6 王との謁見
「エドムンド・バンデラス参りました」
エドムンドは大広間で忠誠を示すため片膝をつき、頭を深く下げていた。ここには国王陛下と信頼できる数人の側近、そしてエドムンドしかいない。
「おお、エドムンド。久しいな。面をあげよ」
普段は悪態をついているエドムンドだが、流石に挨拶だけはきちんとこなした。伸びた髪はそのままだったが、髭を剃ってきただけでも充分だろうとエドムンドは思っていた。
「おお、髭を剃って元のお前に近付いたな。しかし、その長髪も似合ってないから切ったほうがよいぞ」
「……大きなお世話です」
「若い妻をもらったのだから、少しは身なりも気をつけたほうが良い。嫌われては辛かろう」
ニヤリと笑ったアダルベルトを見て、エドムンドは腹が立った。
「そのことですが……何がいきなり結婚だ! 俺に何の話もせずに王命で無理矢理結婚させるなど、どういうつもりだ。俺があんたの命を助けてやったのを、忘れたのか」
エドムンドはすぐに本来の粗野な口調で話し出した。
「エドムンド! 陛下にその口の利き方はなんだ。不敬ではないか」
怒り狂って今にも襲い掛かろうとする側近たちを、エドムンドは冷めた目で見返した。実際にやり合えば、自分の方が強いとわかっているからだ。
「やめよ。今更だ。そもそも過去に不敬罪を問うていたら、こいつはすでに何百回と死んでおるであろう」
ははは、と笑うアダルベルトとは対照的に側近たちは納得のいかない顔をしている。
「公の場以外は見逃すと決めたのだ。お前たちは一切口を出すな」
「……わかりました」
アダルベルトは昔からエドムンドを高く評価していた。十三歳で騎士になった時から、飛び抜けて才能があったからだ。何食わぬ顔で次々と大物の魔物を仕留めてくる姿は見ていて爽快だった。
一年前までのエドムンドは、誰がどう見ても国の『英雄』だったのだ。
それにアダルベルトはエドムンドの生意気で失礼な物言いも、嫌いではなかった。国王の自分相手に、本音で話していることがわかるからだ。
「俺は生涯結婚しないと伝えていたはずです」
「ああ、知っている」
「では、何故!」
「それは騎士であるお前の場合だろう? 辞めた今はその約束は無効だ」
「なんだと?」
「せっかく辞めたのだ。家庭を持ってゆっくり過ごせ」
今更そんなありえないことを言うアダルベルトを、エドムンドはギロリと睨んだ。
「一国の王が、あんなガキを金で買いやがって恥ずかしくねぇのかよ」
「ガキとは失礼だな。ナディア嬢は立派なレディだ」
「何も知らないガキだろうが。あんたが口添えして、さっさと辺境伯領に帰せ」
エドムンドがナディアを気にかけている様子に気が付き、アダルベルトは内心ほっとした。
「ナディア嬢は長年お前のことが好きだったらしい。健気な彼女の希望を叶えてやったのだ。それの何が問題がある?」
「はぁ? 俺のことが好きな女なんてこの世に五万といるだろ」
「ははは、お前は相変わらず自信家だな」
アダルベルトに腹を抱えて笑われて、エドムンドは青筋を立てた。
「……何がおかしい」
確かにエドムンドはよくモテた。昔から口も態度も悪かったが、英雄でこの国一強い騎士であり顔立ちも凛々しいエドムンドは常に女性に言い寄られていた。
だがエドムンドは女嫌いで有名だったので、実際には誰とも関係を持ってはいなかった。
「確かに『英雄エドムンド』に惚れていた女は沢山いたさ。だが、騎士を辞めたお前を本気で好いてくれている女がどこにいる?」
エドムンドが左目を怪我をして騎士を辞めた途端、周囲の手のひら返しがすごかった。冷たくしても鬱陶しいくらいに纏わりついてきていた女たちはすぐに離れ、擦り寄って来ていた国の重役たちもすぐにエドムンドを邪魔者扱いするようになった。
「ナディア嬢はお前の口が悪かろうが、騎士でなかろうが、酒浸りだろうがどうでもいいんだと。それでも好きだと言っていたぞ。無償の愛をくれる女性がどれだけ貴重な存在か、お前にはわかるだろう」
「……うるせぇよ」
「私は離縁は認めない。しかし……お前がまともな生活を送れるようになれば、考えてやろう」
「騎士には戻らないと言ったはずです」
「戻らなくてもいいが、若い騎士の指導くらいはして欲しいものだな」
エドムンドはチッと舌打ちをした。これ以上話しても、時間の無駄だと思ったからだ。
「そういえば、ナディア嬢は剣の才能があるらしぞ」
アダルベルトが何を言っているのか、エドムンドは一瞬理解ができなかった。
「……はぁ?」
「サンドバル辺境伯領は、魔物が多い場所だろう? だから、自分の身を守るために剣術を習う女性は多いらしい。彼女は幼い頃にお前に助けてもらったことがきっかけで、真剣に剣を習い出したそうだ」
普通の御令嬢が剣を習うなどあり得ない。女騎士も僅かには存在するが、それは王族の女性の護衛として仕える一部の人間だけだ。
「あいつが剣を?」
普通の御令嬢ができることは、何をやらせてもからっきしダメだった。それは、彼女が通常の生き方をしてこなかったからかもしれない。
そういえば……とエドムンドはナディアのことを思い返していた。ナディアは身のこなしは早かったし、二階のエドムンドの部屋に木を登って入ってくる運動神経の良さには正直驚いていた。
「……俺にはどうでもいい話だ」
「そうか。まあ、仲良くやれ。お前が直接女性に何かをするとは思えないが、もしナディア嬢に危害を加えたら、私が許さないからな」
「知るか。絶対に離縁を認めさせてやるからな」
エドムンドは捨て台詞を吐き、大広間の扉を乱暴に閉めた。不機嫌なまま王宮の廊下を歩いていると、前方から会いたくもない人物が見えてきた。
「騎士を辞めた者が王宮に何の用だ」
「てめぇに関係ねぇだろう」
「部外者が陛下の周りをうろうろするでない!」
そこにいたのは、エドムンドを目の敵にしているアルバンと宰相のハロルドだった。
「アルバン様、よいではありませんか。いくら辞めたとはいえ、彼はこの国の英雄なのですから」
「ふん……こやつは陛下の悪影響になるわい」
「陛下はエドムンドを気に入っておいでですから、話すことで気分転換にもなりましょう」
中立派のハロルドは優しい口調でエドムンドを庇った。目だけは笑っているように見えるが、目の奥では何を考えているかわからない。
実はエドムンドは、感情がわかりやすいアルバンよりも何を考えているか読めないハロルドの方が昔から苦手だった。
親友でもあり現騎士団長を務めるパトリックの父親ではあるが、穏やかな息子とは似ても似つかない不気味さがあった。
「安心しろよ。俺ももうここに用はねぇ」
できるだけ関わりたくないエドムンドは、すぐにその場を去り自分の屋敷に戻った。
「お帰りなさいませ」
呑気にエドムンドを出迎えたナディアを見て『誰のために、行きたくもない王宮に行ったと思っているのか』となんだか腹が立ってきた。
まだ機嫌の悪いエドムンドは、ナディアの両頬を掴んで左右にびょんびょんと伸ばした。
「や、やめひぇ……くだひゃい。いたひぃです」
柔らかいナディアの肌は、よく伸びた。もちろん本気で力を入れている訳ではないが、痛い痛いとナディアが嘆いているのもなんだか楽しい。
「お前の頬は、よく伸びて面白いな」
「いひゃい。やめふぇくだしゃい」
「はは、溶けたチーズのようだ」
そろそろやめてやろうと、パチンと手を離すとナディアは頬を手で押さえて少しだけ涙目になっていた。
「変な顔になったらどうするんですか」
「……元々変だろ?」
「ひ、酷いです」
ショックを受けているナディア見て、ケラケラと笑う姿はいじめっ子そのものだ。
「わたしって変な顔なんですね」
エドムンドの冗談を間に受けて、しゅんとしたナディアを見てさすがに少し罪悪感がわいた。だが、本当に『変』だと思っていたら人間は口には出さないものだ。
ナディアはとびきり美人というわけではなかったが、サラサラのブラウンの髪に大きな黄金の瞳……血色の良い肌は健康的で生命力に溢れた可愛らしさがあった。それに、たぬきっぽい素朴な愛らしさもある。
「まあ……変ってほどじゃねぇけど」
「じゃあ、可愛いですか!」
期待を込めた目で、エドムンドを見上げるナディアを見て内心ため息をついた。彼女が何を言って欲しいのかはわかる。だが、エドムンドは絶対に言いたくなかった。
「五十点」
「ご……じゅっ……てん?」
「ごくごく平均的なレベルだ」
エドムンドの言葉にナディアは、不満気に唇を尖らせていたが、すぐにパッと表情が明るくなった。
「平均ならセーフですよね! これからもっと良くなるように頑張ります」
「……お前は、どれだけ前向きなんだよ」
「だって、せっかく大好きな人の奥さんになれたんですから努力したしたいです。そのうちエドムンド様好みの女性になりますから、楽しみにしていてください」
ふんわりと笑うナディアから、エドムンドは視線を逸らした。ナディアのこの真っ直ぐさが、エドムンドは苦手だった。
「ちなみにどのような女性が好みですか?」
「女は好きじゃねぇ」
「え……では男性が? 同性愛に偏見はありませんが、そうであればわたしはこれ以上努力のしようがありません」
とんでもない誤解をしているナディアを、エドムンドはギロリと睨みつけた。
エドムンドは異性愛者だ。でも実際には誰も恋愛対象として好きになったことがないので、たぶんそうだろうと言うしかないのだが。
「男も女も好きじゃねぇ!」
「ええっ!? あえて……あえてならどのような?」
必死に食い下がるナディアに、エドムンドは意地悪な気持ちがわいてきた。
「じゃあ、大人びた美人で胸が大きな色気のある女」
諦めさせるために、あえてナディアの真逆の女性像を伝えた。エドムンドは過去のあるトラウマから、とりわけ派手な身なりの女は毛嫌いしている。だから、この偽の好みについては全てが適当な嘘だった。
「それ、まさにわたしのことじゃないですか!」
「ふざけんな、どこがだよ。一項目も当てはまってねぇわ!」
「エドムンド様、わたしたち相思相愛ですね」
話を聞いていないナディアは、無遠慮にエドムンドの腕にぎゅうぎゅうと纏わりついてきた。その時、腕に柔らかいものが触れたのがわかった。
決してわざと押し付けているわけではなく、ただくっ付きたかったのだろう。エドムンドは、この無自覚ぶりにだんだんと腹が立ってきた。
「離れろ」
エドムンドは、ナディアの首根っこを掴んでポイっと床に投げ自室に戻り強めに扉を閉めた。
「一項目当てはまってんじゃねぇよ。ガキのくせに」
ナディアの胸が見た目よりも豊かなことに気が付いたエドムンドは、ナディアが子どもではないことを自覚してしまい複雑な気持ちになった。