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何もできない妻が愛する隻眼騎士のためにできること  作者: 大森 樹


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25 思い出の味②

「懐かしい味がする」

「良かったです。実はエドムンド様の故郷でよく食べられているシチューを再現したんです!」

「俺の故郷……?」

「はい! 郷土料理の本を探したら、エドムンド様が生まれたケルン村の料理レシピがのっていたので。でも食べていただくまでは、この味が正解かわからなくて内心ドキドキしてました」


 ナディアは安心したようにへにゃりと目を細めて笑った。


「これは母さんの得意料理だった」


 エドムンドが最後にこのシチューを食べたのは、もうだいぶ昔の話だ。口に運んだ瞬間、母親の優しさと温かさが記憶に蘇ってきた。


「そうでしたか」

「貧しかったから、こんな豪勢な塊肉は入ってなかったがな」


 エドムンドはスプーンで肉を掬い、寂しそうに目を伏せた。農村生まれのエドムンドの暮らしは慎ましく、肉が食べられるのは特別な日だけだった。


「母さんはいつも俺と親父にシチューの僅かな肉を分けて、自分は全然食べてなかった。あの時の俺はまだガキで、何も考えずに『うまいうまい』って言いながらたくさん食ってたよ。馬鹿だよな。今の俺なら、母さんに好きなもの腹いっぱい食わせてやれるのに……いねぇんじゃどうしようもねぇし」


 エドムンドはそう言って自嘲気味に笑った。


「食事を分け与えていたお母様は幸せだったと思いますよ」


 優しい目をしたナディアは、はっきりとそう言い切った。


「はぁ? そんな生活のどこが幸せだ」

「幸せですよ。自分の作ったものを愛する家族が『美味しい』って食べてくれる姿を見ることは、間違いなくお母様の幸せだったと思います。だから、そんなにご自身を責めないでください」


 ナディアの言葉を聞いて、エドムンドは長い間忘れていた記憶を思い出した。


 ずっと病に倒れ父親に会いたいと泣いていた最後の弱々しい母親の姿ばかりが頭に残っていた。だが、本来の母親は優しい笑顔の多い人だった。料理上手で、エドムンドがたくさん母親の手料理を食べると喜んでくれた。その母親の顔はとてもとても幸せそうだった。


「お母様はエドムンド様を心から愛していらっしゃったに決まっています! だってこのシチュー……とても作るの大変なんですよ」

「……」

「たくさんの野菜を切って炒めて、丸一日煮込んで、スパイスも色々一から調合して……こんなの愛がなければ作れませんっ!」


 シチュー作りの大変さをいきなり真剣に語り出したナディアを見て、エドムンドは笑ってしまった。さっきまではセンチメンタルな気持ちだったのに。


「わたし一人で美味しく作れるようになるまで、何十回失敗したかわかりません」

「くっ……はは。そんなに大変なのかよ」

「ええ。大変です! わたしもエドムンド様のためじゃなければ絶対に作りません」

「お前が料理苦手だからじゃねぇのか?」

「そ、それもそうですけど」


 この一カ月苦手な料理を自分のために毎日頑張ってくれたのかと思うと、エドムンドは心が温かくなった。


「……美味かった」

「ありがとうございます!」


 ナディアは子どものように両手をあげて大喜びしていた。使用人たちも一緒に喜んでいるので、どうやらこれを知らなかったのはエドムンドだけだったらしい。


「エドムンド様、また作りますね」

「作るの大変なんだろ?」

「正直に言うと、とっっても大変です。だけどエドムンド様のためだと思ったら、不思議とその面倒だってわたしの幸せな時間になるんですよね」


 嬉しそうに微笑んだナディアを見て、エドムンドは胸がぎゅっと締めつけられた。どうしてナディアは自分に無償の愛を注いでくれるのか。


「エドムンド様、大好きです」

「……知ってる」

「何度でも伝えたいんです」


 ナディアはエドムンドの近くにいられる間は、できるだけ自分の気持ちを正直にいたいと思っていた。


 エドムンドは相変わらず素っ気ない態度をとっているが、耳が赤くなっているので少し照れているようだ。そんな変化もナディアは最近はわかるようになってきた。


「いつかエドムンド様の故郷に行ってみたいです」

「なんもねぇ田舎だぞ」

「エドムンド様が産まれた場所ってだけで価値があるんですよ! それにわたしも田舎生まれなので、自然の多い場所は好きです」


 エドムンドは騎士団長に就任してから故郷にはもう何年も帰っていない。役職がつきまとまったお金ができたので、母親の墓を立派なものに建て直したのが最後だった。


「ずっと墓参りしてねぇな」


 エドムンドにとって故郷は、母との幸せな記憶と父との嫌な記憶が入り混じった場所だ。墓参りもせずに親不孝だとは思うが、なかなか積極的に訪れたい場所ではなかった。


「では一緒にケルン村に参りましょう! わたしもお義母様にご挨拶したいので」


 一人だと腰が重いがナディアが隣にいるなら行ってみてもいいかと自然に思ったことが、エドムンドは自分のことながら不思議だった。


「本気かよ。馬車なら五日はかかるぞ」

「問題ありません。サンドバル辺境伯領はもっと遠いので慣れております」


 ナディアは長距離移動は苦ではない。そんなことを言っていたら、辺境伯領からはどこへも行けないからだ。


「でももちろん、エドムンド様がよろしければの話です」

「……」

「やっぱり嫌ですよね。我儘を言ってすみません」


 しゅんと哀しそうな顔をしたナディアを見たエドムンドは、ズキリと胸が痛んだ。どうしてナディアが哀しそうだとこんな気持ちになるのか。


「暇だから行ってもいいぞ」

「え、本当ですか?」

「……ああ。このシチューの礼だ」

「ありがとうございます!」


 思い立ったら即行動のエドムンドは、今日準備をして明日屋敷を発つこと、そして馬車ではなくエドムンドの愛馬グリフィスに乗って行くことを決めた。


「馬車なんて面倒だ。グリフィスの速さなら三日で着く」

「わたしも乗せていただけるのですか!」

「スピードを出すが怖がるなよ。あと荷物は最小限だ」

「はい! 楽しみです」


 さっきまでしょげていたのに、ナディアは両手をあげて無邪気に喜んでいる。その姿を見たエドムンドは、ふっと微笑んだ。


「……単純なやつ」

「なにか言いましたか?」

「いや、べつに」

「こうはしてられません。準備してきますね!」


 はしゃいでいたナディアは真顔になり、急に慌てはじめた。


「まだ朝だぞ」

「エドムンド様と初めてのお泊まりですからちゃんとしないといけません」

「荷物は少なくしろよ」

「ふふ、わかっています」


 ナディアはぴょんぴょんと跳ねるように、ご機嫌にリビングを出て行った。


「エドムンド様、大丈夫ですか?」


 執事のモルガンは心配そうにエドムンドを見つめた。モルガンはエドムンドが故郷に複雑な思いを抱いていることを知っているからだ。


「……ああ。俺もそろそろ過去と向き合わねぇとな」

「そうでございますか」

「それにあいつみたいに能天気なやつがいたら気が紛れるだろ?」


 エドムンドはわざと冗談っぽくそう言ったが、モルガンは真面目な顔を崩さなかった。


「そうですね。ナディア様がいれば安心です」

「……」

「エドムンド様の用意は全て私にお任せください」

「ああ、頼んだ」


 失礼しますとモルガンは頭を下げて、そのまま去って行った。



♢♢♢



「エドムンド様!」

「なんだ。騒がしいな」

「ご夕食の時間なのでお声かけしたのですが、ナディア様がお部屋から出てこられないのです。エドムンド様、中を見てきてくださいませんか?」


 困った顔の侍女にそんな相談をされ、エドムンドは眉をひそめた。


「そんなの勝手に部屋に入ればいいだろ」

「ただの使用人が奥様の部屋に勝手に入るなどできません」

「あいつがそんなこと気にするような女かよ」

「使用人のケジメです。エドムンド様なら入っても問題ないですから、呼んできてください」


 なんで俺がと思いながらも、エドムンドは仕方なくナディアの部屋の前に立っていた。


「おいっ! 飯ができたらしいぞ。さっさと出てこい」


 しんと静まり返って何も答えが返ってこない。エドムンドはドンドンと扉を叩いてみたが、それでも反応がない。


「入るぞ!」


 一応断りを入れてドアノブに手をかけると、なんの抵抗もなくすっと扉は開いた。


「おい……」


 机の前に座っているナディアの姿が見えたので声をかけようとしたが、エドムンドはぐっと言葉を飲み込んだ。なぜなら、ナディアはすーすーと小さな寝息を立てていたからだ。


「寝てんのかよ」


 どうりで声をかけても反応しないはずだ。床には小さな鞄が用意されているので、どうやら明日の準備はできているらしい。


 明日から長距離移動なのに、椅子で寝かせるのは良くないだろう。エドムンドはそっとナディアを抱え上げ、ベッドにおろした。


「むにゃむにゃ……エドムンドさまぁ……ふふっ」


 寝言でもエドムンドの名前を呼んでいるナディアは、とても幸せそうな顔をしていた。


「なんで俺なんだよ?」


 エドムンドは自分に言い聞かせるように、ポツリとそう呟いた。


「本当に離してやれなくなっても知らねぇぞ」


 眠っているナディアを起こさないようにそっとシーツをかけ、血色のいいすべすべの頬を大きな手でひと撫でした。


 起きる気配がないので部屋から出ようとしたが、ナディアの机の上にあった大量の本とびっしりと何かが書かれたノートが気になってついそちらに視線を向けた。


「これは……!」


 それは明らかに難しそうな医学書や郷土料理の文献だった。そのどれもにたくさんの目印がついており、ナディアが真剣に読んでいたことがわかる。


 医学書は目のページばかり付箋が貼られており、大切なことはノートに事細かく書き込まれていた。片目の人間の見え方や、今後起こり得る病気、日常生活で気をつけること、そして目にいい食べ物にいたるまで詳しく調べあげられていた。


 きっと今のナディアは、エドムンドよりも彼の目について詳しいだろう。


 そして郷土料理のことも、ケルン村の文化から始まり、料理のレシピはもちろん……自分が失敗した記録もされており、改善点が毎回書かれていた。そして最後のページには『エドムンド様に食べてもらいたい!』という決意が大きな文字で書かれていた。


「俺のことに一生懸命すぎだろ」


 そのノートを見たエドムンドは、ナディアのことを愛おしく思った。ナディアの無償の愛を目の当たりにするたびに、エドムンドは堪らない気持ちになる。


 人を愛することを知らないまま生きてきたエドムンドは、この初めての感情に戸惑っていた。


 だが、きっとナディアなしの生活にはもう戻れないだろう。最初は適当な男を見つけナディアを任せようと考えていたが、今ではそんなことは出来そうにない。


 ナディアがエドムンドではない別の男と結婚すると想像しただけで、その身も知らない男の首を切ってやりたいと思うほど許せない気持ちになる。


 それだけ、エドムンドの中でナディアは欠かせないものになってしまっていた。


「……好きだ」


 すやすやと寝ているナディアを見つめながら、自然とその言葉が口から出てきた。


 すると、エドムンドはさっきまでもやもやしていた気持ちがスッと晴れた気がした。自分の気持ちを認めてしまえば、こんなにも楽だったのだ。


「馬鹿だな俺は。こんな単純なことじゃねぇか」


 ぐだぐだと過去の裏切りがどうの父親と似てるのがどうのと囚われて、ナディアを拒んでいた自分が馬鹿らしかった。


 ナディアが好き。とても単純な話だ。


 エドムンドは今回の旅の間に、自分の気持ちを正直にナディアに伝えようと心に決めた。



ここまでお読みいただきありがとうございます。

物語は折り返しなので、あと半分の予定です!

二人の関係もこれから変わっていきますので、最後まで読んでいただけると嬉しいです。

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