1 元英雄との縁談
王都からかなり離れたサンドバル辺境伯領に、カレベリアの国王陛下であるアダルベルトから突然『ナディア嬢に王宮に来て欲しい』という内容の手紙が届いた。
「お父様、わたしは知らぬ間に陛下に失礼なことをしてしまったのでしょうか」
この手紙を見た瞬間、ナディアは生きた心地がしなかった。直接呼び出されるなんて、いい話じゃないに決まっていると思ったからだ。
しかし、遠い辺境伯領に住んでいるナディアが王都に行くことはほとんどない。だから王家……特に国王陛下とは直接的な接点はほとんどないと言ってもいい。辺境伯という爵位は貴族の中では位は高めだが、それでも田舎の一貴族令嬢が簡単に会えるような人物ではない。
「思い当たることはないのですが。もしかして……半年前の王太子殿下の誕生祭で、あまりにおいしかった高級菓子をハンカチに包んでこっそりホテルに持って帰ったのがばれたのでしょうか?」
ナディアはその時のことを思い出し、青ざめてオロオロとしていた。
「はぁ……ナディア。もう立派なレディの年齢なのだから、そういう品のないことはやめなさい」
「すみません。で、でも! 辺境伯領じゃ食べられない貴重なお菓子だったのですよ。誰も食べていないし、どうせ余るならと思いまして」
ナディアは恥ずかしくて、もじもじしながら父親に謝った。
「そんな事でわざわざ呼び出されるはずがないだろう」
「安心しました。ではなぜ呼ばれるのでしょうか?」
「はぁ……本当にナディアを王都に行かせて大丈夫だろうか。私は心配だよ」
全く何の話かがわからずにきょとんとしているナディアを、父親は真顔で見つめた。
「陛下のお話はナディアの縁談話だ」
「え、え、縁談っ!? 陛下がどうしてわたしなんかの縁談を?」
「……相手が相手だからだ」
父親は眉を顰めて、難しい顔をした。いつも陽気なナディアの父親がこんな顔をするのは珍しい。
「相手はどなたなのです? わたしが結婚できないことは、お父様がよくご存知でしょう?」
「ナディア、相手がエドムンド・バンデラス伯爵でも結婚したくないか?」
その名前を聞いてナディアは目を大きく見開き声にならない叫び声をあげた。
「エ、エ、エ、エドムンド様っ!? あの……わたしの憧れの英雄騎士、エドムンド様ですか?」
「ああ」
「彼が……結婚してくださるのですか?」
「これは王命だ。ナディアが了承するなら、バンデラス伯爵に拒否権はないようにするそうだ」
ナディアは両手をあげて喜びそうになったが、エドムンドは『結婚しない主義』の人間だ。あまりに憧れすぎて、自分も見染められるチャンスがあるかもしれない……とナディアが入念に情報を調べたので間違いない。エドムンドは生涯独身を貫くと公言していた。だからこそ、優秀で裕福な貴族でありながら二十八歳になった今でも独身だった。
自分としては彼と結婚できるなら嬉しいが、エドムンドのポリシーを曲げることの意味はどこにあるのだろうかとナディアは考えた。
「どうしてそんな話になったのですか?」
「ナディアも知っての通り、伯爵は一年前に左目を怪我されてから騎士を引退された」
そう……ナディア憧れの騎士は一年前に国王陛下を暗殺から守るために大怪我負った。おかげで陛下は傷一つなかったが、エドムンドの左目は失明したらしい。
しかしその犯人は、エドムンドの直属の部下だったという最悪な結末だった。犯人は罪を償く前に自死し、その管理責任をとってエドムンドは団長職を辞めたと言われている。
「それから……生活がかなり荒れているらしい。彼に憧れているお前にこんなことを言うのは酷だが、毎日浴びるほど酒を飲んでいるそうだ」
父親は難しい顔のまま、淡々とそう継げた。ナディアは、あの格好良い騎士だったエドムンドの話とは思えなかった。
「お酒を……浴びるほど……」
「ああ。だから、陛下は誰かをそばに置いてバンデラス伯爵を更生させたいと。しかし、普通の御令嬢ではすぐに彼に追い返され、改善は見込めなかったらしい。だから伯爵を崇拝してるナディアなら、彼の多少の粗野な態度は許して、妻となって支えてくれるのではないかと仰られている」
ナディアは幼い頃に彼に助けてもらったその日から、エドムンドに憧れている。しかしまさか国王陛下にまで、そんなことを知られていたなんて。ナディアは恥ずかしくて真っ赤になった。
「まさか……陛下にわたしの噂が伝わったのですか?」
「バンデラス伯爵に好意があり、尚且つ金や権力に靡くことない心身ともに逞しいレディを探した結果……最終的にナディアに行き着いたそうだ」
「この熱意を認めていただけるなんて光栄です!」
「喜ぶな。正直、褒めているのかわからんがな。恐らく逞しいが重要だったのだ。今の伯爵は、ナディアが憧れている英雄騎士とはかけ離れているらしいからな」
父親は、グッと唇を噛み締めて下を向いた。今のエドムンドはそんなに酷い有様なのだろうか、とナディアは切ない気持ちになった。
「そうですか。でも、わたしはどんなエドムンド様でも大丈夫です」
「……ナディア」
「だって、彼がいなければ私はあの時死んでいました。そして、この領地もどうなっていたかわかりません。感謝してもしきれないわ」
ナディアがそう言って微笑むと、父親も小さく頷いた。
「私も彼には感謝をしているよ。今の悪評はただの噂で、私が直接見たわけでもはない。ナディアがこの婚姻を受け入れるというのであれば、喜んで見送ろう」
「はい」
「ただ、これは普通の婚姻はではない。陛下が『結婚』をさせるのは、無理矢理彼のそばに置かせるための便宜上の婚姻だ。どちらかといえば彼の『世話係』のようなものだし、きっとバンデラス伯爵はナディアを素直に受け入れないだろう。辛い思いをするのは目に見えている」
「……わかっています。エドムンド様は結婚しない主義の方ですから、反発されるでしょうね」
ナディアはしっかりと頷いた。きっと陛下は、使用人のようにエドムンドの身の回りのお世話をして欲しいのだと理解していた。
「一つ確認したのですが、陛下はわたしが普通の令嬢ではないことを御存じなのですよね?」
「あぁ。ナディアにとっては不愉快だろうが、全て調査済みだ」
「そうですよね。いえ、その方が都合がいいです」
「本当にいいのか? ナディアが憧れていたウェディングドレスを着ることはないぞ? 結婚式はせずに書類の取り交わしのみするとのことだ」
「かまいません」
「……普通の女性としては幸せにはなれないぞ」
父親は眉を下げて哀しそうな顔で、ナディアを見つめた。彼はきっと愛娘の晴れ姿を見たかったのだと思う。
「いいえ、お父様。八歳から憧れている方に嫁ぐのです。女としてこんなに幸せなことはありませんよ」
ナディアは覚悟を決めて、にっこりと微笑んだ。父親はグッと涙を堪えて、静かに頷いた。
「……そうだな。ナディア、王都に行きなさい」
「はい」
「ナディアならきっと大丈夫だ」
父親はそっとナディアを抱き締めて、まるで子どもの頃のように頭を優しく撫でた。




