38 狂った予定
「この前エドムンドと飲んでいたそうじゃないか」
ハロルドに鋭い目でギロリと睨みつけられたパトリックは、さほど驚く様子はなく冷静に口を開いた。
「父上、まさか後をつけていたのですか? 覗き見は悪趣味ですよ」
「お前、まさか裏切っていないだろうな?」
その瞬間重たい空気が部屋の中に流れたが、パトリックは急に声をあげて笑い出した。
「ははは、父上。僕があなたを裏切るなんて思っているんですか?」
「……何がおかしい」
イライラしたハロルドは、チッと舌打ちをした。そんな不機嫌なハロルドとは対照的に、パトリックは楽しそうに笑っていた。
「エドムンドには『何があっても僕を信じてほしい』と言っておきました。あの男と僕は長年の付き合いですから、僕を全く疑っていません」
「……」
「僕は自分に利のある方に付きますよ」
「ふん」
「それを見誤るほど愚かではありません。では父上、上手くやってくださいね。こちらはいつでも大丈夫なので、連絡お待ちしております」
パトリックは人の良さそうな笑みを浮かべ、扉をパタンと閉めた。
♢♢♢
「じゃあ、行ってくる。しばらく家を空けるが、絶対に前日までには必ず帰る」
「はい、行ってらっしゃいませ」
ヴェナムの討伐予定日を一週間後に控えたある日、エドムンドは急遽東の街に向かうことになった。街の近くに大型の魔物が現れ、領民たちを困らせているという報告があったため討伐に向かうためだった。
「いい子にしてろよ」
「はい。でもわたしはいつもいい子です!」
キラキラした目のナディアは、自信満々にそう答えた。エドムンドはナディアの頬をそっと包み込み、そっと唇を合わせた。
「……んっ」
使用人たちがたくさんいる中で濃厚なキスをされ、恥ずかしいナディアはジタバタと暴れた。
「こら、暴れるな。悪い子だな」
耳元で甘い声で囁かれ、ナディアの身体は身体中が真っ赤に染まった。恥ずかしさで力が抜け、抵抗できなくなってしまった。ナディアがくたりとエドムンドに身体を預けると、彼はくくくっと嬉しそうに笑った。
「いい子だ」
おでこや頬にキスの雨を落とし、最後にもう一度唇にちゅっと触れるだけのキスをした。
「行ってくる」
満足したエドムンドは嬉しそうに微笑み、片手を上げて颯爽と玄関の扉を出ていった。
「ううっ……エドムンド様が甘すぎます。急すぎてついていけない」
晴れて両思いになった二人だが、ナディアはまだこの関係に慣れていなかった。最近のエドムンドは、あまり恥ずかしがることはなくストレートに愛情を示してくる。
「エドムンド様は元々感情のストレートな方ですからね」
モルガンはエドムンドの変化に驚くことはなく、いつも通りにっこりと微笑んでナディアに声をかけた。
「そうですけど」
「それだけナディア様のことを愛していらっしゃるということですよ」
「そ、それは……嬉しいですけど。なんだか夢みたいで」
「私どももとても嬉しく思っております」
モルガンを含め、バンデラス伯爵家の使用人たちはみなナディアとの正式な結婚を喜んでいた。
この数ヶ月で、ナディアは時折発作を起こし寝込んでいた。その度にどうにもしてあげられなくて、悔しく辛そうな主人の姿を使用人たちは何度も見てきた。
その問題があと少しで解決するのだ。エドムンドが多少浮かれるのも仕方のないことだろう。
それから数日間ナディアはエドムンドとの約束を守り、使用人たちとバンデラス伯爵家の屋敷でゆっくりと過ごした。
そしてエドムンドが帰ってくる予定の前夜、急にパトリックが屋敷を訪ねて来た。
「ナディアちゃん!」
「パトリック様? あの……今、エドムンド様は不在で……」
「知ってるよ。だから、焦っているんだ」
いつも爽やかなパトリックが、額に汗をかいている。どうやら慌ててここまで来たようだ。
「何があったのですか?」
「まずいことになった」
はぁはぁと息を切らしながら、パトリックは話し始めた。
「ヴェナムが森に現れたんだ」
「えっ!」
「予定より二日も早い。だが、こんなチャンスを逃すわけには行かない」
ずっと目撃証言すらなかったヴェナムだ。これを逃せば、次に現れるとは限らない。このおびき寄せる計画も、だいぶ前から準備されてやっと上手くいったのだから。
「で、でも……エドムンド様がいらっしゃいません」
なるべく冷静に話そうと思っているのに、ナディアは声が震えてしまった。
エドムンドがいなくてヴェナムの毒袋を採取できるのかという問題もあるが、それ以前に彼がいない状態で自分が囮としてヴェナムの前にいなくてはならないという事実がナディアを不安にさせた。
「僕がいる」
「……」
「僕が命にかけてもナディアちゃんを守るよ。エドムンドの代わりにヴェナムの毒袋も採ってくるから任せて欲しい」
パトリックは震えるナディアの瞳をじっと見つめ、力強くそう告げた。
「僕はエドムンドに認められた男だよ? どうか信じて、一緒に森に来て欲しい」
「……でも」
「今行かないと逃げられる。考えてる暇はないんだっ!」
「……わかりました。エドムンド様に連絡は?」
「もちろんしてる。向こうの討伐はおわってるらしいから、すぐに向かうと連絡があったよ」
エドムンドも了解しているのだとわかると、ナディアの心は少しだけ落ち着きを取り戻した。
「行きます。パトリック様、よろしくお願い致します」
「ああ、僕に全て任せて」
パトリックはナディアをすぐに連れて出て行こうとしたが、それをモルガンに止められた。
「ちょっとお待ちください!」
モルガンの大きな声に、ナディアは驚いた。いつも冷静で淡々としているモルガンが、声を荒げることなど一度もなかったからだ。
「……パトリック様、本当にあなた様を信じてよろしいのですよね?」
ギロリとパトリックを睨みつけるモルガンは、疑いの眼差しを向けていた。
「エドムンドは何と言っていた?」
パトリックは冷たい目で、強い口調でモルガンに圧をかけた。
「モルガン、さっさと答えろ」
「……エドムンド様は、何かあればあなた様に従うようにと」
モルガンは悔しそうに唇を噛み、小さな声でそう答えた。エドムンドとパトリックは昔から仲が良く、屋敷にもよく遊びに来ていたためモルガンとも親しい。
だがモルガンは最近不審な点が多いパトリックを、どうしても信じられなくなっていた。自分の疑い深い性格は、昔スパイをしていた名残であるとはわかってはいるが……どうしてもその本能が『ナディアをパトリックに渡していいのか』と警告を鳴らしている。
「ならば何も問題はあるまい」
パトリックの言う通りだ。主人の命に従うのが執事の役目なので、モルガンがどうこう言う問題ではない。
「ナディアちゃんは、連れて行くよ」
「わたしなら大丈夫です。心配しないでください」
いつもと違うモルガンに戸惑いながらも、ナディアはできるだけ明るくそう声をかけた。
「失礼なことを申しました。ナディア様をどうぞよろしくお願い致します」
モルガンが深々と頭を下げると、後ろにいた使用人たちもみんな不安そうな顔をしながらも一緒に頭を下げた。
「必ずここへ帰ってきます」
ナディアの言葉に、使用人たちは皆涙を拭った。
馬車では時間がかかるため、パトリックはナディアと一緒に自分の馬に乗り森へと急いだ。
「……やはりモルガンは勘がいいな」
ビュンビュンと風を切って走っていく中、パトリックの呟きはナディアには聞こえなかった。




