16.真:新婚旅行
レストランの新婚夫婦が、不思議そうな顔で見守る中。俺たちはパンケーキを間に挟み、向かい合っていた。
国軍第一師団長シュティングル、国軍魔導兵器ハナ、そして二等兵の俺――なんなんだ、この時間。
「それで、何が目的だ……?」
「ハナさんにお話がありまして」
突如改まったシュティングルに、俺より先にハナが「ハナさん?」と驚きの声を上げた。
いったい、ヤツに何が起こったのか。軍トップレベルの戦闘力を誇る寡黙な鉄仮面は、これまでハナを、何のためらいもなく戦場に連れていくような男だったはずだ。
まさか、前世の記憶を取り戻したことと何か関係しているのか――。
「ハナさんが好きです。私の妻になりませんか?」
「は…………はぁ!?」
思わず立ち上がった俺を、ヤツは「まぁお聞きください」と右手で制した。
当の本人は特に驚いた様子もなく、無邪気に冷たいケーキをつついている。
「……結婚は好き同士がする。シュティングル、ハナのどこが好きになった?」
ひとごろししかしてなかったのに――俺がいつか、この町で問われたのと同じ言葉だった。
あの時の俺は、その問いかけに応えることができなかった。
「貴女のその強さと美しさに、今更ながら気づいたのです」
シュティングルのヤツは、無駄に良い面でハナに真っすぐ向き合い、自分の売り込みをはじめた。
パンケーキをいくらでも買う金があり、何者からも守れる強さを持つ、と。
「……クソ」
全部本当のことだと、俺でも分かる。
それにコイツがハナの側にいた方が、もう追われる生活から解放されるのは間違いない――ただ、俺はその後どうするのか。
今更このハズレ世界で、コイツのいない人生を送るというのか。
「そう。たしかに、オマエの方が金持ち、強い、あとイケメン」
コイツ――簡単に手のひら返しやがった。
「でしょう? 結婚するならば、彼よりも私の方が良いのでは?」
「でも、ダメ」
はっきりと響く、凛とした声の後。テーブルの下で震えていた手に、温かいものが触れた。
「ハナをあそこから出してくれたのは、オマエじゃない。グライル、だから」
シュティングルへ、決意の眼差しを向けるハナ。彼女の力強くも小さな手が、俺の左手の指輪に触れていた。
「ハナ……」
シュティングルのヤツに託した方が、コイツのためになる。そう思っていたはずなのに、心底ほっとしている自分がいた。
緊張が解け、涙腺が熱くなる中。
「貴方はどうです?」
ハナの答えに微笑んだシュティングルは、なぜか俺を見つめている。
「一度逃げた貴方は、彼女に向き合えるのですか?」
『どうせまた、逃げるのでは?』
魔法武闘大会の直後に聞いた、ヤツの声がこだまする。
何でコイツがそんなことを訊くのか――考え込むうちにも、シュティングルは俺を攻め立てるように続ける。
「まず、人の変化に気づかない。関心を持たない。何のために一緒いるのか、近すぎて分からなくなった……前の貴方は、そんな風だったのでは?」
じょじょに速度を上げていた心臓が、ついに握りつぶされそうになった。
コイツは、やはり前世の俺を知る人物なのか――それにしても、詳しすぎる。
「どうなんですか?」
大男から放たれる真剣な眼差しに、喉が締め付けられる。
同じくこちらを瞬きもせずに見上げるハナへ視線を落とし、不安げに力の抜けた手を掴み直した。
「俺は、もう逃げない……コイツに向き合うって、決めたんだ」
ハナの手から伝わる熱に、全身の緊張が解けていく。
ずっと言えなかった本音が、喉を滑る。
「最初はただ……コイツが処分されるって聞いて、身体が先に動いただけだった」
だが、今は違う。
「コイツをあの場所から連れ出したこと、俺は後悔していない」
「グライル……」
ありがとう――隣の俺にしか聞こえないよう、ハナは呟いた。
「お前の言うとおり、前世で俺は大切な人を不幸にした……幸せが空気みたいに当たり前になって、永久だと思ってたんだ」
アイツとの結婚生活。20年の間に、いつ変わってしまったのだろうか――気づいた時には、もう遅かった。アイツは、衣里は、弁解する時間も与えず俺の元から離れていった。
「……後悔、しているのですか?」
「ああ、それに関しちゃな。もう俺の顔なんざ見たくねぇかもだけど、もしまた会えたら……謝りたい」
好きで一緒になったのに。
ずっと大切にすると誓ったのに。
それを果たせなかったことを、心の底から悔いている――そう、ヤツに真っすぐ告げると。
「……そう……ですか」
震える息を吐き出し、シュティングルは拳を握った。ゴツい手の甲に、太い青筋が浮かびあっている。
「……シュティングル?」
心配そうなハナに対し、シュティングルは顔を伏せたまま「私も」、と呟いた。
「幸せにあぐらをかいていたのは、私も同じ……だからこそ、あの時簡単に離れることができたのです」
「離れることが、できた……?」
シュティングルの言葉を聞き漏らさないよう、呼吸の音さえ消した瞬間。
「貴方は間違いなく、良い人でした。実際20年も一緒にいられたのだから……」
「お前……まさか、衣――」
名を呼ぶ前に、ヤツは俺を右手で制した。
「誰かひとりを永遠に愛し抜くなんて、ほぼ不可能なのかもしれません」
その言葉に、俺だけでなくハナも身構えていた。
「ですから、もし貴方たちにその時が来た時は……笑ってさよなら、できるといいですね」
「おい、お前……」
シュティングルはこちらを見ずに、「さて」と立ち上がった。
「これから私は、お勘定をお願いするのですが……レストランを出た瞬間、私は貴方がたを敵とみなします。」
急に鋭くなった眼光に射抜かれ、とっさに身構えたが。ヤツは財布袋を取り出し、やけにゆっくりとした動作でクリスタルを数え始めた。
「今度は先ほどの倍は本気を出させていただきますが。今遠くに行かれてしまっては、困りますねぇ」
気の抜けた調子に、キョトンとするハナと顔を見合わせた。
「万が一、その面白スキルで鳥などに化けて飛んで行かれては……あぁ、困るなぁ」
これはもしや、「逃げろ」と言っているのだろうか――とっさにハナの腕を引き、最後にもう一度だけシュティングルを振り返った。
「なぁ、やっぱりお前」
「10、9、8……」
カウントダウンを始めるシュティングルに、慌ててレストランを出るしかなくなった。
「面白スキル」と呼びやがったヤツの言うとおりにするのは癪だが、ここを離れるには鳥になるのが一番早そうだ。
【シェイプシフト】
以前ペンションでハナが可愛がっていた、巨大な鳥を思い浮かべる。極彩色の翼を広げ、目を輝かせるハナを乗せて飛び立った。
「ハナ、グライルのスキル……好き! どこへでも行けるから」
『……そうか』
転生したこの世界も、スキルも、全部ハズレだらけ。俺の二度目の人生ハズレだらけだと思ってた――が、違った。
「ハナ」
「ん?」
「……ありがとうな」
不思議だ。
コイツが今隣にいてくれるだけで、世界もスキルも最高に見えるのだから。
休憩がてら、緑豊かな孤島に降り立つと。
限界ギリギリだった身体から、極彩色の羽が抜け落ちていった。
「ハナの乗り物、おつかれさま」
「……おう」
砂浜に2人並び、夕日の沈む水平線を眺めていると。
棒のようになった手足を忘れるほどに、まだ見ぬ世界を前への期待感が膨らんでいった。
「逃げる旅は終わりになったわけだが、これからどこ行くよ?」
どこかに落ち着くか、と隣で寝転ぶハナを見ると。
「グライルがいるところなら、私はどこだって幸せ……ずっと『新婚旅行』のままでいい」
ハナが笑った。ここまで自然に笑う顔は、初めて見る。
その笑顔をまだ見ていたくて、小さな身体をそっと胸に抱き寄せた。
「うん……やっぱり、好き」
胸に額を擦り付けながら、ハナはっきりとそう言った。
好き――年甲斐もなくにやけてしまう。
「……今更だけど。俺の中身、42歳のオッサンだぞ」
「だから?」
即答に、思わず肩を引き離して顔を見ると。
「グライルは、グライル。妻をぎゅっとしてくれる、たったひとりのグライル……」
夕日と溶け合う赤い瞳に吸い寄せられ、白い額に口づけを落した。