11.バターナイフ1本で済む
「おぉーい、二等兵先輩よぉ! ここに居んのは分かってんだ」
玄関の扉の外に、間違いなくムカつくアイス野郎――ドルズ一等兵がいる。
なぜコイツらがここをピンポイントで探し当てることができたのか。考える間にも、玄関の扉が大きく揺れ、冷えた夜気が吹き込む。
「チッ……」
ハーメルに迷惑をかけるわけにはいかない。開けるしかないか――片手を剣の柄に添えつつ、扉を開くと。白く積もった雪の中に、鎧を纏った兵士たちの影が並んでいた。その筆頭には、相変わらず舐めた顔の若造がいる。
「やっと出てきたなぁ、二等兵先輩! 会いたかったぜぇ」
軽薄な声に、顔をしかめる以外ない。
こちらに寄ってきたハナを背後に隠すと、ドルズはニヤニヤと笑いながら、手をひらりと翻した。
「ま、無駄な逃亡お疲れさんってことで! いつものご褒美だよ、兵器ちゃん?」
ヤツが指を鳴らした瞬間。氷の粒が舞い、青白いアイスクリームが手のひらに現れた。
「【ハッピー・アイスクリーム】!」
ドルズが軽く投げたそれは、ふわりと宙を舞い、俺たちの方へ向かってくる。
「外れスキル」と人を散々馬鹿にしたコイツのスキルが、俺とどっこいの「冗談みてぇなスキル」だったとは驚いたが――コイツの煽りは純粋にムカつく。
「誰がそんなもの……」
アイスクリームが、いつの間にか消えていた。とっさに周囲を見回すと。俺の後ろに隠れていた、ハナの口が動いている。
「……おい、お前」
「甘い。おかわり」
淡々と呟くハナに、ドルズが「おうよ!」と嬉々としてアイスを投げる。
パクッ、パクッ、パクッ――俺が唖然とする間にも、ハナはアイスを口でキャッチしている。
「てめぇ、遊びに来たのか……?」
「怒んなよ、パイセン。ただのご褒美タイムだろ?」
「つかハナ! そんなの食うなよ、腹壊すぞ」
食べ終わったハナが、口の端を拭いながら、静かに首を傾げた。
「アイス、くばるスキル……使える」
「いや使えねぇよ! どう考えても軍人のスキルじゃねぇだろ」
改めて、なぜ俺がコイツの下なんだ――。
「はぁ!? それ言ったら、てめぇの【シェイプシフト】だって、戦場じゃ役立たずじゃねーか!」
「うるせぇ! 動物に変身できるだけマシだろ!」
ピシッと指の関節を鳴らしながら、ドルズは新しいアイスを作り続けている。
本当に、コイツは何のつもりなのか――「これ以上はダメだ」、とハナを背後に隠し、剣の柄を握る手に力を込めた瞬間。凍てつくようだった辺りの空気が、さらに張り詰めた。
威圧の塊が、遠くから少しずつ、こちらへ歩み寄ってくる気配を感じる。
「……お出ましだぜ」
ドルズの表情が、一瞬だけ引き締まる。
雪を踏みしめる重厚な足音が止まると。兵士たちが一斉に敬礼し、道を開けた。
その先には、白銀の鎧を纏った巨漢――師団長様が仁王立ちしている。
「シュティングル……」
ハナの声が、淡く震えた。
無機質な鉄仮面が、ハナを射抜くように見据えている。
「……外へ連行しなさい。ここで処せば、一般人を巻き込んでしまいます」
水の中で響くような、低い声。
俺はハナの手を引いて逃げようとした、が――。
「残念だったなぁ、二等兵先輩?」
ムカつく声を振り返ると。老人ハーメルの首元に、ドルズの短剣が突きつけられていた。
「……『正義の国軍』じゃあねぇのかよ」
「おっと、動くなよぉ? オレはよーく剣を研いでるからなぁ。おいぼれじいさんが、ちょっと首を捻っただけで、薄皮一枚切れちまうぜ?」
シュティングルが、冷えた目でドルズを見下ろしている。それでもアイス野郎は、卑怯な手を緩めようとしなかった。
「クソ野郎が……」
「ご老体を外へ……退いていなさい、一等兵。二等兵、そして『魔導兵器』……今ここで確実に処します」
感情を削ぎ落としたような声で、そう言い放った瞬間。シュティングルの身体が淡く輝き始めた。
「……ッ!?」
嫌な予感が、全身を駆け抜ける。
戦場を遠くから見たことしかない俺でも、ヤツの鬼神の如き戦いぶりは目についた。しかしそれは、スキルの力ではない。ヤツの身体が持つ本来の強さだった。
「【シェイプシフト:鋼巨人】」
同じ【シェイプシフト】――だが、格が違う。
圧倒的な質量の鋼鉄が、玄関ポーチの屋根を突き破り、組み上がっていく。金属の擦れる鋭い音を響かせながら、シュティングルは巨大な鎧の兵士へと変化した。
「な……」
敵国の要塞を砕いたと、噂に聞いた金属の巨人――10メートル級のそれが、今目の前にそびえている。
冷気を放つ全身鎧は、玄関のわずかな灯りすら跳ね返し、無機質に光っていた。
『……処す』
分厚い右手に握られているのは、巨大な鋼鉄の大剣。
全身が震える。おそらく何に【シェイプシフト】したところで、巨大なコイツの前では無意味――考える間も与えられないうちに、ペンションごと俺たちを叩き潰そうと振り上げられる。
「グライル。ハナ、ちょっと本気じゃないと、アレに勝てない」
嫌というほど冷静なハナの声に、「やれ」とは即答できなかった。そんなことをしたら、このペンションどころか牧場まで火の海になる。
本人もそれは分かっているのか、こちらの判断を待っている――どうすれば良いんだ。
「おっとぉ、動くなよ? おとなしく潰されろよセンパーイ!」
「クソッ……!」
逃げようにも、ドルズの野郎が短剣でハーメルンの首を撫でている。
屋敷の影が、巨大な剣に覆われた。
このままでは、本当にペンションごと潰される――。
「ふぅ……腰が痛いんじゃがのう」
死を悟る威圧の中。穏やかなしわがれ声が響くと同時に、高く鋭い音が響いた。
「……あ?」
振り下ろされた剣の軌道に、何かが飛び込んだところまでは見えていたが――3メートル級の巨剣を、30センチにも満たない銀の棒が受け止めている。
「……バターナイフ……だと?」
かすかに震える巨剣に対し、一本のバターナイフは決して揺らぐことなく静止している。それを握るのは、ペンションの管理人ハーメルだった。
「……じい、すごい……」
呆然と呟いたハナの声が、夜の静寂に響いた。
今はコイツの語彙力を馬鹿にできない。俺も、「すごい」以外の言葉が見つからなかった。
「しばらく離れておる間に、大したスキルを持った後輩が生まれたもんじゃの。だが……」
あり得ざる力を発揮している老人から、ドルズがおそるおそる離れていった。どう見ても、俺より筋肉も骨も薄い身体――それがシュティングルの巨剣を、余裕の笑みでなぎ払った。
「どんなスキルだろうと、ワシには関係ない」
衝撃で解けた白髪をなびかせ、ハーメルは不敵に笑った。
鋼鉄の身体が、暗闇の雪景色に倒れていく。巻き起こった突風に吹かれるハーメルの、眼帯に覆われた右目がわずかに光っていた。
「言ったろう? ワシは過去に最低なことをした……と」
ゆっくりと立ち上がる巨体を、ハーメルは口を動かしながら突き飛ばした。やはり、バターナイフの先端ひとつで。
『ぐっ……なんだ、この力は……!』
「シュティングル師団長!」
もはやハーメルは、シュティングルが立ち上がるのを待っている。ようやく起き上がったヤツの繰り出す剣の舞を、ハーメルはバターナイフひとつでいなしていた。
「じい、ハナと同じくらい強い! すごい! やっちゃえ」
興奮気味のハナを引き寄せ、細身の老人の背後へ回った。
老人に守ってもらうなど情けない話だが、背に腹は代えられない。
「よい、そのまま隠れておれ。これはワシの贖罪……ワシの生み出した『TYPE:C』への、せめてもの滅ぼしじゃ」
「じいさん、アンタ……」
巨剣を強く跳ね返すと。ハーメルはバターナイフを手に、雪の中へ沈んだシュティングルに向かって一歩踏み込んだ。