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何もできない妻が愛する隻眼騎士のためにできること  作者: 大森 樹


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40 最悪の状況

「ナディア、お前の勝ちだ。俺が来たからな!」


 この森にいるはずのないエドムンドの声が頭上から聞こえ、ナディアは驚いて空を見上げた。


『チビ、お前の勝ちだ。俺が来たからな!』


 短く切り揃えられた真っ黒の短髪に、三白眼でクールなのに燃えるような赤い瞳。


 幼い頃にナディアを助けてくれたエドムンドと、今のエドムンドが重なって見えた。唯一違うのは、左目の眼帯だけだ。


 高く飛び上がったエドムンドは、ヴェナムの首を目掛けて迷いなく剣を振った。そのスピードはとても早く、一直線なとても美しい太刀筋だった。


 ――ああ、なんて格好良い。


 ナディアは、エドムンドの姿にただただ見惚れていた。


 バシュッという音と共に、ドサッという鈍い音が聞こえたことでヴェナムの首が地面に落ちたのだとわかった。


「おい、頼んだ!」


 エドムンドはヴェナムからすぐに毒袋を取り出して、誰もいないところへ放り投げた。


 すると影からシュッと何かが動いた。そしてその影は持っていた容器で器用に毒袋をキャッチした。


「承知いたしました」

「すぐにエディとナナに渡せ!」

「はい」


 そう返事をしたのは、なんとエドムンドの執事モルガンだった。いつもとは違い全身黒い衣装を見に纏ったモルガンは、そのまま森の中に消えていった。


「何をしている! あの男をさっさと捕まえろ」


 ハロルドが怒号を飛ばすと、近くにいた騎士たちが慌てて動き出した。どうやら、ハロルド派の護衛たちが複数いるらしい。


「あいつが捕まるはずがねぇ」


 モルガンは元は他国の優秀なスパイだ。隠れながらこの入り組んだ森を進むことなど、モルガンにとっては造作もないことだとエドムンドは確信していた。


「なぜ……なぜお前がここにいるのだ!」


 怒りでワナワナと震えているハロルドを見て、エドムンドはふんと鼻で笑った。


「なぜってパトリックが教えてくれたからだ」

「なんだと!」


 ハロルドはパトリックを恐ろしい顔で睨み付けた。


「お前、裏切ったのか」

「……」

「育ててやったのに、恩を仇で返すとは何事だ!」

「恩を仇ですか。確かに教育を受けさせてくれたことは感謝しています。でも、あなたから愛情を感じたことを一度もありません。僕はまるで駒のような気分でした」

「子が親のために動くのは当然だろう!」

「あなたは国の上に立つ人間ではないと、僕が判断した結果です。もう言い逃れはできませんよ。いくらこの事を揉み消そうとしても、きちんと証人がいますから」


 パトリックは淡々とそう言い放つと、森の中からアルバンが現れた。


「この話を聞いた時は、嘘だと思っておったのじゃがな。まさかお主がこのようなことをする奴だったとはのう」

「ぐっ……どうしてあなたまで」

「エドムンドがあまりに必死にわしを説得するもんじゃから、仕方なくついて来たんじゃ。だが、来て良かった。国を揺るがす犯罪者を野放しにするわけにはいかんわい」


 ハロルドはこの国の宰相であり、地位も名誉も金もある人間だ。その人間が言い逃れができないようにするためには、同じような立場の人間が必要だった。そして、それがまさしくアルバンだった。


「相変わらず邪魔なジジイだ」

「ふん、お主はそんなに口が悪かったのだな。みんな騙されていたのう。おい、しっかり捕まえておけ!」


 悪態をつくハロルドを捕まえようと、アルバンが連れて来た騎士たちが取り囲んでいる。


 これで全てが終わった。そう思ったエドムンドは、地面に座り込んでいるナディアの前まで歩いて行った。


「ナディア、遅くなって悪かった」

「エドムンド……様」

「無事でよかった」


 涙で濡れたナディアを頬を大きな手で拭い、そっと抱きしめた。トクトクと動くナディアの心臓の音を聞いて、エドムンドは彼女が生きている事を実感してほっとした。


 絶対に助けるという自信があったとはいえ、内心は不安だったのだとエドムンドは気が付いた。


 守りたいものが居なかった時は、恐ろしいことなど何もなかった。だが、今はナディアを失うのが一番恐ろしい。


 だがエドムンドは、今の弱さのある自分の方が好きだと思っていた。


「助けてくださってありがとうございました」

「当たり前だろ。パトリックに尾行がついていたから、本当のことが言えなかった。悪かったな」

「そう……だったのですね」

「ああ、俺のいない間よく頑張ったな」


 エドムンドが優しく声をかけながら、ぽんぽんとナディアの背中を撫でてくれた。


「うゔっ……」

「もう大丈夫だ。すぐに薬もできる」

「はい」


 ナディアはさっきまで苦しくて恐くて息も吸えなかったのに、エドムンドの胸の中にいると温かくて安心して心がすっと落ち着いた。


 とても不思議な話だが、ナディアの心をドキドキさせるのも、こんなにも安心させるのもどちらもこの世にエドムンドただ一人だけだった。


「さあ、帰ろう」


 エドムンドの手を取り立ちあがろうとした時、ピーッと犬笛のような音が聞こえ何かがガシャンと割れる音がした。


 エドムンドとナディア、それに近くにいたパトリックが音の方に振り向くとそこにいたのはハロルドだった。


 剣の覚えもあるハロルドは騎士たちと戦いながら逃げ回り、まだ拘束はされていなかったらしい。


「ははは、これでお前らは終わりだ。この私がパトリックが裏切ることを全く考えなかったとでも思っているのか!」


 ハロルドはこの後に及んでもまだ悪あがきをするらしい。


「チッ、しぶといな」

「父上はああ見えて剣の才があるからね。強いんだよ」

「俺が……」

「いや、僕が行く。これは息子としての役目だからね」


 パトリックがハロルドの捕獲に向かおうとしたその時、後ろからゴゴゴッという地響きと共に「グルルルッ……」という恐ろしい鳴き声が聞こえてきた。


「なんでこんなところに」


 パトリックはそのドラゴンを見て、呆然としていた。なぜならズメイという大型の三つ首ドラゴンが現れたからだ。


「……この腹黒めっ!」


 エドムンドはチッと大きな舌打ちをして、わざわざズメイを選んで呼び寄せたハロルドを恨んだ。


「お前らが全員ここで死ねば、私はまだやり直せる! 不幸な事故で命を落としたと陛下には伝えておこう」


 ハハハと高笑いをしているハロルドは、自分が裏切られた時のことも考えていたらしい。誰のことも信用しないハロルドらしい抜け目のない計画だった。


「はっ……はっ……うゔっ……」


 ドラゴンが現れた事で、ナディアはまた過呼吸を起こしていた。それに気がついたエドムンドは、もう一度ナディアを強く抱きしめた。


「ナディア! 大丈夫だ」

「は、はい……うゔっ……」

「大丈夫。大丈夫だから、落ち着いてよく聞いてくれ」


 エドムンドは声を抑え、ナディアに優しく語りかけた。


「ズメイは三つの首にある核を同時に刺さないと、無限に再生するドラゴンだ。ここにいる人間でそんなことができるのは、俺とパトリックとナディアしかいない」

「でも……私は……」

「ナディアの強さは俺が一番わかっている。ナディアならできる」


 震えるナディアの手を、エドムンドは包み込むようにぎゅっと両手で握った。


「ナディア、それしかここから生き残る術はない」

「でもエドムンド様……わたしがもし失敗したら……」

「ナディアなら絶対にできる。なんてったって、俺が惚れた女なんだから」


 エドムンドの燃えるような赤い瞳が、ナディアを真っ直ぐ見つめた。その瞳は美しく澄んでいて、まるでナディアが成功することを確信しているようだった。


「エドムンド様、わたしやります」


 ナディアは涙を袖で拭い、パチンと頬を叩いて気合を入れた。


 愛するエドムンドが傍にいてくれるだけで、ナディアに勇気が湧いてくる。恐くて恐くて震えていた身体も、いつの間にか軽くなった。


 わたしが立ち上がらなければ、エドムンドも生き残れない。そんなのは嫌だ。愛する人を守るためなら、ナディアは何でもできる気がした。


「それでこそ俺の妻だ」


 エドムンドは嬉しそうに笑った後、すぐに真剣な顔に戻りパトリックに視線を送った。パトリックはすぐにそれに気がつき、こくんと頷いた。この二人はこれだけで意思疎通ができるのだろう。


「短剣は持ってるか?」

「はい。レッグホルスターを付けて持っています」


 ナディアはエドムンドに貰った護身用の短剣を、お守りとして常に太ももに隠し持っていた。


「さすがだな。俺が一番上、パトリックは右、ナディアは左だ」

「はい。ですが、私はあの高さまで跳べません」

「俺が抱えて途中で離すから上手くタイミングを合わせてくれ。ナディアの運動神経ならいける」


 なんとも抽象的な作戦だがエドムンドが成功すると言っているのだから、きっと大丈夫だ。エドムンドはそれぞれの能力を冷静に分析する力がある。


「はい」


 王家で名の知れた騎士でも震え上がるほどのS級ドラゴンに立ち向かうナディアを、エドムンドは誇らしく思った。


「これが終わったら盛大に結婚式やるぞ」


 その言葉にナディアは驚いた後、ニッと口角を上げた。ナディアは密かに結婚式やウエディングドレスに憧れていたが、エドムンドは全く興味がなさそうなのでやりたいと言ったことはなかった。だが、エドムンドは色々と考えてくれていたらしい。


 ナディアはワンピースをたくし上げて、レッグホルスターから短剣を抜いた。


「じゃあ、絶対に死ねませんね」

「当たり前だろ。さっさと片付けて帰るぞ」

「はい」


 どうやらエドムンドは、目の前にご褒美をぶら下げてナディアのやる気を出させるのが得意らしい。こんな事を言われては、頑張らないわけにはいかない。


「グルルルッ……!」


 どうやらズメイは、もう待ってくれないらしい。三つの首がうねうねとこちらを狙って動いている。


「行くぞっ!」


 ナディアを抱えたエドムンドとパトリックは、その言葉と同時に空高く跳び上がった。




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