13.誓いのペアリング
王都の賑やかな通りに足を踏み入れた瞬間、ハナは人混みの中へと駆け出した。
「すごい!」
驚きと興奮の声とともに、赤い瞳が輝きを放っている。
「おい、前見ねぇとぶつかるぞ」
「グライル、はやくはやく!」
石畳の大通りには、華やかな服を纏った人々が行き交い、店先には色とりどりの果実や焼き菓子が並んでいた。通りの向こうでは楽団が軽快な曲を奏で、子どもたちが手を繋いで踊っている。
「人が笑ってる……みんな、楽しそうにしてる」
ハナの笑顔が固くなった。雪山のペンションで、ハーメル老人とした会話を思い出しているのだろう。
コイツの心はいつの間にか成長して、自分が兵器として行った殺戮を悔いるようになっていた。
「お前が一役買った平和のおかげだ……だから、そんな顔すんなよ」
ハナは少し間をおいて、「うん」と呟いた。
「あっ、甘いにおい!」
焼きたてのパンとキャラメルの香りが漂う方へ、ハナは吸い寄せられていく。
後悔が食欲に負けるあたり、まだ心配するほど深刻な状態でもないのだろうか。それかコイツは、俺よりもずっと切り替えが上手いのかもしれない――。
「これ、凍氷町のふわふわパン思い出す……ペンネとコッサ、元気かな」
「あぁ、どうだかな」
人前で見せつけてくれた新婚夫婦は、きっと今も元気にレストランを切り盛りしているだろう。いつかまた連れて行ってやりたいが。今はコイツにかけられた追跡スキルを解いて、国軍の連中に追われる心配から解放されたい。
ショーウィンドウ越しにパンを覗き込むハナに、「買ってやろうか?」と声をかけると。
「でも……ハナ、がまんする」
コイツ、一丁前に遠慮しているのか。
解魔師を探すのにどれだけ時間がかかるか分からない以上、旅費はできるだけ温存しておくべきだが――。
「すみません、これひとつください」
「えっ……!」
いつもは思ったことをそのまま口にするハナが、欲しいものを口にしない。それが「兵器として育てられた影響」なのか、それとも「俺に遠慮している」のか――まだ温かいパンを、キョトンとしたハナヘ差し出した。
「……我慢すんな」
この旅のために貯めた、というわけではなかったが、少なくない金を持ってきている。
「今日は特別だ」
安心させるように笑うと、こちらを凝視するハナの瞳が小さく揺れた。
「……いいの?」
「いいんだ。どうせ長旅になるからな。今のうちに、必要なものは揃えとけ」
必要なもの――という言い訳をつけたが、結局はハナが気に留めたものを、片っ端から買った。
菓子屋で甘いパイを買い、服屋で流行りのワンピースを選び、書店でコイツの好きな雑誌と小説を数冊。
「……本当に、いいの?」
ハナは本の入った紙袋を抱えながら、こちらを遠慮がちに見上げた。「いいの?」と気にしつつも、口角が上がっている。
「気にすんな。たまには良いだろ」
本当は、このままいつまでもコイツを喜ばせていたかったが――気の進まない王都へ戻ってきた一番の目的は、解魔師を探すこと。
ドルズのムカつくスキル、【ハッピー・アイスクリーム】の効果が切れるまで、おそらくまだ1週間以上かかる。それまで逃げ切る自信は、正直ない。
「……隠れられる宿、探すか」
どんなに辺鄙なところへ逃げたところで、アイツらは的確に俺らを追ってきたのだ。今更隠れたところですぐに見つかるかもしれないが、都には国軍が介入しにくい場所が存在する。
そのひとつである貧民窟へ足を踏み入れた。
「……グライル、ここ、暗い」
「口、閉じとけ。キョロキョロしねぇで俺の方見てろ」
ここには上官連中のお使いで、何度も来たことがある。スキルを強化するという、胡散臭い薬を買うためだった。
「はぁ……まさか、またここに来るとはな」
植物に覆われた、2階建てのホテルを見上げると。
「ホラーハウス?」
「よく知ってたな、そんな言葉……行くぞ」
ここは怪しい薬を売り捌く連中が潜伏する、隠れ家的ホテルだ。いかにも治安の悪いここへは、ハナを連れてきたくなかったが――。
「ん? 珍しいな、グライル。女連れ……つか子どもか?」
「……ギールカじいさん。何も言わずに部屋を貸してくれ」
スキルの発動中なのか、じいさんの突き出た額が青く光っていた。
潜伏客が快適に過ごせるよう、常に【気配遮断】を張っていると売人どもに聞いたことがある。それがドルズのスキルを打ち消すことを期待して、古い客室に入っていった。
「屋根、床、壁ある。じゅーぶん」
「気を遣ってくれてありがとな……」
軋みのひどいベッドに転がったハナを横目に、ポケットの小さな袋へ指を伸ばした。
宿へ向かう途中で、ふらりと立ち寄った小さな露店で買ったもの――シンプルな銀の指輪がふたつ入っている。
「……あいつ、分かるか?」
今も、買ったばかりの少女雑誌を広げている。結婚指輪が何か分からない、という心配はないだろう。
そもそも結婚は、ハナを自由にするための手段だったわけだが――コレを渡すのは、俺自身のケジメみたいなものだ。いつまでも昔を思い出しては、「俺は変われるのか?」と自問する俺への――パタン、とページをめくる音が響く。
雑誌に釘付けのハナを前に、ふと緊張が走った。
前、どうやってプロポーズしたっけ――。
まるで思い出せない。
ただ、別れる直前に言われた「最後の言葉その3」は、やけに鮮明に思い出せる。
『××って記念日とか、全然覚えてなかったよね。せめて私の誕生日と結婚記念日くらいは、何か言葉が欲しかった……かな』
「俺って、ほんと……」
過去の自分を思い出して、深く肩を落とした。
俺の無神経な行動もそうだが、結局は言葉が足りなかったせいで何もかも失った。
だったら、今度はちゃんと言うべきなんじゃないか――そのまま日が暮れるまで迷い、頭を捻ったが、何も思いつかない。
こうなったら、とにかく渡すだけでも――。
「ハナ」
指輪を握りしめ、声をかける。
「ん?」
ベッドから顔を上げたハナに、小さな銀の指輪を差し出した。
「これ……」
指輪を手にしたハナの、赤い瞳が丸くなっていく。かすかに潤んだ瞳が細くなると、満面の笑みが咲いた。
「これで私はオマエの妻か?」
やっとだ――溜め込んでいた重い空気をすべて吐き出し、微笑むハナの肩に手を添えた。
「グライル、やっと決心した小心者の夫」
「お前なぁ……!」
恥ずかしさと照れくささが同時にこみ上げる。
それでもハナが嬉しそうに笑っているから、怒る気にもなれなかった。
「ふふ……」
ハナは薬指の指輪をじっと眺めながら、クスクスと笑っていた。サイズが少し大きい。調整している時間などあるだろうか――考え込んでいると、いつの間にか背中がベッドに着地していた。
「あ……?」
こちらを覗き込んだハナは、雑誌を横目にニヤリと笑う。
「グライル……これから初めての儀式をする」
「は?」
ベッドに押し倒された俺。
真顔でこちらを見下ろすハナ。
コイツが何を言っているのか、ようやく気づいた。
「おい待て待て! お前、何を読んだ!?」
「『結ばれた2人の幸せな日々』……夫婦の儀式編」
「クソ……最近の少女雑誌はませてやがる」
ハナはこちらに構わず、じりじりと距離を詰めてくる。
その以上に強い手を全力で掴み、「どうどう」と制止した。
「まだ夫婦じゃなくて、やっと家族になったところだろ」
ハナの瞳から、ふっと光が消えた。
「……やっぱり、グライル気にしてる。ハナは兵器だから」
違う、そうじゃない――でも、どう言えばいいのか。
答えを探す間にも、掴んだ腕が熱くなっていく。
「おま……やめろ!」
紅の魔法陣が広がった瞬間。
気がつけば、天井が吹き飛んでいた。
「なっ……」
コイツ――昂ぶった魔力を抑えられずに、屋根を吹き飛ばしたのか。
「ハナが人をたくさん壊してきたから、愛せない。愛してくれない……!」
「違う、俺はお前を兵器なんて思ってない! お前は俺の大切な……」
言葉より早く、涙を流すハナを抱きしめた。
泣いているところなんて、初めて見る――そんな顔をさせたかったんじゃない。どう慰めたら良いのか分からず、濡れた唇にそっと口付けた。
「……グライル?」
「い、今はこれでいいだろ……この先長いんだし」
2人で世界を回る中で、焦らず「人間のふつう」っていうのを知れば良い。
「俺はずっとこの先も、お前といる……約束する」
「グライル……うん」
この時。涙を流しながら微笑むコイツを、初めてキレイだと思った。
「何ださっきの音は!?」
余韻に浸る間もなく、部屋に乗り込んできたのは――。
「げっ」
ボロ宿の老主人ギールカだ。
「屋根が……ない、だと? おいグライルテメー!」
「まずっ……」
ギールカじいさんの額には青筋が浮かんでいる。
これは本格的に怒らせたかもしれない。
「ったく……このオレがすぐに【スキル解除】を発動してなかったら、ホテル全体が吹っ飛んでたぞ!」
一瞬、頭が真っ白になった。
スキル解除――いや、まさか。
「じいさん、今【スキル解除】って言ったか……?」
ギールカじいさんは、溜め息を吐きつつ、突き出た額をゴリゴリとこすっている。夕日に照らされた横顔を見つめていると、やがてぼそりと呟いた。
「オレはこう見えてもなぁ、昔『兵器工場』でスキルの研究をしてた。【スキル解除】の専門家ってやつだ」
時間差で、ようやく脳に理解が追いついた。
ハナはキョトンとしてこちらを見上げている。
「グライル、どうしたの?」
「どうしたもお前……探す手間が省けたってことだ!」
ギールカじいさんは顔をしかめつつ、俺を睨みつけてきた。
「そんで? 屋根ぶっ壊した賠償、どーすんだ?」