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13 トラウマ

「わたし、ずっと騎士になるために頑張っていたんです」


 ナディアは、直接エドムンドの顔が見えない今なら自分の過去の話ができる気がした。


「他の人からしたら、おかしな夢だと思うかもしれませんが当時のわたしは本気でした。今よりかなり鍛えていましたから、腹筋も割れていたんですよ。あの時の肉体美をエドムンド様にも見て欲しかったくらい」


 ふふふと笑いながらナディアはあえて冗談っぽく話したが、エドムンドは何も言わずただ黙って話を聞いていた。


「でも正直に申し上げると、騎士になりたかったというよりはエドムンド様に近付くために剣を始めたのです。あなたは結婚しないと早くから宣言されていたので、どうやっても自分は妻にはなれないのだと幼いながらにショックを受けました。でもわたしも騎士になって同じ騎士団に入れてもらえれば、あなたに毎日逢えると思って頑張りました」


 それからというものナディアの恋心は全て剣術に注ぎ込まれた。


「わたしは屈強な騎士であるお父様の才をひいていたのでしょう。八歳の時、エドムンド様に助けていただいた後すぐに剣を始めたのですが、めきめきと上手くなりました」


♢♢♢


「ナディア、剣術大会で優勝したのか。同世代なら敵なしだな。さすが私の娘だ!」

「お父様、ありがとうございます」

「この実力なら王家直属の騎士入団試験に受かるだろう」

「はい! 必ず受かってみせます」


 十六歳になった頃、ナディアはとても強くなっていた。たとえ体格の差がある大男が相手でも、ナディアにとってはまるで敵ではなかった。一年前からサンドバル辺境伯に多くいる魔物の討伐の手伝いも始め、一人でA級ランクの大物も仕留めて帰ってくることもあった。


「だが、縁談の話もたくさんきているぞ。本音を言うと私としては、近くに嫁いで欲しいのだが。それか、私の騎士団にも有望な若者はたくさんいるし……試験を受ける前に一度何人かと見合いをしてみるのはどうだ?」


 父親のクラウスはナディアの実力を認め夢を応援したい気持ちはあったが、騎士はとても危険の伴う仕事だ。それも貴族令嬢が騎士になるなど前代未聞である。もし試験に受かったとしても、それからがかなり大変で周囲から好奇の目で見られることは理解していた。


 基本的におおらかで、子どもの意見を尊重するクラウスだったがやはり愛娘にはいらぬ苦労をしてほしくない。それに、単純に離れるのが寂しいという普通の父親の気持ちも持ち合わせていた。


「まあ、お父様! 今更何を言うのですか」


 見合いの話を出してきたクラウスに向かって、ナディアは呆れたようにため息をついた。


「だが……」

「上司に打診されたら、部下は断れないのだからそんなことを言っては可哀想よ。わたしは貴族令嬢らしいことは何もできないのに、普通の結婚なんてできないわ」


 サンドバル辺境伯領で、ナディアは男女問わず人気者だった。元気で明るく快活なナディアは、魔物の多い過酷な土地で生きていても太陽のような存在だったからだ。


 ナディアがエドムンドに憧れていることはサンドバル領に住んでいれば誰もが知っている有名な話だが、実際に恋仲になるのは無理だろうと全員が思っていた。


 だからこそクラウスを通してナディアに婚約を申し込む男は多かったが、ナディア本人はエドムンド以外には興味がなかった。


「できないことは使用人に頼めばいい。ここは辺境伯領なのだから、社交も最低限でいいから問題はないさ」

「わたしが好きなのはエドムンド様だけなこと、お父様はよくご存知でしょ?」

「彼は独身主義者だ。ナディアは、前に可愛いウェディングドレスを着たいと言っていたではないか」


 珍しくクラウスは食い下がってきた。


「確かに真っ白なドレスに憧れはあるけれど、エドムンド様が独身ならわたしも独身よ! それに、騎士になって活躍すれば見染められるかもしれないし」


 うふふと笑ったナディアを見て、クラウスは説得を諦めることにした。ナディアは意志が強く、常にポジティブだ。よりにもよって、この性格はクラウス譲りだ。


「……わかった。春になれば試験を受けなさい」

「はい!」

「寂しくなるな」


 ある日そんな期待と希望に満ち溢れていたナディアに、事件が起きた。


「姫、今日も絶好調ですね。大物ばかり仕留めてるじゃないですか」

「ええ。みんなも順調みたいね」

「もう少ししたらクラウス様と合流しましょう」


 父親の率いる騎士たちに混ざり、ナディアは魔物の討伐に来ていた。ナディアは幼い頃から騎士のみんなに『姫』と呼ばれて可愛がられていた。


「さっき奥の森で大きな影が動いたわ。わたし先に行ってみるわね。みんなはここをお願いするわ」

「姫一人で大丈夫ですか?」

「もちろんよ。わたしこう見えても強いのよ?」


 わざとふふんと得意げな顔をすると、騎士たちは笑い出した。


「はは、知ってますよ」

「でしょう? じゃあ、行ってきます!」


 自分の力を過信したナディアは、すぐに一人で討伐に向かったことを後悔することになる。


「グルルルル……ッ!」


 低い音で唸るような鳴き声が聞こえ、ナディアが驚いて振り向くとそこには中型のドラゴンがいた。


 鋭い牙に、大きな尻尾、鋭い目に、硬い鱗の皮膚。その姿を見た瞬間、ナディアは心臓がバクバクと早く動き出し、上手く息が吸えなくなってしまった。


「ゔっ……ううっ」


 幼い頃にドラゴンに食われそうになったことを、鮮明に思い出してしまったからだ。


 実力でいえば、ナディアの方が強かった。なぜならこのドラゴンは昔襲われた時のものよりかなり小さめだし、自分もあの頃のように何もできない子どもでない。


 頭ではわかっていても、足を踏み出すことができなかった。


「はっ……はっ……う……うゔっ……」


 ナディアは一歩も動けなくなり、苦しみだけが続いていた。顔から汗が吹き出し、目の前は歪み、息が苦しい。こんな苦しい思いを、ナディアは今まで一度もしたことがない。


「グルルルル……ッ!」


 ドラゴンはナディアに向かって大きな口を開け、ガブリと噛み付いた。


 あまりの痛さにナディアは悲鳴をあげた。娘の悲鳴に気が付いたクラウスが慌ててやってきて、ドラゴンをあっという間に倒してくれた。


 ドラゴンに噛みつかれ、血だらけになっている娘を見た時はクラウスは生きた心地がしなかった。


「ナディア! ナディアっ!」


 名前を必死に呼びかけても反応がない。怪我だけではなく、息が荒く、目からは涙が溢れており普通の状態でないことはすぐにわかった。クラウスはナディアに止血をしそのまま抱え上げて屋敷に戻り、すぐに医者を呼んでナディアの治療をした。そしてなんとか一命を取り留めた。


「ナディア、騎士になるのは諦めなさい。試験もだめだ」


 クラウスは、二日経過してやっと意識を取り戻したナディアにそう告げた。


「わ、わたし大丈夫よ。あの時は、少し驚いただけなの。こんなことで夢を諦めたくな……」

「だめだ!」


 怖い顔で低い声を出したクラウスに、ナディアはびくりと身体を震わせた。いつも陽気で優しい父親から、こんなに圧を感じたことはなかったからだ。


「自分のことを守れない人間が、他の人間を守れるものか」


 シンと静まり返った部屋の中で、クラウスの冷たい声だけが響いた。


「……うっ……ううっ……」


 いくら唇をきつく噛んでも、ナディアの瞳からは涙がぽろぽろと零れ落ちた。さっきは大丈夫だと強がったが、本当はナディアはわかっていた。このトラウマは簡単に消えるものではないということを。


「早く気が付いてやれず、すまなかった」


 哀しい顔をしたクラウスは、まだベッドから出られない満身創痍のナディアを抱き締めた。


「本当に……本当に無事で良かった」


 クラウスの声が震えていることに気が付いたナディアは、胸がぎゅっと苦しくなった。

 

「騎士になるのは諦めます」


 それが、ナディアがずっと憧れていた騎士になることを諦めた日だった。どんな時でも前向きなナディアだったが、さすがにこの時は一カ月毎日泣き続けた。今までしてきた自分の努力が全て無駄であった気がしたからだ。


 しかし、いつまでも泣いていては皆に心配をかけてしまう。家族や優しい使用人たちの支えもあり、徐々に元の明るいナディアに戻っていった。


 トラウマのことは家族以外には秘密にされ、娘が大怪我をしたことを気に病んだクラウスがナディアに騎士を目指すことを無理矢理諦めさせた……という設定になっていた。


 ナディアは父親に申し訳なく思ったが、騎士や領民たちはその話を自然と受け入れたようだった。



♢♢♢


「幼いころに襲われた時のトラウマか」

「はい。ドラゴンは珍しい魔物でしょう? だから、私は昔襲われた時以降、見たことがなかったので自分がこんな症状になることを知らなかったのです」

「よく生きていたな」

「ええ。お父様がすぐに助けてくれたことと、お医者様が優秀で命拾いをしました」

「……傷は痛まないのか」

「ええ、治っていますから。さすがに傷跡は残っていますけどね」


 ナディアはそう言って哀しそうに笑った。エドムンドはナディアの父親がある時期から見合いの釣書を全て断っていたという話を思い出し、それはこの怪我に関係するのだろうと勝手に納得をした。


 貴族令嬢には顔や身体に傷一つなく、精巧にできた人形のような美しさが求められる。エドムンドからしたらしょうもないことだが、貴族ではそれが『結婚に相応しい御令嬢』だという認識だ。


「生きてりゃ傷ぐらい誰でもできるだろ。そんなことで何か言ってくる奴がいても気にするな。そいつの器が小せぇだけだ」


 エドムンドがぶっきらぼうにそう言うと、ナディアは目を細めて笑った。これは不器用なエドムンドなりに、傷跡が残っているナディアのことを慰めてくれているのだとわかったからだ。


「そうですね」

「……安心しろ。大丈夫だ」

「え?」


 ナディアはエドムンドが何に安心しろと言ったのかわからなくて、思わず聞き返した。


「ドラゴンが来ようが何が来ようが、俺が倒してやる」


 エドムンドのその言葉を聞いて、ナディアは目が潤んでしまい上を向いた。俯くと涙が溢れてしまいそうだったからだ。


「だからお前は今、一番安全な場所にいる」

「……はい」


 ナディアはとても不思議だった。どうしてエドムンドが一言大丈夫だと言ってくれるだけで、こんなにも心が安心するのだろうか。


「エドムンド様、ありがとうございます」


 結局、ナディアは我慢ができず頬には涙がたくさん流れてしまった。



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