第十七話:たとえ暗闇でも
迷いの木立に着いた頃には、荒かった息もようやく整い始めていた。
フェイは抱えていた女子生徒を、一年前に初めて会話を交わしたあの古ぼけたベンチへと降ろした。
ブーツの底が地面を叩く音と共に、エーレンと呼ばれた女子生徒が大きく息を吐き出す。
そして、ぱちんと指を鳴らすと顔を覆っていた認識阻害の魔法が解け、見慣れた少し不機嫌そうな顔が露わになった。
「……まさか、力尽くで連れ去られるとは思わなかったわ」
乱れた襟元を直しながら、エーレンが唇を尖らせる。
「途中までは完璧だったのに、どうして私だってわかったの?」
フェイはベンチの隣に腰掛けて、得意げに鼻を鳴らした。
「違和感です。ソニアの周辺に、あんなに都合良く現れる女子生徒なんて、逆に不自然でしょう?」
「まぁ……それは、否定できないけど」
「それに、決定的だったのは匂いです」
フェイは自分の鼻先を指差した。
「かすかに、ベルガモットの香りがしたんです。君が飲んでいる、あの紅茶の香り。それで、あぁ、これはエーレンだなと確信しました」
エーレンはきょとんと瞬きをしてから、観念したように額に手を当てた。
「……はぁ。一年前の私は、とんでもない伏兵に声を掛けていたのね」
本来の姿――藍色の髪と黄緑色の瞳を晒しているフェイは、わざとらしく首をかしげてみせた。
「目立たないように変装していたのは、エーレンも同じじゃないですか」
「同じなわけないでしょう。私は背景に溶け込むため、あなたは持って生まれたオーラを隠すため。……質が違うわよ」
エーレンが苦笑まじりにぼやく。その軽快な遣り取りに、フェイの肩からようやく力が抜けた。
冷たい夕風が吹いているはずなのに、二人のあいだには不思議な温かさが漂っている。
膝の上で拳を握りしめているフェイを、エーレンがじっと見つめる。
「――俺の父方の祖父は、『妖精王』なんです。面識はないですが……妖精たちのなかでも、特に強い力を持つ存在だったんだそうです」
並木道の木々がざわりと揺れた気がした。フェイは視線を足元の枯れ葉に落とす。
「俺はその魔力と形質を色濃く受け継いでしまった。だから、隠していたんです。こんな力が知れ渡れば、平穏な生活なんて望めませんから」
重い沈黙が続くかと思われたが、隣から聞こえてきたのは感嘆の声だった。
「なるほど。たしかに、あなたは『星』なんでしょうね。それだけの設定があれば、納得だわ」
エーレンがしみじみと頷いて、どこか遠くを見るような目をした。
「……前世の私は、あなたのことを知る前に死んでしまったのかもしれないわね。きっと、隠しキャラか何かだったんでしょう。主人公であるソニアから言い寄られてたみたいだし」
さらりと放たれた不穏な単語に、フェイはぎょっとして顔を上げた。
「言い寄られるだなんて……俺にはそんな気はないです!」
フェイは過剰に反応して手を振った。若干、声が裏返っている。そんな必死なフェイの様子を見て、エーレンが吹き出した。
「あはは。冗談よ、冗談。……とりあえずは、ね」
楽しそうに笑いながらも、獲物を狙う眼光が宿っている。その含みのある物言いに、フェイはむっとしかめっ面を作ることしかできなかった。
二人がベンチで話しているあいだ、周囲の木々の輪郭はすっかり闇に溶け始めていた。
街灯が一つもないこの並木道は、あと数分もすれば漆黒に包まれるだろう。帰る頃には、杖の先に明かりを灯して足元を探りながら歩くしかなさそうだ。
フェイはポケットから、外していた銀色のイヤーカフを取り出した。冷たい金属を耳に装着すると、循環する魔力が抑制され、フェイの姿が変化していく。
夜闇にも映える鮮やかな藍色の髪は、どこにでもありそうなくすんだ水色へ。内側から発光していた黄緑色の瞳は、光を失った深緑色へ。
見慣れた姿に戻ったフェイを見て、エーレンはやれやれと首を横に振った。
「物好きな人ねぇ。いまや、あなたは輝かしい『星』なのよ? 無理に『夜空』に紛れる必要はないわ」
その言葉は少しだけ冷淡だった。とはいえこれも、エーレンなりの気遣いなのだろう。
フェイはベンチから立ち上がると、屈託のない笑みを浮かべた。
「俺が『星』なら、エーレンのような『夜空』は欠かせないんでしょう?」
キザな台詞だと自分でも思う。けれど、今のフェイには飾らない本音だった。
「俺は……君のそばにいたいんです。光あふれる場所よりも、暗くて静かな場所のほうが、俺にはお似合いですから」
フェイは座ったままのエーレンに向かって、片手を差し出した。エーレンは目を丸くし、それから呆れたように息を吐き出した。
「まったく。やっぱりあなた、メインキャラっぽい演技、向いてないわね。どことなく台詞がクサいわ」
「はは……俺もそう思います」
降参とばかりにフェイが笑うと、つられたようにエーレンの頬も緩んだ。
差し出されたフェイの手のひらに、エーレンの手が重ねられる。その指先は冷え切っていたが、触れ合った場所からじんわりと体温が伝わってきた。
エーレンの手を引いて、フェイは周囲の暗がりを見渡した。
「俺、肉眼で妖精を見ることができるんです。エーレンが言っていたように、この場所には妖精や精霊が集まってくるんですよ。今だって、ほら」
フェイが視線を向けた先に――それらしきものは、何もない。エーレンは不思議そうに眉を寄せた。
「えぇ? 私には何も見えないわ。ただの暗い森じゃない」
「……じゃあ、少しだけお裾分けします」
フェイは繋いだ手を強く握り直し、唇だけで妖精語の呪文を紡いだ。温かい光の波が、フェイの腕からエーレンの腕へと伝播していく。
エーレンが「わっ」と小さく声を上げた。その瞳が、世界が映り変わっていく過程を捉える。
二人の周囲、暗闇だと思っていた空間に、無数の光の球体が浮かび上がったのだ。
淡い青、白、薄紅。それらは蛍のように明滅して、フェイとエーレンの周りをくるくると飛び交い、枯れ木を彩るイルミネーションのように並木道を照らし出した。
「すごい……こんなにたくさん隠れていたのね!」
エーレンが目を輝かせ、空中に手を伸ばす。光の粒は彼女の指先をすり抜け、また空へと舞い上がった。
その横顔を見ていると、フェイの胸は温かく満たされていく。
「行きましょうか。この先は、彼らが照らしてくれます」
二人は手を繋いだまま、光の回廊に様変わりした夜道を歩き出した。
その頭上では、どこまでも広がる夜空に包まれて、小さな星々が瞬いている。
終わり
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