46 痣が消えた日
「ナディア様、綺麗に消えたわね」
今日はナディアが解毒薬を飲み始めてからちょうど三カ月目。ナディアはナナの最後の診察を受けていた。
「ウェディングドレスのデザイン変えなくて良かったね」
「はい。気に入っていましたので」
「うんうん、あれとても綺麗だもん。エドムンド様もきっと見惚れるよ」
「そうだといいんですけど」
エディが言っていた通り一カ月後には身体の不調は直ったが、胸まで広がっていた痣はなかなか消えなかった。
だが二人の見立てを信じて、ナディアはウェディングドレスはすっきりとデコルテを出したデザインのものを選んでいた。
『エディが痣が消えるのは三カ月かかると言っていただろ? だから、俺はそれを信じる。あいつは毒のことに関しちゃ間違いねぇからな。結婚式はそれに合わせて計画するぞ』
『わたしはもう少し後でもかまいませんが』
『……俺が待てねぇんだよ』
完全に痣が消えてからゆっくりと結婚式の計画をしてもいいのではないかと思うナディアだったが、エドムンドは拗ねたようにそれを否定した。
なぜそんな顔をしたかというとエドムンドはケジメだと結婚式が終わるまでは、ナディアに手を出さないと宣言しているからだった。
それは憧れのエドムンドと結ばれる時はなるべく綺麗な身体でいたいというナディアの乙女心を、エドムンドが理解してくれたからだ。
「はい。ありがとうございます。ぴったり三カ月でしたね」
「あたしのエディはとびきり優秀だからね」
ナナはまるで自分のことのように、夫であるエディのことを自慢した。
「そうですね。エディさんもナナさんもとても優秀です」
ナディアに褒められて、ナナは嬉しそうに目を細めた。
「本当にありがとうございました」
「いえいえ! エドムンド様から充分御礼はもらってるから」
「それでも……誰にも治せませんでしたから。本当にありがとうございます」
ナディアは深く頭を下げた。エディとナナは命の恩人だ。解毒薬で命を救ってもらっただけでも有難いのに、二人のおかげでナディアの痣は全て消えた。その上前から処方されていた傷薬も塗り続けた結果、昔噛まれたヴェナムの牙跡もほぼわからなくなっていた。
「お礼なんていいわよ! エドムンド様からたーっぷり貰ってるしね」
「でも……」
「ほら見てよ。エディなんてエドムンド様に研究室を大きくしてもらってから毎日ご機嫌よ」
ナナが指を差した方向を確認すると、エディは嬉しそうに実験をしては、ノートに何か一心不乱に書き込んでいた。
「……本当ですね」
「ね! でも一週間後の結婚式には無理矢理引き摺り出して、二人で必ず行くからね」
「ええ、お待ちしています」
一週間後は、ついにエドムンドとナディアの結婚式だ。この日はバンデラス伯爵領は特別に祝日とされ、結婚を祝う祭りが街中で開催される予定になっている。
領民たちは女嫌いのエドムンドが王命で結婚をしているのは知っていたが、そこに愛はないと思っていた。なぜならその結婚のことを、エドムンドから領民たちに大々的に知らされることはなかったからだ。
元平民で他に身寄りのないエドムンドに後継ができないとなると、このバンデラス伯爵領は将来どうなるのかと領民たちは不安でいっぱいだった。バンデラス領に住んでいる人間は、様々な理由で他の土地では生きづらい人が多いからだ。
そんな中、急にエドムンドから『妻のナディアと結婚式を挙げる』という御触れが回ってきた。それを聞いた皆はエドムンドが真実の愛に目覚めたのだと喜び合っていた。
自分たちに居場所を与えてくれたエドムンドが幸せになることを、バンデラス伯爵領の皆は心から望んでいた。
♢♢♢
「お帰りなさいませ」
「おう。今日はエディたちのところへ行ったんだろ? どうだった」
「はい。痣はすっかり綺麗になりました」
騎士の仕事を終えたエドムンドは、一番にナディアに痣の具合を聞いてきた。
「……そうか。良かったな」
「はい」
エドムンドは嬉しそうにふわりと笑い、ナディアの頭をそっと撫でた。
「実際に確認したいところだが……」
「ご、ご覧になりますか?」
少し恥ずかしいが、治ったことを確認してもらうためには必要なことだと思う。
「見るのは一週間後の楽しみにしとく」
「ええっ!」
「たっぷり全身見るから覚悟しとけよ」
甘く低く響く声でエドムンドに耳元で囁かれ、ナディアは頬を染めた。
「せ……精一杯ピカピカに磨いておきますっ!」
拳を握りしめながら大きな声でそんなことを言うナディアを見て、エドムンドはフッと笑みをこぼした。
「俺が磨いてやろうか」
「ひぇっ……それは畏れ多いです」
「遠慮するな」
エドムンドは頬にキスを落としながら、ナディアを揶揄って楽しんでいた。ナディアは自分からぐいぐいと迫るのは大丈夫だが、エドムンドから迫られると恥ずかしいらしい。
真っ赤になりながら戸惑っているナディアは、とても可愛らしくてエドムンドはつい意地悪をしたくなるのだった。
「俺が磨いててもいいが……ナディアは何もしなくても光ってる」
「え?」
「そのままでいい。そのままのナディアが俺は好きだ」
エドムンドは本当にそう思っていた。ナディアの心の温かさや明るさに、暗い闇の中にいたエドムンドは救われた。
それは唯一無二の存在感で、ナディアしかエドムンドの心を溶かすことはできない。大切な人に触れる悦びも、人を信じる強さも……そして、生きたいと思うことすらナディアが教えてくれた。
エドムンドにとってナディアの存在はまさしく光そのものだった。
「わたしもエドムンド様が大好きです!」
エドムンドはとても幸せそうなナディアの顔を見て、その顔をさせられるのは自分だけだということを嬉しく思った。
「さあ、食事にしようぜ。今夜は美味い酒があるんだ」
「ええ、本当ですか!」
「ああ、明日は休みだからな。だが、飲みすぎるなよ」
「わかっていますよ」
酒に強い二人の夜はとても長くなる。エドムンドとナディアは今日あったことを話しながら、シェフの作った食事やおつまみを食べるのはとても大事で貴重な時間だった。
夜が更けるまでエドムンドとナディアの楽しそうな笑い声は屋敷に聞こえてくる。
モルガンを含め使用人たちは皆、その二人の声を聞くのが好きだった。ナディアが嫁いで来るまで、バンデラス家は静かでピリピリと空気が張り詰めていた。だが、今は賑やかで優しい空気が屋敷を包み込んでいる。それは、紛れもなくナディアという存在のお陰だった。
「静かになりましたね」
「ええ、お時間的にそろそろナディア様は限界ですよ」
屋敷が静かになると、それはナディアが寝てしまったことを表している。女性の中ではかなり酒に強いナディアだが、それでも酒豪のエドムンドに最後まで付き合うことはできない。
「きっと今頃エドムンド様がベッドに運んでいらっしゃいますよ」
酔ったナディアを起こさぬように優しくベッドまで運ぶのは、エドムンドの仕事だった。
「ナディア、おやすみ」
エドムンドはナディアの柔らかい髪をそっとかき分け、おでこにちゅっとキスを落とした。すると、ナディアはふにゃりと笑顔を見せた。
「可愛い顔して寝やがって」
頬をツンと軽く突くと「んんーっ」と声をあげたので、エドムンドは慌てて指を離した。
「ふふ……エドムンドさまぁ……んにゃ……」
どうやらナディアはエドムンドの夢をみているらしい。エドムンドは、むにゃむにゃと何かを言っているナディアの髪を優しく撫でた。
これだけ健やかに眠りにつかれてしまっては、エドムンドは手を出せない。
「結婚式の日は寝かせねぇからな」
夢の中のナディアには聞こえるはずもないが、エドムンドはそう呟いた。




