プロローグ 忌むべき光の地獄
その日、街全体にサイレンの警報音が鳴り響いていた。
家も店もビルも何かも、あらゆる建造物が炎上し、倒壊している。そして地面には見るだけで吐き気を催すような死体が数え切れないほど転がっている。
瓦礫に潰された者、炎に焼かれた者、体の一部を千切られた者、切り裂かれた者。様々な死に様と流血が、地面を飾っていた。
その光景は文字通りの地獄だった。だがそれとは反対に、空は神々しく輝いていた。雲は晴れ、金色に輝く空が地面を照らしている。
あの空が現れたのが、地獄の始まりだった。空から降りてきた化け物たちが、数時間にしてこの街を地獄に変えた。
この街にいた者の八割以上は既に殺されている。先程まで聞こえていた無数の絶叫も、今では聞こえない。
聞こえてくるのは、街中で炎が燃え盛る音と、
『───』
瓦礫の上に呆然と座り込む一人の少年。その前に立つ、一体の化け物が発する言葉だけ。
血濡れた純白の衣装に、三対の大きな翼、頭上には光の輪を浮かべている。
思わず目を奪われそうになってしまう程の神々しさと美しさが、その化け物にはあった。
化け物がその気になれば、目の前の少年の命など一瞬で摘み取ることが出来ただろう。しかし、化け物はそうしなかった。
そこにどんな意図があるのか、それはもはや人間に理解できた物ではない。
『───』
化け物が続けて語る。だが少年の耳にはもはや言葉は届いていなかった。意識の全てが、目の前の地獄に向けられている。
何年も暮らした家は崩れて燃えている。いつも自分と一緒にいてくれた家族は、もはや原型すら留めていない。
信じたくない、夢であってほしい。呼吸すら忘れて、涙を流しながら願う少年を嘲笑うように、現実は彼の目に、意識に、精神に、地獄を隅まで焼き付ける。
『───ああ、もはや私の言葉すら聞こえていませんか』
化け物は憐れみの声を溢した。
この現状を産んだ張本人であるにもかかわらず、その端正な顔には心からの憐れみが見えた。
『可哀想に……必死に希望を願いながら、しかし心の中ではそれが叶わないものだと理解し、絶望している。ああ……是非とも、今すぐに救ってあげたい』
化け物は地に片膝を着いて屈んだ。ゆっくりと少年の頬に手を添えて、彼の目を見据える。
少年の目は焦点すら合っていない。昨日までは純粋だったはずの彼の瞳は、今では様々な感情に穢れていた。
『……ですが、ここで救ってしまうのも味気ないですからね。この慈悲は後に取っておくとしましょう』
化け物は満足気に言うと、立ち上がる。そして少年に背を向けた。
『またいつか、貴方とは会うことになるでしょう。楽しみに待っていますよ、少年』
化け物が少年から遠のいていく。少年は動かなかった。いや、動けなかった。
足に全く力が入らない。動くという選択肢すら湧かない。遠のく背中を、涙で霞む瞳で見つめながら、
『おっと、そういえば名前を教えていませんでしたね。名前が分からなくては、再会する上で不便ですからね。私としたことが、これは失礼しました』
思い出したように言って、化け物は少年に振り返る。
『私の名は■■■■■。また会う日まで、貴方が生きていることを願います。少年』
その言葉を最後に、今度こそ化け物は姿を消した。
取り残された少年は、先程の言葉を脳内で反芻していた。告げられた化け物の名は自分でも不思議なくらい、しっかりと耳に残った。
「…………」
少年は静かに立ち上がる。
無力感、絶望、憎悪───堪え切れないくらいの負の感情を抱えながら、少年はありったけの力で拳を握る。
この日、この瞬間に、彼が生きる理由は決まった。