26 故郷①
「さっさと行くぞ」
「はいっ!」
昨夜夕ご飯も食べずに椅子に座ったまま寝てしまったナディアは、いつの間にかベッドで眠っていた。前の日に夜遅くまでシチューを煮込んでいたので、睡魔が襲ってきたのだ。
侍女たちからエドムンドがベッドまで運んだのだと聞かされたナディアは寝顔を見られたことが恥ずかしかったが、エドムンドの優しさが嬉しかった。そのまま放っておいてもいいのに、わざわが運んでくれたのだから。
「ではモルガン、留守を頼んだ。何かあればすぐに知らせてくれ」
「承知いたしました。行ってらっしゃいませ」
最小限の荷物を持ってグリフィスに乗り、使用人たちに見送られながらバンデラス伯爵領を出発した。ナディアが前で、エドムンドに後ろから抱き締められるようにして座っている。
「飛ばすぞ。ちゃんと捕まってろよ」
「ひゃっ……!」
抱き締められていることにドキドキと胸を高鳴らせる暇もなく、グリフィスはビュンビュンと風を切って駆け出した。最初はそのスピードに驚いたナディアだったが、すぐに気持ちよくなってきた。
「グリフィスはすごいですね」
「だろ? 俺の愛馬だ。どの馬よりも速いし、持久力もあるんだぜ」
エドムンドの嬉しそうな声に、グリフィスはエドムンドに大切にされているのだと思った。
「いいですね。グリフィスは」
「はぁ?」
「わたしもグリフィスになりたいです」
ずっとエドムンドに愛されて、頼られるなど羨ましいことこの上ない。
「お前はどう見ても馬面じゃねぇだろ?」
「もう、そういう意味じゃないです!」
全然意味をわかっていないエドムンドに、ナディアはムッと唇を尖らせた。
「……お前がグリフィスだったら困る」
「え?」
真剣な声を出したエドムンドに驚き、どういう意味なのかとナディアは後ろをチラリと振り返った。
「大事な時にドジをしそうだしな」
真面目な顔を崩しニヤリと意地悪な顔をしたエドムンドをナディアはギロリと睨みつけ、手の甲をぎゅっとつねった。
「痛ぇ!」
「すみません、手が当たってしまいました」
「絶対にわざとだろうが!」
エドムンドとナディアはいつも通りの調子で、旅を続けて行った。自分の気持ちを自覚したエドムンドは内心少し戸惑っていたが、いざ二人きりになると今までと何も変わらない態度を取ることができた。
こんな他愛ない言い合いも、エドムンドにとっては大事な時間だった。
途中で休憩を何度か挟みながら、一日目の行程を無事に終えた。王都からそこまで離れていないため、まだここは都会であり大きな街だった。
その中でもとても高級そうなホテルを選んだエドムンドに、ナディアは遅れないように慌てて後ろをついて行った。
「今日泊まりたいのだが」
エドムンドがホテルのコンシェルジュにそう声をかけると、チラリとナディアを見てニコリと微笑んだ。
「一室でよろしいですか? ダブルとツインはどちらにいたしましょう」
そう言われたナディアは、このコンシェルジュには自分たちが夫婦か恋人に見えているのだと嬉しくなった。目を輝かせたナディアは、エドムンドの前にぐいっと出た。
「是非ダブルで!」
「ニ部屋だ」
ほぼ同時に聞こえた相反する答えに、コンシェルジュは困ったような笑みを続けた。
「おい、なにがダブルだ」
エドムンドに恐ろしい声で睨みつけられ、ナディアはそっと視線を逸らした。
「だ、だって……お金も勿体ないですし一緒でいいじゃないですか」
「俺が金がねぇように見えんのか」
「見えませんけど! 大好きなエドムンド様とせっかくの旅行なんですよ? 部屋くらい一緒でもいいではありませんか」
そんなことを言い出すナディアを、エドムンドは無視をすることにした。まだナディアへ気持ちを伝えていないのに、二人きりで過ごして間違いがあってはいけないからだ。
「却下だ。二部屋で、できればベッドが大きな部屋にしてくれ。あと外に繋いである馬を一晩預かって欲しい」
「かしこまりました」
ちぇっと拗ねているナディアを見て、エドムンドはふうとため息をついた。こっちがどんな気持ちでいると思ってるのかと、エドムンドはだんだんと腹が立ってきた。
ナディアがエドムンドのことを好きだという気持ちは、疑う余地もないほどの事実だ。エドムンドのことを心から慕っているし、今日だってグリフィスに乗るために触れただけで嬉しそうに頬を染めていた。
だがナディアの想いはなんというか……男女の恋だというよりはもっと大きな広い意味での愛な気がしていた。
エドムンドは今まで特定の誰かを好きになったことはない。だから好きな人にどう接すればいいのかなどわからなかった。
だが、ナディアを見ているとエドムンドはふと不安になった。ナディアの好きと自分の好きは同じなのだろうかと。
ナディアの好意はとても純粋で綺麗なものだ。見返りなど求めない無償の愛に近い。今までナディアはエドムンドに色んなことをしてくれているが、その対価を求めるようなことは一度もなかった。
だが、エドムンドは違う。ナディアに自分だけを見て、自分だけを愛して欲しい。自分が愛した分、愛して欲しいのだ。
エドムンドはそんな醜い独占欲が自分の中に芽生えていることが、とても嫌だった。
それにナディアはエドムンドに何かを隠している気がしていた。普段は天真爛漫な少女に見えるナディアだが、時々とても切ない表情をすることがある。それはまるでエドムンドが知らない女性かのようだった。
以前、ドラゴンのトラウマから騎士を諦めた過去を話してくれた。それならば、ナディアが怯えて暮らさなくてもいいようにエドムンドが自分の手で彼女を守ってやりたかった。
だが、きっとナディアにはその秘密以外のなにかがある。
ナディアのことを全てを知りたい。そう思うことは、思い上がりなのだろうかとエドムンドは考えていた。
「さっさと寝ろ。明日も朝から出るぞ」
「添い寝は……」
「いらん!」
「わかりました。おやすみなさいませ」
「ああ」
ナディアがホテルの部屋に入ったのを見届けて、エドムンドも隣の部屋に入った。
♢♢♢
「一緒の部屋で良かったのに」
ナディアは部屋に入り荷物をおろした。グリフィスに乗る分だけなので、最低限の持ち物だ。可愛い夜着も持ってこれなかったので、シャワーを浴びた後は備え付けのバスローブに袖を通した。
「痣が少し大きくなっているわね」
高級ホテルらしくバスルームには大きな鏡が置いてあった。そこでは嫌でも自分の身体が目に入る。
エドムンドと同じ部屋が良かったという気持ちは本当だが、この痣を見せるわけにはいかないのではやり別室で良かったと安堵した。
実は毒の治療は上手くいっていない。正確に言えば上手くいっていないというよりは、現状維持だ。
ナディアの父が見つけてきた医師はとても優秀だったらしく、エディとナナいわく今の時点でずっと飲見続けている解毒剤以上のものはできないらしい。
エディがナディアを噛んだヴェナムの生態や毒の成分を調べてくれているが、まだなんの成果も出ていない。実際のヴェナムがいれば話が早いらしいが、ドラゴンが姿を現すことは稀であり目撃証言もない。
だから、ゆっくりとナディアの身体は蝕まれていっている。いつまでエドムンドのそばにいられるのか、そう考えるとナディアはズキリと胸が痛んだ。
「もうすぐ一年か」
エドムンドはもうすっかり以前の憧れの騎士に戻っている。規則正しい生活をし、酒も嗜む程度しか飲まない。身体も鍛え直し、剣の動きも元に戻っている。
「もうわたしは必要ないわね」
醜い痣のある鏡の中の自分を見つめ、この旅が終わればエドムンドの元から去る準備を始めようと心に決めた。何度も去るタイミングはあったのに、エドムンドといるのが心地よくてずるずるとこんな風に長居をしてしまった。
もしエドムンドと一緒にいる時にナディアが死んでしまえば、エドムンドは自分を責めるだろう。たとえナディアが仮初の妻であっても、きっと。
口が悪いが、本当は誰よりも優しいエドムンドに、そんな辛い思いをさせたくない。
この毒が解けないのであれば、ナディアは動けなくなる前にエドムンドの元を笑顔で去ろうと思っていた。
どこか遠い場所でナディアは元気で過ごしていると、エドムンドにはずっとそう思っていて欲しかった。
「結婚できて、ダンスを踊って、旅行まで……こんな贅沢なことはないわ」
ナディアはサンドバル辺境伯で静かに余生を送るつもりだった。だがあの王命を聞き、大好きなエドムンドと一年も過ごすことができたのだ。
ナディアは自分がいなくなった後に、どうか彼を癒してくれる女性が現れるようにと祈った。
エドムンドが他の女性と並んでいることをそうぞうするだけでズキズキと胸が痛むが、ナディアではどうしようもないのだ。
「この旅の間だけは夫婦でいさせてください」
ナディアはエドムンドのことを想いながら、眠りについた。




