16 デートの約束
「そういえば、王家主催の舞踏会は二人で参加するんだろ?」
パトリックにそう聞かれ、ナディアは何のことかわからず首を傾げた。
「げっ、忘れてた」
エドムンドは面倒くさそうな顔をして、心の底から嫌そうな声を出した。
「お前な、忘れるなよ。陛下がエドムンドにも招待状を出したとおっしゃっていたぞ」
「確かに来てたな」
「今年は生誕祭だけでなく、御即位されて十年目の記念だからよっぽどの理由がない限り貴族は全員参加だぞ」
「あー……行きたくねぇ。いっそのこと無視して、平民に戻るって手もある」
基本的にエドムンドは舞踏会に参加しなかった。理由は面倒だし、貴族同士の腹の探り合いが大嫌いだからだ。運動神経はいいので、ダンスも見よう見まねでそれなりにできるが、性に合わない。
「馬鹿なことを言うな。そんなことをしたらナディアちゃんだって、ここの使用人や領民たちも困るだろう!」
とんでもないことを言うエドムンドを、パトリックは本気で怒り窘めた。
「そんなに怒るなよ。流石に冗談だ」
「言って良いことと悪いことがあるだろう」
「はいはい、行けばいいんだろ。おい、お前も道連れだ。一緒に行くぞ」
エドムンドは、ナディアに向かってそう言った。
「え……? 私も連れて行ってくださるのですか!?」
結婚を認めていないエドムンドが、ナディアを妻として公の場に連れて行くのは意外だった。
「陛下のせいで、俺が結婚したことはすでに社交界では知れ渡ってる。一人で行けば、また煩く言われるのは目に見えているからな」
「本当ですかっ!? 一緒に舞踏会に行けるだなんてとても嬉しいです」
ナディアがキラキラした目で嬉しそうに微笑むと、エドムンドはパッと視線を逸らした。
「……仕方なくだ」
「仕方なくでもなんでも幸せです!」
「そーかよ」
例えエドムンドが気乗りしなくても、ナディアは一緒に行けるだけで嬉しかった。
「パトリック様も誰かと参加されるのですか?」
ナディアが質問すると、パトリックは少し困ったような顔をした。
「ええ、幼馴染のミリアにどうしてもと頼まれてしまったのでパートナーを務めます。幼馴染とはいっても年下なので僕にとっては妹のようなものなんですけどね」
「そうなのですね。わたしこちらにお友達がいませんので、ミリア様に仲良くしていただけると嬉しいです」
「是非紹介させてください。ミリアは人見知りなので、ナディアちゃんに気を遣わせるかもしれませんが」
どうやら話を聞く限り、ミリアは貴族令嬢らしい大人しい女性らしい。
「そうですか。何を隠そうわたしも人見知りですから、気が合うと思います」
「お前のどこが人見知りだ! 初日から図々しく俺の部屋に入って来てただろうが」
「それはわたしはエドムンドさまの妻ですから」
「ガサツすぎて嫌われるのが目に見えているな」
「酷いです! きっと仲良くできます」
「きっと楽しいナディアちゃんには、ミリアも心を許すと思うよ」
パトリックがフォローを入れたので、ナディアは自信満々にエドムンドにドヤ顔をした。
「ほら!」
「それはパトリックの優しい嘘だ。本気にするな」
ムッと拗ねたナディアを見て、エドムンドは楽しそうに笑っていた。ナディアを揶揄うのはエドムンドの日課になっている。
それからしばらく三人で雑談をしていたが、パトリックは仕事があるからと帰って行った。
「明日、街に出るぞ」
「……え? 街ですか?」
「舞踏会にドレスやらなんやら必要だろ。買いに行くぞ」
エドムンドのその提案に、ナディアは喜びの声をあげた。
「それは本当ですか!」
「うるせぇな。そんなでかい声じゃなくても、聞こえるっつーの」
大きな声で詰め寄ったナディアに、エドムンドは耳を塞いだ。
「デート……」
「は?」
「これはデートですよね! こうしてはいられません。明日の準備をしないといけないため、失礼致しますっ!」
ナディアは慌ててその場を去って行った。
「なんだ……あれは」
「エドムンド様とのデートが、嬉しいのでございましょう。相変わらず、ナディア様は可愛らしい方ですね」
「何がデートだ。ただの買い出しだろう」
エドムンドは、不機嫌な顔でモルガンをギロリと睨みつけた。
「おや、まさかエドムンド様は女心がわからないのですか?」
バンデラス伯爵家の使用人たちは、主人であるエドムンドにも割と言いたいことを言う。最終的にはエドムンドの決定は絶対ではあるが、彼自身が気を遣われることが嫌いだからそれを許しているのだ。
「俺にそんなものがわかるわけないだろう」
エドムンドは、騎士団長時代はかなり女性たちから言い寄られていたものの誰にも興味はなかった。つまり、エドムンドは二十八歳にもなって一度も恋人がいたことがないのだ。
「エドムンド様、酷いです。ナディア様が可哀そう」
「そうですよー」
「ちゃんとナディア様のこと大事にしてください」
もうすっかりナディア派になっている侍女たちが、口々にエドムンドを責めたてた。
「お前ら黙れ! なんで俺があいつを大事にしなきゃならねぇんだ」
「もちろん奥様だからですよ」
「無理矢理決められた妻を妻とは言わねぇんだよ」
エドムンドはそう言って怒り、使用人たちをみんな追い出した。
「幸せにしてやれねぇんだから、早めに手放さないとな」
自分の中でナディアの存在が増していることに、エドムンドは気が付いていた。
『エド……将来……好きな人ができたら……あなたは……傍にいて……あげるのよ。お金は……たくさん……なくても……いいの。ああ……あの人に……あい……た……い……優しかった……あの人……に』
エドムンドは頭の中に母親の最期の言葉が流れてきた。
貧しい農民だった父親は、体格と運動神経が良かったため家族のために金を稼ぐ手段として騎士を目指し……戦果をあげた。剣の才能が開花した父はすぐに頭角を表した。
今まで持ったこともない大金を稼ぐようになった父親が、おかしくなるのは一瞬だった。貧しい時はあんなに仲の良い夫婦だったのに。
騎士になったのは家族のためだったはずなのに、父親は妻と息子を捨て女と酒に溺れた。
なのに母親はそんな碌でもない男に『無事でいて』と祈り続け、『逢いたい』と願い続けた。
母親が病死した時、父親は愛人宅にいた。母親はボロボロの服を着て、病気で苦しんで死んだのに……その愛人はケバケバしい化粧をして、豪華なドレスを着ていた。
エドムンドは許せなくて父親を殺してやろうかと思ったが、そんな必要もなくあっけなく任務中魔物に襲われて死んでしまった。
父親の力ならば、簡単にこなせる任務だったらしいがその日はなぜか終始ぼんやりとしていたらしい。それが母親の死と関係しているのか、いないのかは今となってはもうわからない。
『あの男、死んだのよ。いい金蔓だったのに』
愛人にそう言われているのを聞いて、父親が死んでも全く悲しまれていないことがわかり『ざまあみろ』と思う反面、とてつもない虚しさで心がいっぱいになった。
十三歳のエドムンドが一人で生きていくためには、騎士になるしかなかった。父親の僅かな弔慰金で、剣を買い王都の騎士団試験を受けた。
そしてエドムンドは、成長するたびに大嫌いな父親に顔も姿もそっくりになった。突出した剣の才能も、認めたくはないが父親譲りだ。
――自分にはあの男の血が流れている。
そう思うと、エドムンドは自分が一人の女性を生涯大事にできるとは思えなかった。
父親も最初は母親を大事にしていたのだ。しかし、それを裏切った。
エドムンドは、母親のような思いを自分の妻には絶対にさせたくなかった。
ならば、最初から手にするべきではない。だから、エドムンドは生涯独身を貫くと決めている。
『エドムンド様、大好きです』
ナディアの無邪気な笑顔を思い出して、エドムンドは自分の髪をグシャリと掻きむしった。
口では色々と言っているが、自分を純粋に慕ってくれるナディアは単純に可愛い。もうそれは、エドムンドの中で嘘をつけないくらいの気持ちに膨らんでいる。ナディアを自分の手で守ってやりたいと思う程に、エドムンドの中で彼女の存在は大きくなっていた。
しかし大事だからこそ、ナディアに相応しい結婚相手を探してできるだけ早く手放そうと心に決めた。自分ではナディアを幸せになどできないのだから。




