14.最強の妻
「……ふん、確かにハーメルの字だな」
ハーメルから受け取っていた紹介状を手渡すと。ギールカじいさんは目を細めながら、手紙をじっと眺めていた。しかし、フンッと鼻を鳴らした瞬間。
「……おい!?」
このじじい、紹介状を何の躊躇もなく破り捨てやがった。
「オレは慈善活動家でもなんでもねーし、お人好しなハーメルの奴とは違う。オレが信じるのは金だけだ」
ギールカは破り捨てた紙片を火鉢へ投げ入れ、ゆらめく炎を見つめながら、「金を持ってこい」と呟いた。
「スキルを解除して欲しかったら、屋根の修理代に上乗せして、しっかり金を持ってきな」
「はぁ……50万とか、マジかよ」
しつこい国軍の追跡を絶つには、貧民窟のホテルオーナー、ギールカに金を献上しなければならないとは――しかも、修理費と合わせて請求されたのは、50万ルーツ。従軍時代の俺の給料、5か月分だ。
ポケットの中のクリスタルはすべて渡したが、屋根の修理代にもならなかった。食料を買う金すら尽き、財布は空っぽだ。
「……どうするかねぇ」
王都の大通りを歩きながら、ため息をついた。
正直、俺のスキル【シェイプシフト】で稼げる方法を考えたが、ろくな案が思い浮かばない。
子どもの頃にやったような「猫に変身して観光客の膝に乗り、チップを貰う」みたいな小銭稼ぎでは、屋根代どころか飯代すら厳しい。
「グライル、顔こわい」
「そりゃ、金がねぇと余裕もなくなんだよ……」
指輪を渡して早々、こんな情けないところを見せる予定ではなかったのだが――隣を歩くハナは、いつもの真顔で前を見据えている。
コイツは金と無縁の生活を送っていた。こういう感覚は、まだ分からないだろう。
「……指輪、売る?」
「は……?」
油断していた心臓が、ドキリと跳ねた。
コイツ――。
「グライルがくれたもの、大切……でも、それよりグライルの方が大切」
俺が苦しむ顔を見たくない――ハナはいつもの淡々とした調子で、そう言い放った。
大通りの雑踏が消える。ハナの澄んだ赤い瞳だけが、鮮やかに見えた。
「ハナ……」
「グライル、あれ見て」
人の感動をバッサリと断ち切ったハナは、人混みの先に掲げられた、大きな看板を指している。
《魔法武闘大会 参加者募集中! 賞金100万ルーツ!》
「100万……!?」
思わず息を飲む。
こんな大金が手に入れば、屋根の修理代とスキル解除代を支払ったとしても釣りがくる。
「でもなぁ。『冗談みてぇなスキル』じゃ、戦えねぇよな……」
今になっても、軍の連中から散々馬鹿にされた言葉を思い出してしまう。しかも剣の腕は、ハナに憐れみの目を向けられるほどだ。
これは見送るしかないか――肩を落としていた、その時。
「私が出る」
ハナが、相変わらず濃淡のない声でそう言った。
「は? お前が?」
「うん、勝てる」
当たり前、とでも言いたげな顔で、ハナはコクリと頷いた。
あれは一般人も参加できる、地域の交流会みたいなものだ。コイツならば、確実に勝てるだろう。だが――。
「ダメだ」
ハナは少しムッとして、俺を見上げた。
「どうして?」
「どうしてって……」
まず、コイツが本気を出せば相手は無事じゃ済まない。
力を抑えて戦うとしても、もしも何かの拍子に制御が効かなくなったら――俺では到底抑えきれない。現に昨日、ホテルの屋根を吹き飛ばしたばかりだ。
「グライル、『加減しろ』っていえばいい」
「あぁ? 本気か?」
俺の指示に従うから、間違いは起こさない――ハナは敵を前にした強者のような目で、武闘大会のステージを見つめている。
「……分かった。ただし絶対に殺すな。あと、派手にやりすぎるなよ」
「りょうかいです、二等兵どの!」
「……二等兵に『殿』を付けるヤツはいねぇんだよ」
こうなれば、目指すは優勝賞金。火加減を間違えなければ、穏便に勝ち進めるはずだ。
そうして始まった魔法武闘大会で、ハナは順調に勝ち進んでいた。
《な、なんと! 白髪のマフラーを纏った謎の少女が、『元魔法剣士』、『槍使い』、『巨大な斧を振るう猛者』たちを次々と場外へ吹き飛ばしているー!》
白熱する実況に、盛り上がる観客。周りの声など聞こえていないかのように、ハナはどんな相手も淡々と倒していく。相手の攻撃を軽々かわし、俺の「加減しろ」の声で火力を調整しながら。
「やばい……これ、優勝しちまうんじゃねぇか?」
だがこういう時こそ冷静にならなければ、マズいことが起こる気がする。高鳴る胸を抑え、「落ち着け俺」、と呟いた時。ついに決勝戦のアナウンスが響いた。
《ついについに決勝戦! 対するはぁ、火焔ほとばしる無名の少女・ハナと、素手でここまで勝ち上がったコワモテ大男!》
広間を埋めつくす観客たちが騒めく中。ステージに上がったのは、岩のようにゴツい筋肉の大男だった。
ヤツはただ体格が良いだけではない。その立ち居振る舞いには、洗練された印象を受ける。
「……よろしくお願いしますね」
「……うん、ハナもよろしく」
礼儀正しくも一礼した大男は、厳つくも、どこか優しい眼差しをハナに送っている。これから戦うヤツに向ける視線には見えないが――それにしても。
「どこかで聞いたことのある声……だったな」
大男が構えの姿勢をとった瞬間、既視感が脳裏をかすめた。
「……あれ?」
ハナも小首を傾げている。
しかし、大男は気にせず一直線に突っ込んできた。
「……っ、ハナ!」
相手は魔法もスキルなし。ただの素手だというのに、「加減しろ」とは到底言えなかった。
ヤツの動きは、今までのどの対戦相手とも違う。
純粋な戦士としての技量。
絶妙なタイミングでのカウンター。
そして、異様なまでに鍛えられた身体――あんなにデカいのに、速すぎて動きが見えない。
「……こいつ、一般人どころじゃねぇな」
いつの間にか、観客は静まり返っていた。
誰もが、紙一重の戦いに息を呑んでいたのだ。
だが――大男の動きが一瞬、揺らいだ。これまで一切無駄のなかったヤツが、ハナが撃ち放った火炎砲を真正面から受け止めた。
「……は?」
ステージの淵にいた大男が、場外に弾き飛ばされた。
そして、あっけなく試合は終わったのだ。
実況も観客も、誰も気づいていない。謎の大男が、ワザと負けたことに。
「ハナ、優勝した」
「お、おう……良くやったな」
ハナが無邪気に、優勝トロフィーを掲げている。そして賞金の100万ルーツが入った封筒を、得意気な顔で俺に渡してきた。
「失礼します」
背後から、聞き覚えのある男の声がした。
跳ねる心臓を押さえつつ、振り返ると――。
「……お前は」
「最後に戦った、強いやつ」
無邪気に「見て」、とトロフィーを見せつけるハナに対し、まだ若そうな大男はふっと微笑んだ。
「お嬢さんの強烈な炎魔法と、外からの声掛け……見事な連携でした」
「まいったか?」
間違いない。俺はコイツを知っている。
それに、あちらも俺らを知っている様子だ。
それでも、どこで会ったのか思い出せない――。
「今のあなたにとって、彼女は大切な存在なのですね。ですが……どうせまた、逃げるのでは?」
「は……?」
逃げる――ヤツの言葉に胸を刺されたまま、動けなくなった。
「アンタ……は……」
「いずれまた、返事を聞かせていただきましょう……それでは」
何者か問う間も与えられず、大男は雑踏の中へと消えていった。
古宿へ戻った後。
ハナが勝ち取った賞金を見せると、ギールカじいさんは喜んで【スキル解除】をしてくれた。
「まさか1日のうちに稼いでくるとはな! なかなかやるじゃーねぇか、お前さんたち」
「えへん」
これでハナにかけられていた追跡スキル、【ハッピー・アイスクリーム】の効果は切れた。あとは朝が来たら、どこまででも遠くへ行ってしまえばいい。
だが――『どうせまた、逃げるのでは?』――あの大男の言葉が、いまだに頭から離れない。
部屋でゴロゴロと雑誌を読むハナを眺めながら、ふと元妻のことを思い浮かべた。
『××は最後まで、私から逃げたままだった』
そうだ。俺はあの時、離婚届を突きつけられてなお――階下がやけにうるさい。物騒な客が来ているのだろうか。
「はぁ……考え事すら許されねぇのか」
「……グライル」
突然、ハナが雑誌を置いてベッドの上から飛び降りた。
何事か、と思いきや――。
「よぉ、逃亡夫婦さんよ」
静かに部屋のドアを開いたのは、いけすかないアイス野郎――ドルズだった。
ハナはヤツを睨みつけ、右手を構えている。
ようやく俺もソファから立ち上がったところで、『転生組』の連中がゾロゾロと部屋になだれ込んできた。
「おい……ウソ、だろ?」