12.ハッピー・アイスクリームの真価
老人がバターナイフ1本で、10メートル級の巨人をなぎ倒す光景――それは映画のワンシーンのようで、どこか現実味がなかった。しかしシュティングルは地に伏したまま動かなくなり、俺たちは無事に立っている。
「じい、よくやった。ハナが頭ナデナデする」
「お前は大人しくしてろって!」
手足をばたつかせるハナを腕の中に抱え、眼帯越しの横顔を見つめた。
「じいさん、アンタ……」
ハーメルはこちらを見て微笑むだけで、何も言わない。
「師団長殿!」
倒れたシュティングルは、いつの間にか元の大きさに戻っていた。が、妙に下っ端連中が慌てている。
「私は……寒い……ここどこ……?」
鉄仮面越しに頭を抱えているシュティングルは、突如知らない土地に放り込まれたように、辺りを見回している。挙句、「あなたは?」とドルズを見て首を傾げる始末だ。
「おいおい……師団長殿、頭を打ち過ぎて記憶喪失にでもなっちまったのかぁ!?」
「記憶喪失だって……?」
俺の声に反応したシュティングルが、こちらを振り向いた瞬間。
「××……?」
それは25年ぶりに聞く、懐かしい名前。
「は……」
突然、雪山に俺とシュティングルだけが取り残されたような、そんな心地がした。
「……なんでお前が、俺の名前を……?」
いや、知っているはずがない。コイツ、転生前の記憶がなかったタイプか――きっとハーメルに何度も吹っ飛ばされた衝撃で、記憶が戻ったのだろう。
だが、前世の俺の名前はありふれている。きっと似た誰かと間違えているだけだ。無数の世界から転生者を喚んでいるこの世界で、同じ出身のヤツとそう簡単に出会えるはずがない。
「うっ……頭が、痛いわ……××、ここはどこ?」
気のせいだ。きっと、他の誰かと間違えているだけだ――やがて下っ端連中は、シュティングルの巨体を4人がかりで抱え上げた。すっかり動揺したドルズの野郎は、「必ずまた追いついてやる」と捨て台詞を残し去っていく。
「……グライル?」
いつの間にか、ハナが俺の手を掴んでいた。柔らかい小さな両手が、震える手を包み込むように。
「いや、何でもない……」
そう、何でもないことだったんだ。
夜通し悶々とし続け、寝不足のまま迎えた翌朝。眩しい雪がなだれ込んだ玄関先には、鋼巨人が突き破った天井から朝日が射し込んでいた。
「おそよう、グライル。修理、手伝おう」
「……おう」
毛皮のコートをハーメルから借りたハナは、華奢な身体からは想像もできない力で瓦礫を運んでいた。
「おや、やっと起きたか」
清々しい顔のハーメル老人は、真っ二つになった玄関テーブルに、コーヒーカップを3つ並べている。
「……おはようございます。修理、手伝うわ」
「ほほっ、若い力は頼もしいのう」
俺より、じいさんの方が凄まじい力を持っていると思うが――無駄口を叩く前に、軍服の袖をまくり上げた。
やがて日が頭のてっぺんまで昇る頃。
瓦礫撤去を終えたハナは、牧場でモフモフたちと戯れはじめた。稀に見る満点の笑顔を横目に、ハーメル老人と並び、扉へ釘を打ち込んでいると。
「ワシも転生者での。元の世界では『コンビニ』の雇われ店長をしとったわ」
突然の告白に、思わず金槌を止めた。
「コンビニ……」
忘れかけていた言葉に、ふと前世の街並みを思いだす。この世界とはまるで違う、コンクリートと高層ビルに囲まれた都市のことを。
この人、俺と同じ世界から転生したのか――。
「この世界に転生した時、ワシは『当たりスキル』を引き当てた。全能神が何を思ったのか、ワシにそれを与えた……」
シュティングルを圧倒的に上回ったのは、スキルを無効化するスキル【凪】――ハーメルは雪をかぶった山頂を見つめながら、静かに明かした。
「このスキルで成り上がり、総帥と呼ばれた時期もあった」
「総帥、だと……?」
確かにあの力があれば、軍のトップにだって登り詰めることができるはずだ。だが俺が知らないということは、じいさんが従軍していたのはもう10年以上前のことなのかもしれない。
「俺は国のために、『最強の兵器を作れ』と命令を受けた。そのために、どれだけの人間を道具のように扱ったか……そして、どれだけのものを、失ったか」
天井から注ぐ光が、ハーメルの横顔を照らす。昨日見ていた写真の女性も、その「失ったもの」の中に入っているのだろうか。
「だからこそ、ワシはお前たちを応援したい」
ハーメルは、遠くで遊ぶハナと目の前の俺を交互に見た。その目には、かすかな光が映っている。
「お主たちには、まだ選べる道がある。ワシは選べなかった。間違えた……だから、せめて、お主たちは」
視線を感じたのか、ハナがいつの間にか寄ってきた。引き連れたモコモコ羊たちの黒い瞳と一緒に、じっとハーメルを見つめている。
「……ハナは、間違えた?」
これまでに、たくさんの人を殺した――笑顔を消したハナは、そう呟いた。
間違えたのは、コイツではないのに。
奥歯を噛みしめていると、ハーメルは静かに片目を細めた。
「お前はこれから選ぶんだ」
「これから……?」
ハーメルと見つめ合ったまま、ハナはもう一度「これから」と呟いた。
応急処置の修理を終え、部屋に帰った後も、ハナはただ天井を見つめていた。
そのままベッドへ横になったハナが、静かに寝息を立てはじめた頃。
「……間違えたのは、俺もだ」
以前は口にすることすら恐ろしかった言葉が、喉からこぼれ落ちた。
俺は「前の人生」で間違えた。元妻――衣里に寂しい思いをさせ、心を裏切ってしまった。
今だって、結局は間違えてばかりだが――。
「まだ、やり直せるのか……?」
軍を退いた老人が言った、「まだ間に合う」という言葉が頭の中に響く。
隣をちらりと見やると、銀色のまつ毛がかすかに揺れた。この無垢な寝顔を見て、誰が彼女を兵器だと思うだろうか――。
白い頬にかかった髪をそっと払い、静かに拳を握る。
「……今度こそ」
今の幸せにあぐらをかいて、誰かを傷つける人生はもう嫌だ。俺はこの先、誰かを守れる人間になれるのだろうか――不安と焦燥が頭を巡る中、静かにハナの隣へ横たわった。
翌朝。旅立ち前の朝食を出してくれたハーメル老人は、真剣な面持ちで口を開いた。
「重要なことを話しておかんとな」
重要なこと――何かと思えば、「ハナにスキル効果がかかっている」と指摘された。
「スキル効果って……お前、いつの間にかけられたんだ!?」
連中との戦闘時も、対話中も、不審な動きを見た覚えはない。
「ハナ、知らない……何もされてない」
本人も気づいている様子がなかった。
「いやな、その子が妙に『寒い』というから、何か悪い効果にでもかかっているのかと心配しての」
そういえば、ハナは道中も「寒い」と繰り返し、俺の背中にくっついていた。
「それは、ただ単にコイツが冷え性なんじゃ」
「でた、ヒエしょー」
ハーメルは眼帯越しの右目を押さえ、首を横に振った。
「この眼は視力を失った代わりに、スキル効果を視ることができるのじゃ。その子に、追跡系の能力がかけられていると出ておる……【ハッピー・アイスクリーム】? 何じゃこれは」
「アイスって……あ!」
同時に声を上げたハナと、目を見合わせた。
『【ハッピー・アイスクリーム】は、氷か水さえあれば、ダブルのコーンアイスを無限に生み出すことができる』――俺とどっこいの、「冗談みてぇなスキル」。そいつの真価がもし、追跡系のスキルだとしたら。
「クソっ! 全部説明つくじゃねぇかよ」
どんな辺鄙な土地に逃げたとしても、アイツらが的確に俺たちを見つけられた理由――ハナを平気としか見ていないドルズの野郎が、ハナにアイスを食べさせていたのは、逃げられても追跡できるようにするためか。
「週一のメンテ後のご褒美……つってたよな?」
「……ハナ、知らなかった。ごめん」
「いや、謝らなくて良い。俺も気づかなかった」
少なくとも、1週間は効果が持続するのだろう。
「ワシの古い友人に、【スキル解除】の能力を持つ者がいる。王都の『兵器工場』で働いておったが、今は隠居しておる……だがのう、あの男は性格がひねくれておるからな。根っからの商売人で、タダでは動かんぞ」
そいつにスキルを解いてもらえ――ハーメルが紹介状を書いてくれたが、王都に戻るのは気が進まなかった。だがこのままでは、ループする逃亡生活から抜け出すことすらできない。
「……今度こそ」
変わるんだ。
逃げてばかりの人生から、コイツを守る――いや、コイツと一緒に歩く人生へ。
「王都……」
暗い顔をするハナに、覚悟の手を差し伸べる。
「逃げながらの新婚旅行は、もう終わりだ」
これからは、誰にも邪魔されずに2人で世界を見て回りたい――決意を胸に、ハーメルのペンションを去った。