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7 身辺調査

「エドムンド様、おはようございます」

「……ああ」

「いい朝ですね」


 ナディアは懲りずに毎朝部屋に来ていた。最初は怒っていたエドムンドだが、だんだんと諦めの境地に入ってきた。なぜなら、いちいち抵抗するほうが疲れるからだ。


 アダルベルトに離縁を認めてもらえなかったことを伝えると、ナディアは「よかったです」と両手をあげて喜んだ。そして、使用人たちも一緒にそのことを喜んでいる感じがした。


 そんなこんなで、ナディアがバンデラス伯爵家に来てもう一ヶ月になる。エドムンドが酒を飲むのは変わりないが以前よりは量が減ったし、朝もちゃんと起きて食事もとるようになった。


「エドムンド様、美味しいですね! あ、これはなんですか。初めて食べます」


 目の前でもぐもぐと豪快に食べるナディアを見ていると、不思議と食欲がわいてきた。


「お前、よく食うな」

「辺境伯領は田舎なので食べられるものが決まっているんですよ。ちなみに流行のお菓子も、王都みたいに売っていません。だから、全部美味しいです!」

「ふーん」


 エドムンドにとっては、当たり前の食事だがナディアにとっては違うのだろう。


「ありがとうございます」

「何が?」

「エドムンド様や使用人の皆様のおかげで、毎日美味しいものがいただけます」


 ニコリとほほ笑むナディアに、エドムンドは胸がモヤモヤした。最近ナディアを前にすると、この謎の感情が襲ってくることがある。


「……別に俺は何もしてねぇ」

「わたしにとっては、エドムンド様が元気に過ごしていらっしゃるだけでいいんです」

「なんだ、それは」


 エドムンドは眉を顰めて怪訝な表情を見せたが、ナディアは気にしていないようだった。


「馳走様でした。ではわたしは皆さんを手伝ってまいります!」


 ナディアは家の掃除や洗濯、力仕事を積極的に手伝っていた。


『奥様にそんなことはさせられません』


 使用人たちはそう断ったらしいが、ナディアは引かなかった。


『奥様らしいことはなにもできないので、せめてできることをやらせてください』


 そう言って無理矢理手伝っているらしい。貴族令嬢らしいことは何一つできないナディアだが、働き手としてはとても優秀だった。


「ナディア様が毎日手伝ってくださるので、とても助かっております」

「……あいつが本当に行き場がないなら、離縁しても使用人として置いてやるか」


 エドムンドがそう言うと、執事のモルガンはニヤリと口角を上げた。


「左様でございますか」

「……なんだ、その顔は」

「いいえ。でも私は今後もエドムンド様の『奥様』としてナディア様にお仕えしたいです」


 そう言われたエドムンドは、あからさまに不機嫌な顔になった。


「使用人たち一同、そう思っておりますよ」

「……ふん、随分と短期間であいつに懐柔されたものだな」

「とても素敵な方ですから」


 ナディアは裏表がなく、基本的に明るく元気で前向きだ。表情も豊かで、怒ったり笑ったり泣いたりと忙しい。貴族らしい意地悪さやプライドの高さはなく、田舎の素朴で親しみやすい少女だった。


 そんなナディアのことを、バンデラス伯爵家の使用人たちは好ましく思っていた。


「あの女ことを詳しく調べろ。家のことも含め、わかることは全てだ」

「承知致しました」

「埃が出てきても隠すなよ」

「……もちろんです。私の主人はあなた様ですから」


 実はモルガンは元々隣国の優秀なスパイだった。貧しい上に家族を人質に取られて仕方なく危ない仕事をしていたが、ある日カレベリア王国の王宮に忍び込んだ時にエドムンドに見つかった。


『お前、やるな。誰にもバレずにここまで入って来るとはな』


 ある程度武術の心得のあったモルガンは逃げようと抵抗したが、あっという間に押さえ込まれた。力の差は歴然だった。


『ここで死ぬか、俺に一生仕えるか選べ』

『死にたく……ありません』

『なら、今からお前の主人は俺だ』


 そう言ったエドムンドに命を救ってもらい、今に至る。なんとエドムンドは裏から手を回し、モルガンの家族も全員助けてくれた。


『どうやって助けてくださったのですか?』

『なに、向こうと少し()()しただけだ。快くお前の家族を解放してくれたぞ』


 普通に考えて、スパイの人質を簡単に解放などするはずがない。おそらくエドムンドはよっぽど恐ろしい脅しをかけたのだろう。


 そんなわけで、元スパイのモルガンは人の調査など簡単なことだった。どんなことがあろうとも、エドムンドは命の恩人なので死ぬまで仕える気持ちでいる。


「丸一日いただければ情報は集められます」

「頼んだぞ」


 すぐに家を追い出すのだからとナディアを放置してきたが、そろそろきちんとすべきだとエドムンドは考えていた。


 どんなに善良そうな人間でも、なにか裏があるなんてことはよくある話だ。エドムンドは今まで、たくさん裏切られてきた。


 左目を怪我したのも、実力を認めていた部下が王弟側について反乱を起こしたからだ。そのことを思い出すと、見えなくなった目がズキズキと痛む気がした。


 部下の裏切りに気が付かなかったエドムンドは、責任を取るという形で騎士団を辞めた。国王陛下には止められたが、エドムンドは片目を失ったことで剣を振る気も失ってしまっていた。元々は金のために騎士をしていただけだ。困っている民を助けたいなどという、大義があったわけではない。


 それに『騎士団長の器ではない』と言われることにも飽きた。エドムンドはその圧倒的な力のため、一気に出世した。どの先輩や上司でも剣の実力で負けることはなかったからだ。エドムンドの力に付いてこられるのは、騎士団でも数人だけだ。だからたくさん憧れられ、そして同じくらい嫌われた。

 


♢♢♢


 エドムンドはモルガンから渡された、ナディアについての調査表をペラペラとめくっていた。


「……特に怪しい点はないな」

「はい。ナディア様のおっしゃっている点に、大きな偽りはありません」

「やはり、サンドバル辺境伯領は借金があったのか。母親の治療に他国から医者を呼んだ形跡もある……か。もしかするとこれは陛下が自分と結婚させるための嘘かと思っていたが、思い過ごしだったようだ」


 実際のところは、これはエドムンドがナディアを追い出さないようにするための偽装工作だ。エドムンドの疑い深い性格を熟知しているアダルベルトは、必ず『調査』を入れることをわかっていた。なので、ナディアの父親と事前に打ち合わせをして『借金』と『病気』を作り上げた。ちなみに母親の病気は実際はただの風邪だったが、わざわざ他国から優秀な医師を呼んで治療名目でしばらく滞在させるという細工をしていた。


 さすがに国家ぐるみでこんなことまでされていると思っていないエドムンドは、この偽装には気がつかなかった。


「今は王家からの支援で完済されています。疑うのであれば、正直借金は……返せない額ではなかったかと。ナディア様のお父上のクラウス様はやり手ですし、一時的に作物が不作で夫人の治療費がかさんだとしても、ナディア様を嫁がせねばならぬほどの困窮具合ではなかった気がします」

「……そうか」


 エドムンドは顎に手を当てて、何かを考えていた。


「あいつの父親は、離縁して出戻ってきた娘の命をとるような男か?」

「……それは流石に大袈裟ですね。騎士としてはかなり厳しい方のようですが、サンドバル辺境伯領のクラウス様は人格者だという評判です。ナディア様のことも可愛がられていたと証言が複数取れています。なのでその心配はないかと」

「あいつ、嘘をつきやがって。じゃあ、生家に帰しても問題ないということだな」


 エドムンドは机に報告書を投げた。


「よろしいのですか? もしナディア様が生家に戻られたら、すぐに新しい嫁ぎ先が見つかりますよ」

「あの何もできないじゃじゃ馬がモテるとでも言うのか」


 貴族令嬢とはとても思えないほど酷い有様を思い出して、エドムンドは冗談だろうと鼻で笑った。


「向こうでは、大人しく清楚な令嬢よりも明るく元気で笑顔が多い令嬢が人気だそうです。まさにナディア様のような」

「あいつ、何もできねぇぞ?」

「それでも結婚の申し込みは絶えなかったらしいですよ」


 モルガンの言葉に、エドムンドは眉を顰めた。


「しかしなぜかこの数年はクラウス様は釣書を受け取ることすら断られていたらしく、ナディア様を見初めていた多くの男たちがショックを受けていたとか」

「……物好きな奴もいるものだな」

「釣書を断っていた理由までは時間が足りず調べられませんでした。お望みならば、もう少し詳しく調べますがどうされますか?」

「いや、不要だ」


 エドムンドは首を横に振った。近々別れるナディアの過去の婚約事情など、詳しく聞いても意味がないと思ったからだ。


「あとナディア様がエドムンド様の大ファンだというのは、サンドバル辺境伯領内では有名な話だったそうです」

「はぁ?」

「ふふ……幼い頃にエドムンド様に助けられてから、あなたに憧れて剣術を習い、毎晩あなたの肖像画を抱きしめて寝ていたそうですよ」


 モルガンはニコニコと微笑みながら、そんなとんでもない情報を話し出した。


「無駄なこと調べてんじゃねぇよ」

「いえ、とても大事な情報かと」

「ふん、くだらん。下がれ」

「はい」


 エドムンドの部屋から庭で洗濯を手伝っているナディアが、たまたま窓から見えた。大きなシーツを使用人たちと干しながら、無邪気に笑っているのがわかる。


「……どうせあいつも離れていく」


 エドムンドは永遠の愛など信じていない。いくら、ナディアが自分のファンだとか好きだと言ってもそれは一時的なものだ。


 エドムンドは、いつか自分の元から去るのであれば最初から欲しくないと思っていた。





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