憶がない。ならば、導き出される答えは一つ。

 彼は、エーレンが必死に講義のノートを取っているあいだ、こうしてひとけのない場所で時間を潰している、筋金入りの「サボり魔」なのだ。


(隠れた有能か、ただの無能か。今の段階じゃ、判断材料が足りないわね)


 エーレンは、じっと少年の寝顔を見つめる。

 整いすぎていない容姿、周囲と隔絶した空気感、そしてサボりという不真面目さ。どれをとっても、エーレンが求める「協力者」としての素質を十分に備えているように思えた。

 なんにせよ、まずはこの眠れる森の住人と対話をしなければ始まらないだろう。


 意を決したエーレンは意識を内側に向け、自らの存在感を背景の石壁や、魔力を帯びた黄色の並木道へと溶け込ませていく。モブチートの出力を上げたのだ。

 エーレンはベンチで眠る男子生徒へと歩み寄り、至近距離で声をかけた。


「こんにちは、サボり魔さん」

「――ひああぁ!?」


 辺りの静寂を切り裂くような絶叫とともに、男子生徒が跳ね起きた。

 勢い余ってベンチから転げ落ちそうになるも、手足をばたつかせながらどうにか両足で着地して、おずおずと立ち上がる。動き回った拍子に、周辺に積もっていた黄色の葉が舞い上がり、乾いた音をたてて落下する。


 エーレンは、耳をつんざくような大声にも微動だにせず、穏やかな微笑みを浮かべて彼を見つめる。


「驚かせてしまったかしら。でも……私のこと、ちゃんと認識できているみたいね」


 これまでの試行錯誤で分かったことがある。

 エーレン固有の魔法であるモブチートは、物語の中心にいる「主役級の存在」に対してほど、強力な認識阻害を発揮する。逆に言えば、あっさりと自分を見つけ出す相手は、エーレンと同じ側の住人――すなわち、モブである可能性が高い。


 男子生徒は乱れた水色の髪を掻き上げ、まだ夢心地なのだろうか、眠そうに何度も目をこすった。そして、力なくベンチに腰を落とす。


「心臓が止まるかと思いました。あなた、同じ一年生……ですよね? 誰なんですか?」


 気だるげに紡がれた言葉を聞き、エーレンは確信を得た。

 彼は目の前のエーレンを「ただの同級生」として受け入れている。特別な光を放つことも、物語の荒波を予感させる暗い影を背負うこともない、完璧な通行人枠だ。


「ごめんなさいね。私はエーレン・ホーソーン。あなたの寝顔があまりに安らかだったものだから、つい声をかけたくなってしまったの」


 エーレンは魔法を解き、一歩後ろに下がって名乗った。

 続いて彼からの自己紹介を待つが、少年は大きく欠伸を噛み殺すと、億劫そうに唇を動かした。


「……フェイ・トムレイン」


 名前だけを短く呟き、彼はそのまま再びベンチに横になろうとする。その態度はあからさまな拒絶というより、他人への無関心と自分を守るための分厚い殻のように感じられた。


(素晴らしい! 見た目の地味さもやる気のなさも、私の求めていた『協力者』の条件にぴったりだわ)


 エーレンの橙色の瞳に鋭い光が宿る。この機会を逃せば、次はいつ理想的な人材に会えるか分からない。


「ねえ、フェイ。あなたにお願いがあるの」

「な、なんですか。初対面なのに、いきなり……」


 身を乗り出したエーレンに気圧されるように、フェイはベンチの上で後ずさった。


「あなたにしか頼めない、とても大切なことなのよ」

「はぁ……?」


 フェイは、訳が分からないといった様子で顔をしかめる。

 エーレンはぐい、と距離を詰めてベンチの縁を掴んだ。湿った古い木材の感触が指先に伝わる。冷たい曇り空の下、彼女の情熱だけが、その場所で異質な熱を帯びていた。


「私のモブ活動の、『協力者』になってくれない?」


 満面で隙のない営業スマイルを向ける。

 対するフェイは、まるで未知の魔法生物に遭遇したかのように、ぽかんと口を開けてエーレンを見つめ返すしかなかった。


 呆然と固まるフェイを前に、エーレンは畳みかけるように言葉を紡ぎ始めた。商家の娘としての交渉術と、オタク特有の熱量が混ざり合い、彼女の口調は自然と早まっていく。


「驚くのも無理はないわ。でも、聞いて。私には前世の記憶があるの。この世界は、私がかつて遊んでいた『乙女ゲーム』の世界なのよ。だから、これから誰が誰と恋に落ちて、どんな事件が起きるのか、少し先の未来が分かってしまうの」

「……前世? おとめ……ゲーム?」

「そうよ。平たく言えば、この世界にはあらかじめ決められた『筋書き』が存在するってこと。そして、あの輝かしいデニアス様たちは、物語を彩る『主役』。でも、物語は彼らだけでは成り立たない。主役を引き立てるための群衆――すなわち『モブ』が必要なのよ!」


 フェイの頭上にいくつもの疑問符が浮かんでいるのが目に見えるようだ。彼は必死にエーレンの言葉を咀嚼しようとしているが、あまりに突飛な内容に脳の処理が追いついていないらしい。

 エーレンはそんな彼の様子を無視して、どこか勝ち誇ったように胸を張った。


「見たところ、あなたもなかなかの不良学生みたいね。でも、安心して。私のほうがもっと頭のイカれたヤベー奴だから、サボり癖なんて全く気にしないわ。むしろ、その存在感の薄さが素晴らしいのよ」

「それって褒めてるんですか……?」

「もちろんよ。そんな私の願いは、ただ一つ。星をより輝かせる、完璧な夜空になること。そのために、あなたにも協力してほしいの」


 並木道の奥から吹き抜ける風が、エーレンの髪を揺らした。その橙色の瞳は一点の曇りもなくフェイを射抜いていた。

 フェイは、ようやく絞り出すようにして返事をした。


「……見返りは? その、よく分からない計画に協力して、俺に何か良いことがあるんですか」


 待ってました、とばかりにエーレンは不敵に微笑み、意味ありげに指を一本立てた。


「そうねぇ。私にできるのは、食堂の費用を代わりに支払ったり、勉強を教えてあげたりすることかしら」

「食費の、肩代わり……!?」

「それにね、フェイ。あなた、同級生なのに教室はおろか、食堂でも見かけた記憶がないなんて……何か事情があるにしても、さすがにそろそろマズいわよ? この学校、出席日数と成績が足りないと、容赦なく留年させられるんだからね」


 わざとらしい口調で痛いところを突くと、フェイの肩がびくりと跳ねた。フェイは悔しさと気恥ずかしさが混ざり合ったような複雑な表情で、ふいと顔を背けた。

 ベンチから立ち上がり、そのまま逃げ出そうとするフェイだったが、エーレンは素早くその進路をふさぐ。


「どうして、俺なんですか。それだけの好条件なら、他にいくらでもなり手はいるでしょう。もっと優秀で、真面目な人が」

「いいえ。あなたじゃなきゃ駄目なのよ」


 エーレンは真っ直ぐにフェイを見つめた。その瞳の力強さに、フェイは思わず息を呑む。


「あなたは私と同じ、夜空みたいな存在だからよ。注目を集めることがなくても、確かにそこにいて世界を支えている……。そういうあなたと一緒に、私は星を輝かせたいの」


 曇り空の隙間から、わずかに夕刻の光が差し込み、二人の影を石畳に長く引き延ばした。

 フェイはしばらくのあいだ、黙り込んでエーレンを見つめていた。やがて、観念したように深い溜息を絞り出すと、力なく右手を差し出した。


「……分かりました。その、わけのわからない計画に加担します。すればいいんでしょ!」

「やったぁ! ありがとう、フェイ!」


 エーレンはその手を、力強く握り返した。


 こうして、一人の転生オタクと一人のサボり魔による、奇妙な協力関係が幕を開けたのである。


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