31 雷雨
「おはようございます! 晴れましたね」
「ああ」
「昨日の雨が嘘みたいですね。気持ちがいいです」
ナディアは昨夜よく眠れなかったが、なるべく元気に明るく振る舞った。
「顔色が悪いぞ」
「え?」
「なんか無理して笑ってる感じがするから。しんどかったら俺に寄っかかって寝ていろ」
いつもと変わらないように振る舞っているはずなのに、エドムンドにはわかってしまうらしい。
「……大丈夫です。雨風がきつかったので気になってしまってなかなか眠れなかったのです」
「そうか。確かに外がうるさかったな。無理はするなよ」
優しい顔でぽんぽんと頭を撫でられ、ナディアは涙が出そうになるのをぐっと堪えた。
「晴れてはいるが、また雨が降る可能性がある。だから今日は一気に屋敷に戻るぞ」
「はい」
胸の鈍痛はかすかに残ってはいるが、ナディアは屋敷に着くまでは痣のことを隠し通すつもりでいた。
グリフィスはスピードをあげてぐんぐんと駆けていき、順調に予定通りの行程を進んで行った。
「まずい。また降ってきたな」
「そうですね」
「あと数時間で着くが流石にこのまま進むのはまずいな。この近くに騎士団が休む休憩所がある。そこで雨宿りをしよう」
さっきまで晴れていたのに、いきなりポツポツと雨が降ってきた。
「グリフィス、もう少し頼むぞ」
グリフィスはエドムンドの言葉がわかるのか、さらにスピードをあげて雨の中を走ってくれた。
「ここだ」
小綺麗な小屋は横に屋根のある馬小屋も併設されている。騎士団で使う施設だというのも納得だった。
「グリフィス、よく頑張ってくれた。さすが俺の相棒だ。しばらく休んでくれ」
エドムンドはよしよしとグリフィスを撫で、ご褒美にポケットから角砂糖を取り出してあげると嬉しそうにカリカリと食べた。
「餌も置いとくからな。しっかり休んでくれ」
そしてここには馬の餌も常備されているらしく、グリフィスは干し草をむしゃむしゃと食べ始めた。
ナディアは常にエドムンドのそばにいて、信頼されているグリフィスがとても羨ましかった。
「俺たちも結構濡れたな。中で乾かすぞ」
「はい」
お互い髪から水が滴るくらい濡れてしまっている。エドムンドは、隠し場所から鍵を取り小屋の扉を開いた。
「割と綺麗だろ? すぐに火を起こすから濡れた服を脱いでおけ」
「いえ、わたしはこのままで大丈夫です」
「馬鹿! 風邪ひくぞ。こんな場所で何もしねぇからちゃんと全身拭いて乾かせ」
備え付けのバスタオルを押し付けられ、エドムンドにギロリと睨まれ怒られた。
ナディアは焦っていた。手を前にやり隠しているが、雨で服が透けて胸まで伸びた痣が見えてしまっている。さらに。これを脱ぐなんてできるはずもない。
エドムンドは小屋にある道具と薪で、器用に暖炉に火をつけている。パチパチという薪が燃える音だけが聞こえ、小屋の中は暖かくなってきた。
エドムンドはバサっと自分のシャツを脱ぎ、簡易のキッチン台でギュッと絞ると水が溢れ出てきた。やはりかなり濡れていたらしい。
鍛え上げられた上半身を直視できず、ナディアはエドムンドから視線を逸らした。
「ほら、お前の服も貸せ」
「いえ」
「早くしろ」
ギロリと睨まれたが、ナディアは脱ぐつもりはなかった。
しかしその時、ナディアの腹から胸にかけてズキズキと強い痛みが出てきた。
「うゔっ……」
ナディアは立っていられず、その場で身体を抱えるようにしてしゃがみ込んでしまった。
「ナディアっ! どうした」
「うっ……ゔっ……」
胸を手で押さえて苦しみ続けるナディアを見て、エドムンドは驚いていた。
「苦しいのか? 奥にベッドがある。早く横に……」
そう言ったエドムンドは、ナディアの姿を見て呆然と立ち尽くした。なぜなら、濡れた服の下の痣が見えたからだ。
「ナディア、お前……これ……」
エドムンドは必死で隠そうとしているナディアの肩を掴み、無理矢理正面を向かせ痣を確認した。そしてエドムンドは、自分がだんだんと血の気が引いていくのがわかった。
その痣をエドムンドは知っていた。なぜなら、騎士団長時代に、ヴェナムに噛まれた領民が、全身に痣が広がり死んでしまったという報告を受けたことがあるからだ。その時の報告資料には、ナディアと同じような痣がのっていた。
「まさか……以前ドラゴンに噛まれたって言ってたのはヴェナムのことだったのか?」
エドムンドの低く冷たく響く声を聞き、ナディアは自分の最大の秘密がバレてしまったのだということがわかった。
「なぜ俺に黙っていたっ!」
ビリビリと空気が凍るような恐ろしい声だ。赤く燃えるような瞳も、ナディアに怒りを向けているのがわかる。
「すみませ……ん……ごめんな……さ……い」
「謝って欲しいわけじゃねぇ」
「すみません……すみません……」
ナディアは苦しい胸を抑え、うわごとのようにただただ謝罪を繰り返した。
ナディアは力が入らないらしく、身体が前に倒れそうになったのをエドムンドが咄嗟に抱きとめた。
「怒鳴って悪かった」
「……すみ……ませ……」
「もう何も言わなくていい」
「すみませ……ん」
その言葉を最後にナディアは意識を手放した。エドムンドはナディアの濡れた服を濡れた脱がし、全身をタオルで包んだ。
暖炉のそばにいてもどんどん冷えていく身体は、ナディアの命が減っていくように思えてエドムンドは恐ろしくなった。
自分の体温ができるだけナディアに移るようにと願いを込めて、彼女の身体をタオルごとギュッと抱きしめた。
「どうして……ナディアなんだ……」
ナディアはエドムンドがやっと見つけた光だ。こんなつまらない人生なんてどうでもいいと思っていたところにいきなり現れて、エドムンドの生活をがらりと変えてしまった。
面倒だと思っていたのは最初だけで、ナディアが笑うと嬉しくて、ナディアと食べる食事は何よりも美味しかった。
ナディアがいるから、この国を守りたい。ナディアがいるから、エドムンドは彼女が憧れてくれた強く格好良い騎士であり続けたいと思ったのだ。
「今更お前がいない世界になんて戻れねぇよ」
あまりにも弱々しい声が出たことに、エドムンドは自分を情けなく思った。
身体がしんどいのも、心が傷ついているのもナディアなのだ。自分が傷ついている場合ではない。そう思うのに、どうしても不安で胸がいっぱいになってしまった。
外の雨はさらに強さを増し、雷が鳴り響いていた。それはまるでエドムンドの心を表しているかのようだった。




