28 故郷③
「最後のほうのページを見て」
まだこの事実を受け入れられていないエドムンドだったが、ページを飛ばしていった。
愛する妻が死んだらどうしたらいいのか。もう病気は治らないらしい。せっかく稼いだ治療費も、エドのために残したいと全く病院には行っていないらしい。エドのために生きなければ。だが……どうしたらいいのか。
「治療費だと? 親父は騎士で稼いだ金を入れてなかったはずだ。だから母さんは薬ももらえずに死んで……」
「違うわ。アランはきちんと送金してた。だけどお母様は治療費をあなたのために貯めていたのよ。もう治らないからと」
「そんなはずは」
「間違いないわ。家にまとまったお金があったんじゃない?」
両親がほぼ同時に亡くなったエドムンドの家には、確かに平民の家にしては多めの金が残っていた。あの時のエドムンドは絶望の中にいたし、母親の葬儀のためにずっとバタバタしていて近所の大人がたくさん家に出入りしていた。
だからエドムンドは、父親の弔問金を騎士団のだれかが届けてくれたのだと思っていたがどうやら違ったらしい。
「弔問金じゃなかったのか」
「王都の正式な騎士なら知らないけど、こんな田舎の平民上がりばかりの騎士団じゃ死んでもそんなまとまった金くれないわよ」
「じゃあ……あれは父の稼いだ金だったのか」
「そうよ」
エドムンドはあのお金のおかげで剣を買うことができ、王都への路銀も確保できたのだった。
苦しい。酒に逃げても何もならないことはわかっているが、妻が痩せて苦しんでいる姿を見るのが辛い。自分より何倍も大きい恐ろしい魔物と戦うのも怖い。何もかも忘れたい。
さらにページを進めると文字は乱れており、苦しいと書かれてばかりだった。
「その頃のアランは毎晩気を失うまで飲んでいたわ。完全に酒に依存していたの。字もガタガタでしょう?」
「……」
エドムンドは自暴自棄になっていた自分と父親を重ね合わせた。ナディアがいなければ、エドムンドもこうなっていた可能性はある。
「あなたたちの前では強い父親、強い夫でありたかったのよ。だからあたしの前で弱音を吐いてた。だけど男女の仲になったことは一度もなかったわ」
「本当に?」
「ええ。アランはあなたのお母様だけを愛していたわ。他に好きな女がいる男の愛人だなんて、あたしは願い下げよ」
ふんと鼻で笑った女は、はっきりとそう言い放った。
「それにあなたのお母様、あたしのことを知ってたわ。一度アランの弱さを受け止めてあげてほしいって頭を下げにきたの。驚いたわよ」
「なんだって?」
「自分には弱音を吐かないからって哀しそうに笑ってたわ。だけどそんな強がりなアランも好きだって、最後には惚気てた。やってられないわよ」
「母さんが……知ってた」
エドムンドはこの女が嘘を言っているようには思えなかった。そして自分が長年勘違いしていたのだと言うことが、やっとわかった。
「……俺は貧しくてもよかったのに」
農民だった頃は貧しくとも幸せだった。なのに騎士になった父親はどんどんと変わってしまった。魔物と対峙する恐ろしさは自分もよくわかっている。命を落とした先輩や同僚もたくさん見てきたからだ。
エドムンドはこれまでいつ死んでもいいと思っていた。死んだところで悲しむ家族もいなければ、守るべき相手もいない。だから、どんなに恐ろしい魔物にも向かっていけたのだ。
だが、エドムンドの父親は守りたいものがあった。きっと死にたくなかっただろう。
「あんたたちに少しでもいい暮らしさせてやりたかったんだろ」
「……そうだろうな」
「それに男が見栄をはる気持ちは、あんたにもわかるんじゃないの」
エドムンドはその気持ちは痛いほどわかってしまった。自分ももし父親と同じ立場なら、騎士を目指していただろう。
「あとこれも。結婚指輪お守りに首からかけてたらしいよ。魔物が出る森深くで亡くなったから遺体を運べなかったのは知ってるでしょう? これはアランの最期の遺品だから持って帰って」
エドムンドの手の中に、シンプルで簡素な指輪が置かれた。なんの飾りもないものだが、母親の指にもはまっていた。
『これは結婚するときに、アランが必死にお金を貯めて買ってくれた宝物なのよ』
嬉しそうに頬を染めて話す母親の顔を、エドムンドはふと思い出した。
「うっ……ううっ」
話を聞いてぐすぐすと泣いているナディアを見て、エドムンドは苦笑いをした。
「なんでお前が泣くんだ」
「だって……だって。ううっ……エドムンド様、明日この指輪をお母様のお墓に入れてあげましょう」
「ああ」
エドムンドの父親の墓は存在しない。ずっと恨んでいたからということもあるが、遺品もなくそもそも入れるものがなかったのだ。
「捨てずにいてくれて感謝する」
「流石に遺品を捨てるほど人でなしじゃないわよ」
「やっぱり俺は親父の全ては許せない。母さんの病気から目を逸らして看取らなかったことは、間違っていると思う。だが、今日話を聞いて俺たちのために必死に働いていてくれたことはわかった」
「それで充分でしょう」
「あなたのこともずっと誤解して悪かった」
「……いいわよ。別に。こんな水商売してたら、恨まれるのは慣れてるわ」
フッと笑った女は、とてもスッキリとした顔で微笑んだ。
「さあ、もう帰んな。こっちは店開けるんだから」
「ああ、邪魔したな」
「アランの息子に会えて良かったわ」
じっとエドムンドを顔を見つめた女は、とても切ない表情をして目を細めた。それはまるでエドムンドを通して、父親のアランを見ているかのようだった。
「あの……あなたはまさか」
ナディアは、女はアランを大切に思っていたことに気が付いてしまった。たとえ男女の仲ではなくとも、この女はアランに片思いをしていたのだろう。
だからこそ、遺品を大事に取っておいたのではないだろうか。
「お嬢ちゃん、いらないことは言うんじゃないよ」
ナディアをギロリと睨んだ女は、色っぽくニッと口角を上げた。
「あたしにとってアランはただの金蔓よ」
これは幼いエドムンドが聞いた台詞だが、昔とはだいぶ印象が違って聞こえた。
アランが死んでしまったことが辛かったこの女は、強がるためにこの台詞をわざと吐いたのだろう。
「……そういうことにしておこう」
「ええ。さようなら」
「ああ」
パタンと扉が閉まり、エドムンドは無言のまま歩き出した。ナディアも後ろに付いて無言のまま歩いた。
こんな話を聞いてはもうご飯どころではない。何か腹に入れた方がいいとは思うが、そんな気分にはなれなさそうだ。
「今日は付き合わせて悪かったな。飯も食えなくて」
「そんなの気にされなくていいですから」
「じゃあゆっくり休んでくれ。明日の朝はしっかり食事をとろう」
「はい」
宿に戻ったエドムンドは、ナディアにそう言って扉を閉めた。ナディアは自分の部屋に戻り寝る準備を即座に整え、エドムンドの部屋の扉をノックした。
「どうした?」
掠れてあまり元気のないエドムンドの声に、ナディアは胸がズキリと痛んだ。
「エドムンド様」
「……なんだ」
「この宿は扉が風でガタガタ聞こえて怖いのです。だから一緒に寝てくださいっ!」
ナディアは今夜エドムンドをどうしても一人にさせたくなかった。そんな見え透いた嘘をついたナディアの頭を、エドムンドはぐしゃぐしゃと撫でた。
「仕方ねぇな」
「はい」
「俺も寒いと思ってたんだ」
「なら……良かったです」
田舎の宿なので、部屋にあるベッドはシングルサイズだ。体格の良いエドムンドが寝たら場所は埋まってしまう。
「もっとこっちに寄らないと落ちるぞ」
「は、はい」
抱き寄せられたナディアは、エドムンドの逞しい胸の中にすっぽりと収まった。ナディアはドキドキして息が止まりそうになる。
「お前は温かいな」
「そ、そうですか?」
「ああ。心地いい」
エドムンドにそう言ってもらえたことが、ナディアはとても嬉しかった。
「……ありがとな」
聞こえるか聞こえないかのとても小さな声で、エドムンドはナディアにお礼を述べた。
ナディアは「わたしはなにもしてません」と言って小さく首を横に振った。
「一人だったら俺は話を聞いてない」
「じゃあ、お役に立てて良かったです」
「ああ、感謝してる」
いつになく素直なエドムンドに、ナディアは内心驚いていた。
「正直まだ混乱してる。俺はずっと親父を恨んでたのに」
「そう……ですよね」
「親父は俺も母さんも愛してくれてたし、母さんを裏切ってもいなかったことを知れたのは嬉しかった。もちろん許せない部分もあるのだが」
「ええ、きっとそれでいいと思います」
ナディアにそう言われて、エドムンドは気持ちがすっと楽になった。
「エドムンド様、大好きです」
「……もだ」
俺もだと言いたかったのに、エドムンドは緊張して声が掠れて出なかった。
「大好き」
ナディアは甘えるようにエドムンドの胸に頬を寄せた。その仕草があまりに愛らしくて、堪らなくなったエドムンドはナディアをさらにぎゅっと抱き締めた。
「……好きだ」
静かな部屋の中で自分の声だけが響き、胸の鼓動はバクバクと煩くて心臓が口から出そうだった。
「おい、なんとか言えよ」
勇気を出して一世一代の告白をしたのに、なんの反応もないことに不満を露わにした。
「くーっ……くーっ……」
すると、胸の中からは規則正しい寝息が聞こえてきた。
「まさか寝てやがんのか!」
ちらりと下を向いて確認すると、ナディアは気持ちよさそうにスヤスヤと眠りについていた。
「信じられねぇ」
「んにゃ……」
「んにゃじゃねぇわ!」
幸せそうなナディアに悪態をついてみるものの、一向に起きる気配はない。
「おやすみ」
エドムンドはナディアのおでこにキスを落とし、自分もそっと瞳を閉じた。
今夜は眠れないだろうと思っていたのに、ナディアの柔らかさと温かさに安心して自然と睡魔が襲ってきた。
もぞもぞと胸の中でなにかが動く気配で、エドムンドは目を覚ました。
「お、おはようございます」
頬を真っ赤に染めたナディアに上目遣いで見つめらたエドムンドは、ギリッと唇を噛んで自分に痛みを与えた。
そうでもしないと、色々とまずいことになることは容易に想像ができたからだ。
いくら今までは女嫌いだったとはいえ、エドムンドは聖人ではない。だから、人並みに男としての欲は持っている。その欲を今までは自分で解決していただけだ。
しかも、女を避けていた原因だった父親のことが昨夜解決したのだ。そんなタイミングで自分の胸の中に、好きな女性がいたら身体が反応してしまうのは仕方ないだろう。
「エドムンド様?」
「なんでもない」
不思議そうな顔のナディアをガバリと自分の身体から離し、エドムンドはなんとかなにも気付かれないように取り繕った。




