15 平和な日々
それからはしばらくは、二人で穏やかな日々が続いた。
一緒にご飯を食べて……たまにナディアがエドムンドの晩酌相手をする。それに加えて週に何回かは、ナディアがエドムンドの目を蒸しタオルで温めている。
最初はエドムンドは「もうしなくていい」と断っていたが、ナディアの強引さと心地よさに負けて今ではすっかりルーティン化された。
目に良いことは何でもしたいナディアは『計画通り』だと、内心ガッツポーズをしていた。そして今日のような天気の良い日は、庭でエドムンドから剣の訓練を受けていた。
実はエドムンドはナディアを王宮へ迎えに行った翌日から、騎士団長をしていた頃と同じメニューで身体を鍛え直していた。
「エドムンド様、騎士団に戻られるのですか?」
「……別にそういうわけじゃねぇ」
モンガンの質問に、エドムンドは気まずそうに目を逸らして曖昧な返事をした。
「あいつに大口叩いたからには、やっぱり強くねぇとだめだろ」
「……?」
「何でもねぇ」
どうやらエドムンドが再びやる気を取り戻したのは、ドラゴンにトラウマがあるナディアを守るためらしい。
男女の仲ではないものの、睦まじい姿を見て使用人たちは『本物の夫婦』になる日も近いのではと密かに期待していた。
「お前に剣を教えたのは父親か?」
「はい、お父様です」
「ほお、父親はやり手だな。お前は基礎ができてるし、女が戦うために必要なこともきちんと教えている」
エドムンドはナディアの剣を受けながら、その指導力に感心していた。
ナディアがふいをついて攻撃する時は、必ず左側を狙う。なぜなら左目の見えないエドムンドは、そこが死角だからだ。
ナディアは自分のことを好きだと言いながら、一番嫌なところを攻撃してくる。弱点を的確に狙うことは、敵を倒す上で大事なことだ。
「攻撃が単調になってるぞ。いくら死角でも何度も打ち込まれたら、慣れてくる。もっとフェイント入れて考えろ」
「はい!」
左目が見えなくなってから、エドムンドには死角が増えた。しばらく剣を持っていなかったこともあり、感覚が鈍っていたが……毎日のように打ち込みスピードが早いナディアの相手をするうちに本来の自分に戻ってきた気がしていた。
「お父様は、毎日わたしに言い聞かせました。力が弱い分、真っ向からやり合うなと。使えるものはなんでも使い、相手の弱い部分を狙う……その覚悟がないなら、剣を握るなとまで言われました」
「正解だな。いくらお前が強くても、屈強な男が相手なら力でねじ伏せられる」
「ええ、だから……わたしはスピード勝負です」
ナディアは正面から打ち合っていたが急にシュッとしゃがみ込み、剣を振り抜いた。背の高いエドムンドから見れば、目の前の人間が急に消えたように見えるだろう。
カンッ
「惜しかったな。だが、お前のしそうなことはお見通しだ」
ニッと笑ったエドムンドに、ナディアは「はぁ」とため息をついて地面にへなへなと倒れ込んだ。
「今回はいけると思ったんですけれど」
「残念だな」
「はい」
まだ地面に膝をついているナディアが手を伸ばすので、エドムンドは仕方なく手を差し出した。
「甘えんな」
「ふふ、そう言いながら手を差し出してくれるなんてお優しいですね」
エドムンドの手に触れる振りをして、ナディアは隠し持っていた短刀を抜いた。これはエドムンドから贈られたものだ。
「お前の考えそうなことは、わかってるって言ったろ」
いつの間にかナディアの後ろには、エドムンドが立っていた。
「ううっ、完敗です」
「当たり前だろ」
「どうせ負けるなら、短刀を抜かずにそのまま手を握ればよかったです。チャンスだったのに、もったいないことをしました」
ナディアがそう言って悔しがると、エドムンドは「馬鹿だな」とケラケラと楽しそうに笑った。
「ほら、罰ゲームだ」
そしてナディアの柔らかい頬を、ビョンビョンと伸ばして満足そうだった。
「いひゃい……でふ」
「変な顔だな」
「やめひぇ……ふださい」
毎回こんな風に訓練は終わる。今のところ、ナディアがエドムンドに勝てたことはない。
そして、ナディアは頬に悪戯をされていても……どんな形であれエドムンドと触れ合えることが嬉しかった。
「エドムンド、ナディアちゃん、久しぶり。お土産を買ってきたよ」
「あ、パトリック様!」
ニコリと笑ったナディアは手をぶんぶんと振った後、お土産があると聞いて嬉しくてぴょんぴょんと飛び跳ねた。
初めて会って以来、パトリックはよく遊びに来ておりナディアともすっかり仲良くなっていた。
「パトリック様、大丈夫ですか? なんだか今日は疲れた顔をされています」
ナディアが駆け寄ってきたと思うと、急に心配そうな顔に変わったのでパトリックは驚いた。なぜなら彼はどんなに疲れていても、表情に出ないように偽るのが得意だったからだ。
「そう見える?」
「ええ、なんだかお辛そうなので」
「……そうか。ナディアちゃんに嘘はつけないね。最近仕事が立て込んでいて、忙しかったんだ」
「そうですか。それなら、ここではゆっくりしてくださいませ。着替えてお茶を淹れてきますね!」
ナディアがパトリックと話していると、エドムンドが悪戯っ子の顔で覗き込んできた。
「……ちゃんと淹れられるのかよ」
「失礼ですね。お茶くらい淹れられますから」
揶揄うエドムンドをポカポカと叩き、ナディアは自室に戻っていった。
「ナディアちゃんは本当にいい子だな」
「……」
「エドムンド、悪いことは言わないから彼女を大切にしろよ」
パトリックはエドムンドの肩に手を置き、真剣な顔でそう言った。
「俺にはあいつを大切する方法がわからねぇよ」
遠くを眺めながら、エドムンドはぼそりと呟いた。天涯孤独のエドムンドは、愛情というものの意識が薄かった。
幼い頃は貧しくとも幸せだった記憶がある。だがある日、父親は病気がちな妻と息子を捨てた。元は愛し合っていた仲の良い夫婦だったのに、酒に溺れ他の女に目移りし夜の街に入り浸っていたのだ。
そして成長するにつれ、エドムンドはその忌々しく大嫌いな父親に姿形がそっくりになっていた。見た目だけでなく運動神経の良さも、酒に強いところも全てが似ている。その事実が、エドムンドは不快だった。
あの碌でもない男の血が自身に流れていると思うと、結婚をするなど考えられなかった。それはまた母親のような犠牲者を作りたくないという思いからだった。
「はい、お待たせしました!」
ご機嫌なナディアが、ティーセットを持ちながら部屋に戻ってきた。
「どうぞ」
「ありがとう」
ニコリと微笑んだパトリックはカップを受け取り、そのまま美しい所作で紅茶を飲んだ。
「とても美味しいよ」
「へへ、ありがとうございます! パトリック様が買ってきてくださった焼き菓子も、すっごく美味しいです」
その二人のやりとりがなんとなく面白くないのは、エドムンドである。
「紅茶はふつーだろ、普通」
悪態をついたエドムンドを、ナディアはムッとしてジロリと睨んだ。
「エドムンド様は何をしても褒めてくださらないので、パトリック様が褒めてくださると嬉しいです」
「褒めてるだろ。剣だけは上手いって」
「わたしは他のことも頑張ってるんですよ!」
ギャーギャーと子どものように言い合いをしながら戯れている二人を見て、パトリックはため息をついた。
「モルガン、二人はいつもあんな感じなのか?」
「ええ、そうですね。ナディア様のおかげで、最近のエドムンド様はとても楽しそうで喜ばしく思っております」
モルガンは目を細め、嬉しそうにエドムンドとナディアを見つめていた。
「身体が引き締まってきたな」
「毎日鍛えていらっしゃいますから」
「僕が騎士団長でいられるのも、あと少しかな」
パトリックは無表情のままそう呟いた。
「……パトリック様?」
「そろそろあの二人を止めてこないとね」
モルガンはいつもと違うその様子が少し気になったが、すぐにいつもの穏やか笑顔を見せたためそれ以上は何も聞けなかった。




