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憧れのモブに転生したので使命を全うします!  作者: 有路ちみどろ


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第十三話:巨星、来たれり

 ふと視線をずらすと、召喚試験会場のさらに奥、一年生たちが集まるエリアに見慣れた赤茶色の髪があった。

 ソニアだ。彼女は自分の身長ほどもある長い箒を抱え、不安そうに空を見上げながら順番を待っている。


(位置よし、タイミングよし)


 まもなく、そのときが訪れる。エーレンが固唾を飲んで見守るなか、事態は急激に動きだした。


 突如、運動場に轟音が響き渡った。

 地面が振動して、悲鳴とも歓声ともつかないどよめきが波のように広がる。


「ついにお出ましね!」


 障壁のなかで巻き起こった砂埃と黒煙が、風に煽られて晴れていく。予想どおり、そこに現れたのは最強の妖精種――ドラゴンだ。


 全身が硬質な鱗で覆われた、蜥蜴と巨鳥を合わせた威容。背中には皮膜の翼が生え、太い尾が地面を叩いて激しい音を立てている。

 体長はおよそ十メートル弱。ゲーム画面で見るよりも、遥かに圧倒的な質量と威圧感を持っていた。


 エーレンは反射的に懐から愛用の杖を引き抜き、両手で強く握りしめた。

 わかっていても身体の芯が冷える。立っているだけで、肌がちりちりと焼けるような魔力の余波を感じる。


 運動場は一瞬にしてパニックに陥った。我先にと逃げ惑う生徒たち。ある者は箒に跨って空へ逃れようとし、ある者は腰を抜かしてその場に座り込む。

 試験官である教師が声を張り上げて障壁の強化を試みようと杖を掲げるが、ドラゴンの喉奥から放たれた咆哮がその声をかき消した。


「――――――!!」


 大気を震わすドラゴンの咆哮に、教師の手元が狂う。障壁の結界はゆがみ、制御が効かなくなっている。


「まずいわね……思ったより結界が脆いわ」


 被害が出る前に早くイベントを終わらせてほしい。エーレンは焦りながらも、視線を一年生の試験会場へと走らせた。

 そこでは、咆哮が引き起こした衝撃波にあてられたのか、飛行中の生徒たちがバランスを崩して次々と不時着していく。


 もちろん、ソニアの姿もあった。彼女の持つ箒は制御不能に陥り、きりもみ回転しながら地面へと落下して――どうにか直前で体勢を立て直し、軟着陸したようだ。

 しかし、降り立った場所が悪すぎた。そこは明滅する障壁のすぐそばで、ドラゴンの鼻先と言ってもいい距離だ。


 ソニアは箒を抱えたまま硬直し、目の前にそびえ立つ巨大な怪物を見上げている。悲鳴すら上げられずに震えているのが、遠目にもわかった。

 ドラゴンの金色の瞳が、小さな獲物を捉える。


(さあ、今よ! ここが一番の見せ場!)


 エーレンは心のなかで叫んだ。

 絶体絶命のヒロイン。迫りくるドラゴン。ここで颯爽と現れ、魔法や剣で危機を救うのが攻略キャラクターの役目だ。


 誰が来る? 王道のデニアスか? それともクールなレムエルか?

 エーレンは期待と緊張で瞬きを忘れ、周囲を見渡した。


 ……しかし。誰も、来ない。


 視界に入るのは逃げ惑う人々の背中や、混乱している群衆だけ。

 キラキラしたエフェクトを背負った美形男子が飛び出してくる気配は、微塵もなかった。


「なっ……なんで?」


 エーレンの思考が停止する。

 ドラゴンの鼻息が砂煙を上げてソニアに吹き付けられている。ソニアは腰が抜けたのか、後ずさりすらもできずにいる。それなのに助けが来ない。

 エーレンの脳裏に最悪の可能性がよぎった。


(嘘でしょ? 誰も助けに来ないってことは……もしかして、好感度を上げていない?)


 イベントが発生しないということは、フラグが立っていないということ。

 つまり、ソニアはまだ誰のルートにも入っていない。誰とも親密になっていないのだ。


(ありえない。絶対に誰かが来るはずよ! ……いやでも、この場合、どうなるの!?)


 ドラゴンの爪が容赦なく振り上げられる。その質量がソニアの上に落ちれば、ただの怪我では済まない。

 思考するよりも早く、エーレンの足は地面を蹴っていた。


 弾けるように走り出しながら、エーレンは喉が裂けんばかりに叫んだ。


「危ない! 逃げてっ!!」


 腹の底に響くほどの重い地響きとともに、視界が茶色い砂煙で塗りつぶされた。

 直後、悲鳴とも怒号ともつかない声が四方八方から弾ける。


「逃げろ! 校舎のほうへ走れ!」

「先生を呼んで! 誰か!」


 必死に避難誘導をする声が聞こえてくるが、パニックは収まらない。エーレンは逆流する人の波に揉みくちゃにされていた。


「ちょっと、押さないで! そこを通して!」


 ソニアの安否を確認しようにも、土煙と逃げ惑う生徒たちに阻まれて何も見えない。


(あぁ、もう! 早くどうにかしないと……!)


 エーレンの額に脂汗がにじむ。自分が駆けつけたところで、あの巨大なドラゴン相手に何ができるというのか。


 必死に人混みをかき分けながら、エーレンは脳内の記憶を検索していた。

 原作ゲームで、攻略キャラクターたちはどうやって事態を収拾していた? 剣で鱗を貫く? 特大の氷塊魔法で動きを封じる? あるいは――


 不意に押し寄せていた人の流れがピタリと止まった。まるで時間が止まったかのように、どよめきが一瞬にして凪いだ。


 理由はわからないが、この好機を逃す手はない。エーレンは立ち止まった生徒たちの隙間に身体を滑り込ませ、最前列へと躍り出た。


「……えっ?」


 晴れ始めた土煙の向こう側、そこに広がっていた光景に息を呑む。

 運動場の中央、地面に亀裂が走る荒涼とした場所で、ソニアは腰を抜かして座り込んでいた。幸い、目立った外傷はないようだ。


 彼女の眼前には荒い鼻息を吐くドラゴンが鎮座している。そして――その両者のあいだに、一人の男子生徒が立っていた。

 ドラゴンの進行を阻むように、あるいはソニアをかばうように、両手を広げて対峙している。


「――誰だ?」


 近くにいた生徒がぽつりと漏らした。

 見覚えのない後ろ姿。けれど、エーレンの心臓は早鐘を打ち、本能的に彼の正体を告げていた。


 風に煽られて揺れる髪は、いつもの淡い灰水色ではない。夜の帳が下りる直前のような、深く艶やかな藍色。

 その横顔から覗く瞳も眠たげな深緑色ではなく、鮮烈な光を宿した黄緑色へと変化している。


 色彩は違えど、その華奢な背中のラインも立ち姿も、すべてが見慣れたものだった。


(まさか……フェイ!?)


 名前を叫びそうになり、エーレンは自身の口を手で覆った。


 ピンチに陥る主人公と、彼女を救うヒーローに、試練としてのドラゴン。これぞまさしく、原作ゲームにおけるイベントスチルそのもの。

 誰も立ち入ることのできない不可侵領域だ。


 ドラゴンと睨み合っていたフェイが、何かをぼそぼそと呟いた。

 距離があるために言葉の内容までは聞き取れない。しかし、それは魔法の詠唱ではなく、歌唱かと錯覚するほど優しい音色だった。


 すると、驚くべきことが起きた。

 殺気立っていたドラゴンが、フェイの言葉に応じるようにうやうやしくその巨体を地面に伏せたのだ。


 直後、ドラゴンの真下の地面に、幾何学模様の巨大な魔法陣が青白く浮かび上がる。

 グォォォ……と、ドラゴンが満足げな喉音を鳴らす。その身体が光の粒子となって崩れ始め、魔法陣のなかへと吸い込まれていく。


 暴虐の限りを尽くすと思われた怪物は、ほんの数分で風と共に消え失せた。

 周囲の人々が呆気にとられ、声も出せずにいる静寂のなか、誰かが震える声で呟いたのが聞こえた。


「今の……妖精語だ……」


 脅威が去ったことを確認すると、フェイはゆっくりと振り返り、まだ震えているソニアに手を差し伸べた。


「大丈夫ですか? 立てますか?」


 その声はいつもエーレンと話す際と同じ、穏やかな丁寧語だった。差し出された手に、ソニアがおずおずと触れる。


 フェイが身を屈めた拍子に、藍色の髪がさらりと流れ落ちた。その切れ目から人間よりも少しだけ長く、先端の尖った耳が露わになったのを、エーレンは見逃さなかった。


(あ……!)


 エーレンの頭のなかで、すべての辻褄が合う。

 フェイがひた隠していたのは、自身の妖精にまつわる能力だったのか。


 ようやく落ち着きを取り戻した教師たちが、「怪我はないか!」と叫びながら二人の元へ駆けつけていく。それを見て、安全だと判断した生徒たちが、わっと騒ぎ始めた。称賛の声、安堵の声、驚きの声が渦を巻く。



「まさか、こんなことになるなんてね……」


 エーレンは動揺を隠すように、自分の胸元をぎゅっと握りしめた。胸の奥で何かが音を立てて落ちていくような感覚があった。


 フェイはただのモブ仲間ではなかった。彼はソニアや攻略キャラたちと同じ、きらめく星の一つだったのだ。


 彼がこれまでその力を隠していた理由はわからない。しかし、こうして正体を晒してヒロインを救った今、彼は表舞台へと引きずり出されることになるだろう。


 人垣の中心で、フェイがきょろきょろと忙しなく辺りを見回しているのが見えた。

 教師からの問いかけにもソニアの感謝の言葉にも上の空で、必死に誰かを探している。その黄緑色の瞳が、群衆に紛れているはずの誰かを捉えようとしていた。


(それは違うわ、フェイ)


 ここで目が合ってしまえば、彼はきっとエーレンの元へ駆けてくるだろう。

 そんなことをすれば、エーレンまでも特別な何かだと思われてしまい、フェイが持つ可能性の芽を摘んでしまうかもしれない。


 それに何より――今の彼を、どんな顔で直視すればいいのかわからなかった。


 エーレンはひっそりとモブチートを発動させる。認識阻害のベールが全身を包み込み、存在感を希薄なものへと変えていく。

 そのまま俯いて前髪で目元を隠すと、称賛の輪を作ろうとしている生徒たちに背を向けた。


 誰にも気づかれることなく、静かに速やかに。星が生まれ輝く場所から姿を消した。


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