12 仲直り
「元気がないじゃないか。君のために王都で評判の菓子を取り寄せたんだ。ほら、お食べ」
ナディアは今、恐れ多くも国王陛下であるアダルベルトの私室でお茶を飲んでいた。アダルベルトから一度エドムンドの様子を報告しに来て欲しいと連絡があったからだ。
そしてあれやこれやと雑用を頼まれ、その後も上手く言いくるめられ……もう王宮に泊まるのも七日目だ。バンデラス伯爵家には連絡をいれてあるそうだが、エドムンドが迎えに来てくれる様子は一切ない。その事実に、ナディアは落ち込んでいた。
「……ありがとうございます」
食べるのが大好きなので、普段なら飛び上がるほど嬉しいはずなのに今は全く食べたくなかった。
「案外仲良くしていると報告を受けて、安心していたのだが。何かあったようだね」
「……」
「まあ、あの我儘男と一緒にいるのは疲れるだろう。口も態度も悪いし、優しさのかけらもない。剣を持たないあいつなんて価値がないだろう?」
アダルベルトは次々とエドムンドの悪口を言い続けた。
「エドムンド様は優しい方です! 騎士じゃないエドムンド様も素敵です。訂正してくださいませ」
ナディアは立ち上がってついそう言ってしまい、ハッと口を手で押さえた。
「わたし如きが陛下に意見をするなど、畏れ多いですね。申し訳ございません」
ただの伯爵夫人が、国王陛下に意見をするなんて本来は絶対にしてはいけないことだ。
「はは、良かった。ナディアはあいつのことがまだ好きなようだ。安心したよ」
ニッと笑った陛下を見て、ナディアは『騙された』ことがわかった。きっとアダルベルトはわざと悪口を言って、ナディアの反応を確かめたのだ。
「……お人が悪いですわ」
「よく言われるよ」
アダルベルトはハハハと楽しそうに笑い、優雅に紅茶を飲んだ。
「わたしの剣を見てもらったんです」
「へえ、エドムンドは驚いたんじゃないか? 私も実際にナディアの剣技を見るまでは、その強さを信用していなかったからな」
「……もっと強くなれると褒めてくださいました。そして騎士になれば一人で生きていけると言われました」
そこまで聞いて、アダルベルトはナディアがなぜ落ち込んでいるのかがわかった。
「私は騎士にはなれません。なれない理由があります」
「……そうであったな」
「それにわたしは最近、エドムンド様と距離が近付いたと勝手に思っていたのです。だけど……彼は今でもわたしと別れたいのだとわかってしまいました」
ナディアは自分の気持ちを確かめるようにゆっくりと話し出した。
「馬鹿ですね。わかっていたことなのに、勝手にショックをうけて、エドムンド様に八つ当たりをしたんです」
ははは、と力無く笑ったナディアを、アダルベルトは優しい目で見つめた。
「エドムンドは幸せ者だな。君ほどあいつを思っている人間はいないさ」
「いいえ、エドムンド様は迷惑がっておられます」
「ナディアの思いやりが迷惑とは贅沢だな。ここにいる間、王宮の医師にあいつの左目のことを聞いていたのだろう? それに王家の書庫で難しい医学書を何冊も読んで、メモを取っていたと報告があった」
ナディアは自分の行動がアダルベルトに全て知られていることが、恥ずかしかった。
『一度失明したら、もう二度と視力は戻らないのでしょうか?』
『はい。エドムンド様の左目は、もう光も感じておられません。今の医学では無理ですね。夢のような魔法がない限り』
『……そうですか。見えている右目への影響はございますか?』
『ないとは言い切れません。片目で見ている分、疲れやすいので休息が大事です。寝る前に蒸したタオルで目を温めると、少し楽になりますよ』
その後も医学の知識のないナディアは、目に良い食べ物や見えない部分の死角について等も質問をした。それからは、基本的な目の構造についても医学書を持ち出して勉強をした。専門用語ばかりで難しかったが、エドムンドのためになるならばと全く苦ではなかった。
しかし、エドムンドからしたらこんなお節介は迷惑だろう。
「ただの自己満足です。エドムンド様は望んでいらっしゃいません。最近は生活も改善されていますし、わたしの役目はもうこの辺でよろしいのではありませんか」
「……もう別れたいのか?」
アダルベルトの質問にすぐには答えられず、ナディアは深く俯いた。
エドムンドのためにはそうした方がいいことはわかっているが、本当はそばにいたい。
「あの……」
トントントン
その時、大きなノック音が鳴った。
「なんだ」
「陛下、ご歓談中失礼します。エドムンド・バンデラス伯爵が、至急陛下と話したいと来られていますが、どう致しましょうか」
それを聞いて驚いたのはナディアだけで、アダルベルトは「やっと来たか」とニヤリと口角を上げた。
「入室を許可する。連れて参れ」
そう言った途端に、バンと扉が開いた。どうやらエドムンドはすでに扉の前まで来ていたらしい。
「おいおい、失礼しますくらい言えないのか」
「……我が家の人間が何日も世話になったようで。ご迷惑をおかけしてはいけませんので、連れて帰ります」
「ふっ、我が家の人間……ね」
ニヤニヤと笑っているアダルベルトを無視して、エドムンドはナディアの手を掴んだ。
「帰るぞ」
「え……あの、エドムンド様。どうしてこちらに?」
ナディアが不思議そうに訊ねると、エドムンドは視線を逸らした。
「お前がいないと……飯がまずい」
「ご飯が? え、それはどういう意味ですか」
思ってもいなかった答えだったので、ナディアは首を傾げた。
「うるせぇな。俺様がわざわざ迎えに来てやったんだ。何か文句あんのか!」
燃えるような真っ赤な瞳に見下ろされ、ナディアの胸は高鳴った。なぜなら幼い頃、エドムンドに助けてもらった時に見た瞳と同じだったからだ。
「ない……です」
エドムンドは満足そうにフンと笑い、ナディアをひょいと肩に担ぎ上げた。
「うわぁ!」
「陛下、失礼致します」
そしてそのまま歩いて、王宮の入口に出た。途中でかなり目立っていたけれど、エドムンドは何食わぬ顔で歩き続けた。
「馬で帰るぞ」
「……はい」
「前に乗れ。お前ならきっと、辺境伯で馬も乗っていただろう?」
「はい、わたしは一人でも乗れます」
「だろうな」
門にはエドムンドの愛馬グリフィスが大人しく待ってくれていた。黒くて体の大きなグリフィスは、きちんと世話をされているのがわかる。
「よろしくね、グリフィス」
鼻先を撫でると、グリフィスはナディアの頬をペロリと舐めた。
「行くぞ」
「はい」
ナディアはエドムンドに後ろから抱きしめられる形で、グリフィスに乗った。逞しい腕がお腹の辺りにあるので、ドキドキしてしまう。
憧れのエドムンドと一緒に馬に乗れるなんて、ナディアはまるで夢のように思えた。
「わぁ、早いですね」
「そりゃ、俺が認めた馬なんだから当たり前だ」
「すごいです」
ビュンビュンと駆けていくグリフィスは、騎士団長時代のエドムンドの相棒だった。
「……るかった。褒めたつもりだったんだ」
後ろから小さな声が聞こえてきた。風の音が大きいので、最初の部分が聞こえなかったが……まさかエドムンドが『悪かった』と言ったのだろうか? ナディアはとても驚いていた。
「褒めてくださったのは嬉しかったです」
「騎士になりたくなけりゃならなくていい。お前の好きにしろ」
「では、エドムンド様の妻でいます!」
「……」
「私はエドムンド様が好きですから」
そう言ってみたものの、エドムンドの反応がないので不安になってナディアは後ろを振り向いた。
「こっち見んな」
エドムンドは不機嫌そうな声を出しているが、どうやら照れているようだ。耳が少し赤い気がする。
「ふふ……」
「何笑ってんだ、クソガキ」
「エドムンド様、だーいすき」
「うるせぇ。この前、俺のこと嫌いって言ってただろうが」
エドムンドは案外、ナディアの言葉を気にしていたらしい。
「すみませんでした。嫌いは撤回します。そんな思ってもいないことをもう二度と言いません」
「……そもそも、お前が俺を嫌うなんて百万年早いんだよ」
ナディアはニマニマが止まらなかった。エドムンドがナディアのことを気にかけて、迎えに来てくれた上にまだ結婚生活を続けてくれると約束してくれた。
「これからは、一生好きでいます」
「……勝手にしろ」
一見冷たそうな言葉だが、ナディアは嬉しかった。だって好きでいることを『だめだ』とは言われなかったのだから。