32 共に生きる覚悟
ナディアを抱き締めながら、いつの間にかエドムンドは寝てしまっていた。
チチチ……と鳥のさえずりが聞こえ、窓からは明るい日の光が差している。どうやら晴れたらしい。
『んーっ、気持ちのいい朝ですよ!』
エドムンドはカーテンを開けながら、毎日飲み潰れていた自分を無理矢理起こすナディアを思い出していた。部下に裏切られ、失明して何もかもが面倒になっていたあの頃……ナディアの明るさに救われたことは言うまでもない。
実際のナディアはまだすやすやと眠っている。エドムンドは起こさないようにそっと立ち上がり、外を覗いた。
「……いい天気だ」
雨で濡れた木々たちが朝日で光り、キラキラと輝いて見えた。エドムンドは自分の頬をパチンと叩き、気合を入れることにした。
洗面所の冷たい水で顔を洗い、昨日までの暗く重たい気持ちを振り払った。
「俺がしっかりしなくてどうする」
鏡に映ったエドムンドの顔は、もう何も迷ってはいなかった。大切なものをもう二度と失いたくはない。そして、失わないためにはどうすべきかを早急に考える必要がある。
寝ているナディア傍にいき頬を撫でると、とても温かくて彼女は生きているのだと感じられた。
「んんっ……」
エドムンドの手に反応したのか、ナディアがゆっくりと瞼を開きのそのそと身体を起こした。
「おはよ」
「……おはよう……ございます……」
「体調はどうだ」
「大丈夫……です」
「ふっ、朝からいい眺めだな」
起きたばかりのナディアには、意地悪な笑みを浮かべたエドムンドの言葉の意味がわからなかった。
「服乾いてるぞ」
「乾いて……服っ!? うわぁっ!」
ナディアは自分がタオルを巻き付けているだけの状態だと初めて気がつき動転した。そしてだんだんと昨夜のことを思い出した。
「か、身体……見ましたよね!?」
「……見てねぇよ」
それは明らかに嘘だとナディアは思い、赤く染まった頬を両手で深く隠し俯いた。
「こんなところで見せるはずじゃなかったのに」
「だから見てねぇって」
「本当ですか?」
「ああ」
エドムンドは心の中で「あんまりな」と付け加えた。だが、本当に昨夜はそれどころではなかったのだ。ナディアの秘密を知り、かなり動揺していた。それに、体温の下がっているナディアを救うという気持ちが一番で下心などなく処置をしたのだから。
「見る時はもっとちゃんと見るから安心しろ」
「……っ!」
「さっさと着て、顔洗ってこい」
「はい」
これ以上は本当に目に毒だと思い、エドムンドはわざとぶっきらぼうにそう言って着替えが見えないように後ろを向いた。パタパタと歩く音が聞こえるのでどうやら、身支度を整えに行ったらしい。
「お待たせいたしました」
「おお」
振り向いたエドムンドの顔を、ナディアはじっと見つめた。痣のことは知られたくなかった。エドムンドに知られる前にひっそりと逃げようと思っていた。だけど、やっぱりナディアはエドムンドの近くを離れられなかったのだ。
「エドムンド様、ヴェナムに噛まれていることをずっと黙っていて申し訳ありませんでした」
「いや、俺こそ怒鳴って悪かった」
「こんなこと怒って当然です! エドムンド様は何も悪くありません。わたしが全部悪いのです」
不安気な表情のナディアの手を握り、エドムンドは優しく微笑んだ。
「ナディア、全て話してくれ」
「……はい」
ナディアは、ぽつりぽつりと今までのことを話し始めた。ヴェナムと遭遇して過呼吸になって倒れ、噛まれたところを父親に助けられたこと。そして優秀な医師に解毒剤を作ってもらったおかげでなんとか生き延びているが、完治はしておらず死を遅らせているだけだということ。それにエディとナナには解毒の協力をしてもらっているが、現状は今の薬以上のものはできていないということを全て話した。
「……なるほど。そういうことか」
「はい」
「研究のためとはいえナディアが頻繁にエディたちの家に行ってるのがおかしいとは思ってたが、やっと点が線に繋がったぜ。なんで俺は気が付かなかったんだろうな」
「わたしがナナさんたちには口止めをしていました。申し訳ありません」
「正直あいつらは知ってて、俺が知らなかったのは面白くはねぇ。でも俺に言えない理由があったんだろ?」
エドムンドの質問に、ナディアはこくんと小さく頷いた。
「痣が胸まで広がればいつ死んでもおかしくないと言われているのです」
「……そうか」
ある程度そうだろうと予想はしていたものの、実際にナディアの口から余命の話をされエドムンドは内心戸惑ったが、なるべく表情には出さぬよう取り繕った。
「わたしは……わたしは……知られる前にエドムンド様の前から姿を消すつもりでした」
「何も言わずに去るつもりだったのか」
ナディアが密かに姿を消そうとしていたことを知り、エドムンドはあからさまに眉をひそめた。
「勝手ですみません」
ナディアの瞳から静かに涙がこぼれ落ちた。エドムンド唇を噛み締めながら、彼女の次の言葉を待った。
「でも、できなくて。あなたの近くにいることが幸せだったので」
「……」
「憧れのあなた様と結婚できるなら……と陛下の話に飛びつきました。エドムンド様の傍に少しでもいられたら、この短い人生も悪くなかったと思えるだろうと考えたのです」
ナディアの大きな目からは、ポロポロと大粒の涙が溢れている。
「だけど、どんどん欲が出ました。妻にしてもらえたらいつ死んでも後悔しないと思っていたのに……エドムンド様ともっといたい……死ぬのが怖いと思ってしまったんです」
「じゃあ、生きて一生俺のそばにいろ」
真剣な顔のエドムンドはナディアの頬を両手で包み込み、力強くそう伝えた。
「……でも」
「俺が助けてやる」
「え?」
「何があっても、どんなことをしても、ナディアを俺が救ってやる。だから心配するな」
現状は何も解決されていない。だが、エドムンドに『大丈夫』と言われたら本当に大丈夫な気がしてくるのが不思議だった。八歳の頃からナディアのただ一人のヒーローは、エドムンドだけなのだから。
「……エドムンド様」
「俺が絶対に助ける。だって、お前は俺の妻だろ?」
そう言われてナディアは驚いたように目を大きく見開いた。
「本当にわたしでいいのですか?」
「どういう意味だ?」
「だってわたしは貴族らしいことはなにもできません。それにこんな醜い痣がありいつまで生きられるかわからな……」
そこまで言ったところで、ナディアの口はエドムンドの手で押さえられた。
「そこまでだ」
「……」
「何もできないだって? 笑わせるな。自堕落に暮らしてた俺を変えた女はこの世でナディアしかいない」
エドムンドは口を押さえていた手をどけて、指でそっと唇をなぞった。
「そういや……好きですとは言われたが、ナディアからきちんと求婚の返事もらってなかったな」
「それは……その……」
「俺と一生添い遂げて欲しい」
エドムンドの燃えるような赤い目は、ナディアを真っ直ぐに射抜いていた。
「……はい」
ナディアが了承の返事をすると、エドムンドは目を細めて優しく笑った。エドムンドはこんなに柔らかい表情もできるのだな、とナディアは胸が高鳴った。
「愛してる」
そして、聞き逃してしまいそうなほど小さな声がナディアの耳に響いてきた。
そんな甘い言葉を言う人ではないので、驚いてナディアがエドムンドを見上げると彼は普段と同じ仏頂面だったが耳だけが真っ赤に染まっていた。どうやら、自分で言ったことが恥ずかしいらしい。




