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3 憧れの騎士

「エドムンド様、お久しぶりでございます。わたしはサンドバル辺境伯家の娘、ナディアと申します」


 ナディアは部屋に入るなり、エドムンドに向かって丁寧に頭を下げた。


「……誰だ、お前」


 ゆっくりと顔をあげた男は酔っているようだった。机の上や床には、信じられない量の酒瓶が転がっている。


「ああ、すごい。本物だわ。以前より年齢を重ねていらっしゃるし、その無精髭は全く似合っていませんが正真正銘のエドムンド様ですね!」


 ナディアは漆黒の髪色と燃えるような赤い三白眼の瞳には見覚えがあった。しかし、伸びた髪と無精髭……そして左目の眼帯は見覚えがない新しい彼だった。


「……おい、なんだその悪口は。それにどうやってこの部屋まで来た? 勝手に入って来て、変なこと言いやがって。死にてぇのか」


 ある日、バンデラス伯爵家に見知らぬ一人の少女が訪ねて来た。当主であるエドムンドは眉を吊り上げながら、怒りの表情を見せた。


「ああ、そうでした。エドムンド様はご存知ないのですね」


 その少女ナディアは、ガサガサとバッグを探り一枚の紙を取り出した。


「わたしは今日からエドムンド様の妻になりました。よろしくお願いします」


 ぺらっと開いたその紙は、王家の印がついてある正式な書状で『エドムンド・バンデラスとナディア・サンドバルの婚姻を認める』と国王陛下の直筆で書かれていた。


「はあ?」


 エドムンドはその書状を見て、大声を出した。よほど驚いたらしい。


「よろしくお願いします、旦那様!」


 にこりと笑ったナディアとは対照的に、エドムンドは怒りながらグシャリと書状を握りつぶした。


「そんなことをしてはダメですよ。大事な書状なのに」

「煩い」


 エドムンドは、そのまま書状をビリビリに破って空に投げた。ナディアの頭上でひらひらと紙屑が舞い散っている。


「これで()()()()()()

「……エドムンド様」

「こんな書状は知らないし、俺は何も読んでいない。つまり俺とお前は無関係だ」


 フンっと鼻で笑ったエドムンドを見て、ナディアは深く俯いた。これだけ圧をかければ、ショックを受けて二度と自分の前には現れないだろうとエドムンドは思っていた。


「ちょっと知らないふりは無理かと。まだ何枚もありますからっ!」


 ナディアは得意気な顔で、何枚も重なった書状をエドムンドに扇のように広げて見せてきた。


「……は?」

「陛下が『エドムンドはすぐにこれを破るだろうからたくさん持っていけ』と仰いました」


 ふふふと笑ったナディアを、エドムンドはギロリと睨みつけた。


「あの腹黒王め。命を助けてやったのに、いらぬことばかりしやがって」

「まあ、陛下にそんな物言いは不敬にあたりますわ。気をつけてくださいませ、旦那様」


 ナディアがそう窘めると、エドムンドの眉が更に吊り上がった。


「おい、だれが()()()だ!」

「もちろんあなた様ですよ。わたしたちは夫婦ですから。それともエドムンド様とお呼びした方がいいですか?」

「勝手に呼ぶな! 俺たちは無関係だ。その書状全部貸せ。一気に燃やしてやる」


 エドムンドに追いかけられたが、ナディアはするりと身をかわした。


「お前、何者だ?」


 エドムンドは急に真顔になり、低い声でそう問いただした。その鋭い瞳には、僅かに生気が宿っていた。


 いくら酔っている状態とはいえ、この国一の英雄だと言われていたエドムンドがただの小娘を捕まえられないはずがない。


「だから、あなた様の妻ですよ」


 一瞬で距離をとったナディアがにこりと微笑むと、エドムンドは勢いよくソファーにあったクッションを投げつけた。


 ビュンッ


 すごいスピードで、ナディアの顔の真横を横切った。その勢いはナディアの髪が、飛んできた勢いでふわっと浮くほど早いものだった。


 ドサッ


 クッションが壁に当たり、そのまま床に落ちたがナディアは微動だにしなかった。


「クッションは投げるものではございませんよ」

「……叫び声もあげず、逃げもしない。そんな女が普通なわけがない」

「まあ、普通……ではないかもしれませんね」


 ナディアが逃げなかったのは、エドムンドという男が女性に向けて物を当てるわけがないという自信があったからだ。そして予想通り、エドムンドは的確に外してきた。


「何が目的だ?」

「何を隠そうわたしは、エドムンド様が大・大・大好きなのです!」

「はぁ?」

「だから、お側にいさせてください」


 一点の曇りもない瞳をキラキラと輝かせて、意味のわからぬことを言うナディアにエドムンドは困惑していた。


「……頭が痛い。俺はお前の言うことを全く理解できない」


 エドムンドはこめかみを手で押さえながら、この状況をなんとか理解しようとした。


「まあ、それは大変ですわ。こんなにたくさん飲まれるからですよ。量を飲む時は何かお腹に入れておかねば、悪酔いしますよ」


 ナディアは甲斐甲斐しく世話をするように、転がった瓶を片付け始めた。


「ふざけるな。お前のことで頭が痛いって言ってんだ」

「わたしのことですか?」


 キョトンとしたナディアの顔を見て、エドムンドは苛つきを隠せなかった。


「お前以外に頭が痛い原因なんてねぇだろ!」

「二日酔いかと思いましたわ」

「そんなわけねぇだろ」


 酒瓶の数を見るに、物凄い量を飲んでいることがわかる。エドムンドは酒に強いのだろう。これだけ飲めば普通の人間なら、気を失っている。


 しかしエドムンドは酔ってはいるが、受け答えはしっかりとしていた。


「茶番は終わりだ。今すぐ出て行け」


 これ以上話すことはないと思ったのか、エドムンドはナディアに冷たく言い放った。


「今、ここを出て行けば許してやる」

「……それはできません。陛下と契約しておりますので」

「契約だと?」

「ええ、あなたとここで暮らさねばわたしは多額の違約金を払わねばなりません。そんなことになれば、生家に迷惑がかかります」


 エドムンドはナディアをギロリと睨みつけた。


「昨年、我が辺境伯領は天候が悪く凶作でした。それに加えて、お母様が珍しい病気になり治療費がかさんだので……恥ずかしながら我が家には借金があるのです」


 ナディアの身の上話の真偽を確かめるように、エドムンドはじっと黙っていた。


「その時に、国王陛下からあなた様との結婚の話をいただきました。結婚し、共に暮らせば借金を肩代わりしてくださる上にお母様が快癒するまで面倒をみてくださると」

「……金か」

「はい。でもそれだけではありません。あなたは覚えていらっしゃらないかもしれませんが、わたしは幼い頃にあなた様に命を救っていただいたことがあるのです。だから、これは良いご縁だと思いすぐに縁談をお受けしました!」


 エドムンドはナディアのことを全く思い出せなかった。エドムンドは騎士団長だった男だ。毎日のように魔物討伐に行っていたので、助けた人間など山ほどいるからだ。


「助けただと? それが本当だとしても、それはただの任務だ。お前の感謝などいらん」

「……だとしてもです。あなた様がいなければわたしはとうの昔に死んでいますから」


 ナディアがにこりと微笑んだのを見て、エドムンドはチッと舌打ちをした。


「陛下も人が悪い。弱みにつけ込むなど」

「……」

「お前に金をやる。使い道がわからぬほど報酬が貯まっているからな。陛下にいくら積まれたか知らぬが、それに色をつけてやろう。だから、この話はなしだ。さっさと田舎に帰れ」

「お金を恵んでいただくわけにはまいりません」

「いいって言っているだろう! 俺は生涯結婚をする気はない。邪魔だ」

「でもわたしはもう帰る家はありません。陛下の命に背き、何もせずにサンドバルに戻ったらお父様に叱られます。きっと縁を切られて……修道院に入れられます。いいえ、それならばまだいいです。お父様は厳しい方なので……もしかしたら……責任を取れと命を取られるやもしれません」


 ナディアはうっうっ……と声を出しハンカチで目元を拭いながら必死にエドムンドにそう訴えた。


「もういい。俺が陛下に直接婚姻の取り消しを要望する。それまでは客間で過ごせ。だが、決して俺の前に現れるな!」


 バタン、と強めに扉を閉めてエドムンドは出て行った。


「……やっぱり優しい人」


 言動は粗っぽくって酷いようにみえるが、結局はナディアを追い出さないということだ。


 ナディアは一滴も出ていない涙を拭くふりをやめた。エドムンドを騙したくはないが、ナディアはここにとどまるためなら何でもすると覚悟を決めていた。


 エドムンドに命を助けてもらったことは本当だ。大好きなのも本当。でも他に伝えた話は、ほとんどが嘘だった。


「騙してごめんなさい」


 ナディアは心の中で何度もエドムンドに謝った。



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