30 晴れのち雨
「エドムンド様が……わたしを……好き?」
「ああ」
「それは……どういう意味ですか」
ナディアはまるで魂を抜かれたかのように、ぼんやりとしたままエドムンドに問いかけた。
「もちろんそのままの意味だ」
エドムンドはその場で片膝をつき、ナディアの左手をそっと取った。これは騎士が求婚する時にとる正式なやり方だった。
「もうつまらない意地をはるのも、自分の気持ちに蓋をするのもやめた」
その力強い声は、エドムンドの覚悟を表していた。
「ナディアがいないと俺の人生はつまらねぇ。だから、俺はずっとナディアと一緒に生きていきたい」
「……」
「どうか俺と本物の夫婦になって欲しい」
あまりにも真っ直ぐな求婚に、ナディアはこれは現実に起こったことなのかと混乱していた。ナディアが知っているエドムンドは、こんなことをしてくれるはずがないからだ。
「エドムンド様、これは夢ですよね」
「夢じゃねぇよ」
「じゃあ……本当にわたしと」
「ああ」
「わたしとエドムンド様が夫婦に?」
「ああ」
微笑んだエドムンドはナディアの左手にちゅっとキスを落とした。ナディアは恥ずかしくて全身を真っ赤に染めた。
「イエス以外の返事は認めねぇぞ」
いつもの調子の言葉に、ナディアは本当にエドムンドが求婚してくれたのだという実感が湧いてきた。
「俺がこれだけ言ってるんだ。さっさと返事をしろ」
こんな時までも俺様な発言に、ナディアは内心笑ってしまった。だが、ナディアの左手を持つ手が小さく震えていることに気がついて息を呑んだ。
――エドムンド様、緊張してるんだわ。
何も言わないナディアをじっと見つめながら、エドムンドは不安そうな顔でこちらを見上げていた。
「……エドムンド様」
「なんだ?」
「わたし、エドムンド様が大好きです」
ナディアの大きな瞳からは、ポロポロと大きな涙がたくさん溢れた。
「エドムンド様に求婚してもらえるなんて、まるで夢みたいです。嬉しい」
太陽の日差しがナディアの濡れた瞳を輝かせ、幸せそうに微笑んだ彼女をより一層美しくみせた。
「夢じゃねぇよ」
エドムンドは立ち上がり、ナディアを引き寄せ強く抱きしめた。
「俺は騎士に戻ろうと思う。色々手続きしなきゃなんねぇから、少し時間はかかるだろうけどな」
「騎士に戻られるのですか!」
「ああ。ナディアと剣の稽古をしてみて、才能ある若者を育てるのも悪くねぇって思ったんだ」
「うっ……うゔっ……騎士戻られるのも……とっても嬉しいです」
ナディアはエドムンドの胸の中で、またぐずぐずと泣き出した。
「それに、俺はこの国を守りたいと思った」
「……エドムンド様、ご立派です」
「全然立派じゃねぇよ。お前が……ナディアがいる国をこの手で守りたいだけだからな」
それを聞いたナディアはまた涙が止まらなくなってしまった。
「はは、お前どれだけ泣くんだよ」
「だって、エドムンド様が泣かすからです。嬉し泣きだからこれはいいんです」
「そうかよ」
エドムンドは優しく背中を撫でながら、子どもをあやすようにナディアを慰めた。
「エドムンド様、誰よりもあなたを愛しています」
ナディアははっきりとそう伝えると、エドムンドは耳を真っ赤にしながら聞こえるか聞こえないかの声で囁いた。
「……俺もだ」
エドムンドはまだ自分から『愛してる』と言うことはできなかった。この溢れんばかりのナディアへの愛おしい気持ちは、最近自覚したものなので戸惑っているというのも正直なところだったからだ。
「わたしはこの世で一番の幸せ者ですね」
へにゃりと眉を下げて嬉しそうに笑ったナディアを見て、いつか自分の口できちんと愛の言葉を伝えようとエドムンドは心に誓った。
「……大袈裟」
「大袈裟ではありません」
「これから俺がもっと幸せにする」
エドムンドの言葉に、ナディアは胸がぎゅっと締め付けられた。
「エドムンド様、わたし……あなたに言わねばならないことがございます」
「なんだ?」
「あの……」
いつもはっきりとものを言うナディアが、とても気まずそうに口ごもった。
「あの……」
エドムンドに本当のことを伝えるのは、ナディアはとても辛かった。だが、ナディアを本物の妻にしたいと言ってくれたエドムンドにこれ以上嘘をつき続けるわけにはいかないと覚悟を決めた。
その時、今まで晴れていた空に急に翳りが出てきた。遠くではゴロゴロと雷も鳴っている。
「これは降りだすな。すぐにここを出て宿まで急ぐぞ」
「は、はい」
エドムンドに手を引かれ、ナディアは自分の秘密を打ち明けるタイミングを逃してしまった。
「母さん、親父またな。俺はこれからナディアと生きる。だから心配しないでくれ」
そう言って微笑んだエドムンドは、ナディアを連れて丘を駆け降りた。
ナディアは本当のことを言えないままでいることが、とても心苦しかった。本当はこの幸せを壊す話なんてしたくなかったが、黙っていられるはずもない。
エドムンドがナディアを好きでいてくれる。ナディアは、ただそれだけで涙が出るほど嬉しかった。
だが、エドムンドと本物の夫婦になることはできない。毒で侵されたナディアの身体はいつどうなるかわからないからだ。
「なんとか宿まで雨がもったな」
「……はい」
途中で最低限の休憩だけを取り、なんとか目的の宿に辿り着いた。ぼんやりとしているナディアの隣で、エドムンドはテキパキと宿泊の手続きをした。
「二部屋で頼む」
「かしこまりました」
宿屋の店主に鍵を渡され、二人は指定された部屋に移動した。
「ナディア、どうした?」
「……は、はい。すみません、少し疲れてしまって。だめですね。ははは」
心ここに在らずだったナディアは、エドムンドに顔を覗き込まれてやっと正気に戻った。そしてわざと笑って、なんとか誤魔化した。
「今日は言わねぇのかよ?」
「え? 何をですか」
「ダブルで一部屋にしてくれって」
エドムンドはニヤリと笑って、意地悪そうにそう尋ねた。そこまで言われて、ナディアどういう意味かさすがにわかった。
「き、今日は別でいいですっ!」
ナディアは真っ赤に頬を染め、ブンブンと左右に首を振った。
「なんだ。俺は同室でもよかったのに」
色っぽく微笑んだエドムンドは、どこまで本気なのかわからない。ナディアは、エドムンドの態度の変わりように戸惑っていた。
「エドムンド様らしくないこと言わないでくださいっ!」
「別に本気だけど」
「で、でも! やっぱりだめです」
「なんで」
「胸がドキドキして張り裂けそうなので」
これはナディアの本音だった。今までは応えてもらえるはずがないとわかっていたから、容易に近付いていたのだ。
両想いなことはものすごく嬉しいが、いきなりすぎて心と身体がついていかない。それに幼い頃からエドムンド一筋で恋愛などしてこなかったナディアは、本当の恋人同士がどう過ごすのかなどよくわからなかった。
「あんまり可愛いことを言うな」
エドムンドは耳を赤くさせながら、ぶっきらぼうに呟いた。
「か……かわいい?」
「ああ。取って食われたくなきゃ言葉には気をつけろ」
真っ赤になったナディアの鼻をギュッとつまみ、エドムンドは恨めしそうな顔でギロリと睨みつけた。
「まあ、帰るまで手を出さねぇから安心しろ」
「……っ!?」
「明日も天候が不安定そうだ。晴れていたら早朝から出て急いで屋敷に戻る。雨なら様子見だな。どちらになるかわからねぇから、一応早く寝ておいてくれ」
「はい。おやすみ……なさいませ」
「おやすみ」
優しく目を細めたエドムンドに頭を撫でられ、そのままパタンと扉が閉まった。
「ずるい」
ナディアはずるずるとその場でしゃがみ込み、赤くなった頬を両手で隠した。
今まで『女嫌い』だと言われ、ガキだと冷たくあしらわれていたのに……こんな甘い態度をされたら困ってしまう。
ナディアは立ち上がってふらふらとベッドに移動して、ぼすんと倒れ込んだ。
エドムンドが自分を好いてくれているのだと思うと、胸がいっぱいでついニマニマしてしまう。ジタバタと足をばたつかせ、何とも言えない喜びを噛み締めた。
「……でも、ちゃんと話さないと」
ザーッザーッ
「すごい雨だわ。明日は大丈夫かしら」
窓の外は横殴りの雨が降っていた。
ひとしきり喜んだ後、ナディアはだんだん現実に気持ちが戻ってきた。シャワーを浴びて、この浮ついた気持ちを落ち着かせることにした。
服を脱ぐと、お腹の辺りにズキっと強い痛みを感じナディアは眉を顰めた。
「……なんで? 昨日より増えてる」
ナディアは鏡に映った自分の姿を見て、呆然としていた。お腹の辺りの痣が胸の近くまで広がっていたからだ。
「薬はきちんと飲んでいたのに」
この旅でもきちんと薬は飲んでいた。だが、もう解毒剤が効かなくなってしまったのだろう。胸まで伸びたらもう命は僅かだと医師には言われている。
「……今日じゃなくてもいいじゃない」
ナディアの目から静かに一筋の涙が流れた。覚悟はしていた。だが、こんな幸せな日に症状が進行するなんて酷い話だ。
外の雨はさっきよりもさらに強く降り、窓をガタガタと揺らしていた。




