27 故郷②
ナディアとエドムンドは順調に旅を進め、途中で現地の名物を堪能したりしながらもあっという間に三日目の夜を迎えていた。
「だいぶ進みましたね」
「ああ、ここはもうケルン村の近くだ。だがあそこには宿なんてないからこの町に泊まるぞ」
「わかりました」
周囲はだいぶ田舎になってきた。この辺りにはホテルなんてものはなく、小さな宿屋があるだけだ。
「宿がボロくても我慢しろよ」
「大丈夫です。お父様と魔物討伐してた時は、野宿したこともあるので」
「野宿だと?」
ナディアが騎士を目指していた普通の令嬢ではないとはわかっていたが、貴族令嬢で野宿をしたことがある人間はいないだろう。
「はい! わたしに誰も近付かないようにお父様が周りの騎士たちを威嚇するものだから、みんなが怖がって大変でしたけど。過保護で困りますよね」
あははと笑っているナディアを見て、エドムンドは不機嫌そうに眉を顰めた。父親が威嚇するのは当たり前だ。男だらけ騎士たちの中に紅一点のナディアがいたら、手を出される可能性がある。
「お前は危機感が足りねえ」
「え?」
「まあ、いい。野宿でも平気なら、どこでも大丈夫だな」
「はい」
古いが小綺麗な宿を見つけたエドムンドは、やはり二部屋分の費用を支払った。
「ここは鍵が簡易だから気をつけろよ。なんかあればすぐに俺を呼べ」
「はい」
なんだかんだでナディアのことを心配してくれるエドムンドに、ナディアはついニマニマしてしまう。
「なんだその変な顔は」
「レディに失礼ですよ。元々こんな顔です」
「そうかよ。荷物だけ置いたら飯を食いに行くぞ」
「わかりました」
準備を終えたナディアはエドムンドの腕に手を絡め「行きましょう」と町を歩き出した。最近のエドムンドは、ナディアがこんなことをしても手を振り解かなくなっていた。
抵抗するのが面倒なだけかもしれないが、ナディアはこうして歩くと恋人同士のようで嬉しかった。
「どのお店にしましようか」
そんなことを話しながら歩いていると、ナディアは道の角でドンと勢いよく誰かにぶつかった。
いきなりの衝撃に驚き倒れそうになるのをエドムンドに抱き留められた。エドムンドはナディアを抱き留めながら、器用にぶつかってきた女性の手を取りこけないように支えていた。
「ありがとうございます」
「気をつけろ」
「はい」
ナディアがお礼を言うと、エドムンドはそっと手を離した。
「申し訳ありません。ありがとうございました。前をちゃんと見ておら……」
ぶつかってきた女性は礼を言いかけたが、エドムンドの顔をみた途端に固まってしまった。
その女性はナディアの母と同じくらいの年齢で少し派手めな格好ではあるものの、なかなかに綺麗な顔をしていた。
「ア、アラン……!」
青ざめてガタガタと震えながら、まるでお化けを見るような表情だ。
アランとは誰だろうかとナディアが不思議に思っていると、エドムンドの顔があからさまに歪んだ。
「……ああ。お前、親父の愛人か」
エドムンドの中で、閉じ込めていたはずのドロドロとした暗い感情が溢れてきた。母親が死んだ日、父親がこの女といたことを鮮明に思い出してしまったからだ。
手を乱暴に離し、蔑むような冷たい視線を女性に向けた。
「親父? じゃああなたはアランの息子なのね」
「てめぇには関係ねぇだろ。行くぞ」
ナディアの手を取りずんずんと進んでいくエドムンドに、その女性は大きな声をあげた。
「待って! あなたは誤解してる。それに渡したいものがあるの。アランのものよ」
その声はとても悲痛で、ナディアは胸が締め付けられた。ナディアにはこの女性が嘘を言っているとはどうしても思えなかったのだ。
「エドムンド様、話を聞きましょう」
ナディアが急に立ち止まったので、エドムンドはぐっと腕が引っ張られた。
「はあ? なんであんな女の話を聞かなきゃならねぇんだ」
「こんな場所で会ったのは何かの縁です。きっとお父様のことを知れるチャンスです」
「親父もあの女も最低の奴だ! それ以外の何者でもない」
エドムンドが本気で怒っている姿をナディアは初めて見た。その恐ろしい圧に負けそうになるが、ナディアはグッと拳を握りしめた。
「でもお母様が愛したのはそのお父様です」
「……っ!」
「わたしは親がみんな子どもが一番だなんて綺麗事は言いません。実際に捨てたり、虐待したりする親はたくさんいますから」
ナディアは大好きなエドムンドを産んでくれた彼の両親を悪く思いたくない。だが、エドムンドの父親がエドムンドを傷つけたことは間違いない事実なのだろう。
だが、ナディアはエドムンドが苦しく思っていることはできるだけなくしてあげたいと思っていた。
エドムンドは父親のことが原因で、人を信じたり愛することが苦手なのだろう。これはそのトラウマを解決するチャンスだとナディアは思った。
「だけど、あの方の話を聞いてから判断しても良いのでは? 今の時点でもお父様のことは嫌いなのですから、最後に話を聞いてみませんか」
「……」
「わたしも一緒に行きますから」
震えているエドムンドの右手に、ナディアはそっと自分の手を合わせた。その震えは怒りなのか、悔しさなのか、怖さなのかはわからない。ナディアはエドムンドの大きな手を両手でぎゅっと包み込んだ。
「行きましょう」
「……」
「大丈夫です。きっと大丈夫ですから」
ナディアはエドムンドを真っ直ぐ見つめた。その瞳にはなんの迷いもなかった。
「……わかった。俺もそろそろ自分の中で区切りをつけたい」
大きく深呼吸をして、エドムンドは心を落ち着かせた。怖いものは何もない最強の騎士だなんて言われていたくせに、自分の過去と向き合うのはこんなにも怖い。
だが、ナディアが隣にいてくれたら何があったとしても乗り越えられる気がしていた。それだけナディアの『大丈夫』という言葉には力があった。
エドムンドは来た道を戻り、さっきぶつかった女に声をかけた。
「手短に話せ」
「……渡さなきゃいけないものがあるから、あたしの店に来て欲しいの。すぐそこだから」
その場所は小さな飲み屋のようで、女は表の札を『クローズ』に変えてエドムンドとナディアを店内に招き入れた。
「ごめんなさい。あたしも案外動揺してるみたい。一本いいかしら」
「勝手にしろ。だがこいつの近くで煙を吐くな」
エドムンドは吸わないが、貴族は喫煙者がとても多い。だからナディアも慣れてはいるが、煙草は精神を落ち着かせるだけではなく常習性があるのではと言われていた。
「ふふ、あんた大事にされてていいわね」
女はナディアを横目で見ながら、慣れた仕草で煙草を取り出すとマッチを擦って吸い始めた。そして、ちゃんとナディアがいない方向に煙を吐いた。
「あたしはアランの愛人なんかじゃないよ。ただの店員と客の関係だった」
「だが、お前の部屋に親父がいただろう」
「……それは悪かったわ。まさか息子のあなたにに見られてたなんてね。あの当時あの人はあたしの太客だったから、酔い潰れたら部屋に連れて帰ってたの。若い頃はあたしも雇われていたから、アフターだと店から給金がもらえるからね。だけど男女の関係は無かったわ。なんの接客をしなくても、ただ話を聞いたらお金を落としてくれるいい客だった」
女は煙草を灰皿に押し付け、火を消した。
「そんなこと信じられるか。あの男は母さんが死んだ日もお前のところにいたんだぞ!」
エドムンドはドンと机を叩き、怒りを露わにした。
「アランはあなたたちに弱さを見せたくなかったみたいだけど、息子のあなたには知る権利があると思うわ。ちょっと待ってて」
そう言って女は奥の部屋に行き、しばらくすると本のようなものを手に戻ってきた。
「これを」
「なんだこれは」
「アランの日記よ。死んだ後に遺品としてわたしのもとに来たの。すでに奥様も亡くなっていて、息子のあなたの村を出て行方もわからないからと言ってね」
エドムンドはゆっくりと日記を開いた。間違いなくそれは父親の直筆だった。
愛する妻子のために騎士団に入ることにした。農民の自分が魔物を倒すことなどできるのだろうか? だが、このまま貧しい暮らしをさせることはできない。覚悟を決めなければ。
活躍を認めてもらえた。給金も上がり、妻やエドにお腹いっぱい肉を食べさせることができた。だが、来週は今回よりも厳しい討伐になるそうだ。こんなことをいつまで繰り返さないといけないのか。早く二人に会いたい。
ページをめくればめくるほど、エドムンドが想像していた父親とは別人のような内容だった。
酒に溺れる前の父親は、頼り甲斐があり立派で強く優しい男だった。だが、日記に書いてあるのは等身大の弱い普通の男の心情だった。
「それがアランの本心だったんだよ。あなたたちには言えなかっただろうけどね」
女は哀しそうな目で、エドムンドをじっと見つめた。それはエドムンドの中にアランを見ているかのようだった。




