第一話 突然の新人
それは今から六十年前のこと。この世界に突如として超常の怪物が現れるようになった。
彼らの外見の特徴は一致していた。背中に翼を生やし、頭上に輪を浮かべていた。
まさに天使のような外見だった。だがそれとは反対に、彼らの習性は凶暴そのものだった。
彼らは人智を超えたバケモノだった。現代兵器すら凌駕する超常の力を操り、さらにはあらゆる生命体に対して無差別に攻撃する習性を持っていた。
その外見や凶暴性、超常の力を持つことから、後に彼らは『天使』と呼ばれるようになった。
天使は不規則に各地に現れては虐殺を繰り返す。人類も応戦したが、彼らの超常の力には太刀打ち出来なかった。今では世界人口は十億人ほどまで落ちている。
このままでは人類が滅びるのは言うまでもない。故に人類は厄災たる天使に対抗するべく、新たな手段と組織を生み出した、
その組織の名は『対天使人類防衛軍』、略して防衛軍。天使と戦う人間──『執行官』によって編成された、今の人類を支える最大最後の希望である。
防衛軍の基地は世界各地に点在している。いつ何処に天使が現れても対処できるようにするためだ。
天使の出現に規則性は無い。出現場所、出現時間、その全てがランダム。天使の個体もそれぞれ異なるから、全ての天使に通ずる攻略法というのも無い。
そんな謎多き化け物と戦い、人類を守るのが彼ら執行官の使命なのだ。
***
午前八時頃。北アメリカ大陸に現存する唯一の国にして、新しく誕生した国──ロズリカ合併国。そこから区域分けした内の一つであるロズリカ合併国・第六区の中枢には、巨大なビルが建立している。これが対天使人類防衛軍・ロズリカ合併国・第六区支部に当たるビルだ。
そして現在、第六区支部の最上階にて。支部長室前の一本道の廊下を、一人の黒髪の青年が歩いていた。
白シャツの上に羽織った黒のコート、黒の長ズボン。これが彼の標準服だ。
彼の名は士道蓮、年齢は二十歳。この第六区支部に所属する執行官だ。
支部長室の扉の前に立つと、蓮はコートの懐からカードケースを取り出した。中には一枚のカードが入っている。
これは防衛軍の隊員証だ。執行官に限らず、防衛軍に所属する者であれば誰もが入隊時に与えられる。
隊員証は様々な場面で使うので、隊員は常に肌身離さず持ち歩くことが義務付けられている。
支部長室の扉の横に付いた黒いパネルに、蓮は隊員証を当てた。
それから三秒ほど。ピッという電子音と共に、支部長室の自動ドアが開いた。
「来ましたよ、支部長」
声を掛けながら、蓮は室内に踏み入った。
部屋の奥に置かれた大きな事務机の上には、パソコンや資料などの仕事関連の物に加えてコーヒーポットまで置かれている。壁際には棚が並べられており、そこにも大量の資料が整理されて置かれている。
いつも通りの支部長室の光景だが、一つ欠けているものがあった。
「……支部長?」
室内には誰もいなかった。いつもこの部屋にいるはずの人物がいない。
ここに来たのは支部長に呼ばれたからなのだが……別の用事で部屋を空けているのだろうか。
そんなことを思いながら待ち続けること一分ほど、再び支部長室の自動ドアが開いた。
「待たせたな、蓮」
現れたのは一人の女。赤髪のポニーテールを肩の辺りで揃えている。
彼女の名はルーヴェス・アインドルト。この第六区支部をまとめる支部長だ。現場に出ることは少ないが、蓮と同じ執行官でもある。
「大して待ってないので構いませんよ。それで、今日はどういう要件で?」
「早速だが、お前に紹介したい奴がいるんだ」
「紹介したい奴?」
もしかしてこの第六区支部に誰かが新しく入ってくるのだろうか。考える蓮をよそに、ルーヴェスは自動ドアの向こうに「入っていいぞ」声をかける。
直後、自動ドアが開いた。そこから現れたのは一人の少女。
見た目は十七歳ほどだろうか。目も髪も銀一色。髪は三つ編みにして束ねている。
袖先にフリルが付いた白のシャツに、黒のショートスカート。表情は無表情に染まっていた。
「…………」
純真無垢、それが蓮が抱いた第一印象だった。この少女を表現する上でそれ以上に適した言葉は見つからない。
「コイツはスティア・ミーリエル、歳は十七。新しくここに配属されることになった執行官だ」
「スティアです。よろしく」
言いながら、スティアと呼ばれた少女は蓮に右手を差し出した。握手をしたいのだろう。
「あ、ああ……よろしく」
困惑しながらも蓮はスティアの手を握った。何度か手を軽く上下させるが、その間もスティアの表情は動かなかった。
その無表情の裏で一体何を考えているのか。考えている内に握手は終わった。
「あの、支部長……なんで俺にこの子を?」
握手を終えてすぐに、蓮は尋ねる。
まさか新しく配属された執行官を紹介するためだけに支部長室に呼び出した訳ではあるまい。間違いなくルーヴェスには他にも何か目的がある。
蓮の問いに、ルーヴェスは返す。
「単刀直入に言おう、士道蓮。これからお前にはスティアと一緒に仕事をしてもらう」
「仕事?」
「ああ。基本的に業務は共にこなしてくれ。もちろん天使討伐もだ」
「えっと……それは、新しく配属された執行官への案内ということですか?」
「いいや、無期限だ」
「無期限!?」
聞き捨てならない言葉に思わず大声を上げてしまった。
「お前が執行官である限りはな。要するに相棒を組めという話だ。そういうわけだからスティアを頼むぞ」
「いやいやいやなんで終わろうとしてんですか!?もっと細かく説明してくださいよ!なんで俺なんですか!?」
「まぁそうなるよな……良いだろう。スティア、もう一度部屋の外に出ていてくれるか?」
「ん、分かった」
短く言って、スティアは部屋を出た。残った蓮とルーヴェスは話を再開する。
「さて、色々話すことはあるが……まずスティアについて話そうか。これにはかなり特殊な事情がある」
「事情?」
「そうだ。そして今から言うことはまだ口外しないでくれ。上層部から許可が降りるまでは」
「わ、分かりました……」
一気に話が重々しくなった。
何を話されるのか。若干の緊張を抱く蓮が次に言われたのは、予想外の言葉だった。
「……スティアは防衛軍の『新兵器』の第一号だ」
「…………は?」
「通称〈機巧天使〉、天使を殺すために作られた天使だ。とは言っても、中身まで天使というわけではない、一応人間だ。天使特攻の力をその身に宿した人間、ということらしい。要は改造人間だな。詳しい話は私も知らん、なにせ最近知ったばかりだからな」
「…………」
説明を聞いた後ですら、蓮は言葉が出なかった。
あの少女が防衛軍の新兵器、それも天使特攻の力を宿した改造人間とまで言う。
一ミリたりとも納得できないが、それでも聞くべき事はあった。
「……あの、なんでそんな凄い新兵器と俺が相棒なんて組むんですか」
スティア・ミーリエルは明らかに特別な存在だ。詳細は知らないが、スティアは防衛軍の新兵器。それも詳細については口外を禁じられている存在だ。
おそらくまだ〈機巧天使〉という存在は出回っていない。つまり〈機巧天使〉は普及していないと言うこと。
防衛軍にとってスティアは貴重な存在であるはずだ。そんな存在をなぜ蓮に任せるのか。
「単純に上層部の指示だ。お前とスティアを組ませろと言われた。だから私も理由は知らんが……お前が優秀だから任せようと考えたんじゃないか?」
「そんな適当な理由で任せるとは思えませんが………相変わらずいつも急ですね、うちの上層部は」
防衛軍では唐突に上層部から指令が下されることがある。別の地域に配属先を移されたり、新しい役割を課したりとだ。
防衛軍に所属する者たちは誰しも一度は経験するものである。ちなみに蓮もその一人だ。
過去に二回、配属先を唐突に移された経験がある。
「それともう一つ上層部からの指令がある。これから何があってもスティアを守れ、とのことだ。まぁ貴重な新兵器だから壊したくないんだろう。今のところ〈機巧天使〉はスティアだけみたいだからな」
「そこまで大事にするなら、なんで執行官にしたんですかね」
「試運転がしたいんじゃないか?スティアはまだ戦闘経験どころか訓練すら積んでいない新人だからな」
「無いんですか!?」
「ああ、ないぞ。もっと言えば仕事の経験すら無い。だからお前にはスティアに執行官の仕事を教えてやってほしいんだ」
「それは……分かりましたけど。どうやって育てたら良いんですか?新人教育なんて第六区に移る前に別国でちょっとだけやった程度なんですけど」
「今日は第六区支部の紹介と簡単な事務作業だけ教えてやれば良い。初日から詰めすぎても理解できないだろうからな。訓練は追々だな」
「は、はぁ……」
蓮は第六区支部に来てから、新人の教育なんてした事がない。
何をどう教えたら良いか忘れてしまったし、そもそも〈機巧天使〉であるスティアを自分の感覚で育てて良いのか。
困惑しながらも、ひとまずルーヴェスの言う通りにすることにした。
「それじゃあ、そろそろスティアのところに行ってきてくれ。これから長い付き合いになるだろうからな、仲良くやれよ」
「……了解しました」
その言葉を最後に、蓮は支部長室を出た。自動ドアの向こうではスティアが壁にもたれて待機していた。
支部長室を出る前と変わらぬ無表情、おそらく蓮の人生でここまで無表情な人間はいなかった。正直関わり方に困る。
「えっと……なんて呼べばいい?」
「好きに呼んでいいよ。スティアでもミーリエルでも」
「じゃあスティアって呼ぶが……スティアはここで何をすれば良いのか知ってるか?」
「天使と戦えば良いんでしょ?」
「それはそうだが、それ以外は?」
「……それ以外?」
小首を傾げて、スティアは言う。
蓮はすぐに理解した。コイツ絶対に何も分かって無いなと。
「……大体分かった。ならまずは第六区支部の紹介からだな。付いて来てくれ、案内する」
「ん、分かった」
蓮が歩くと、スティアもトコトコと蓮の後を追った。