王都へ
ブラウンツヴァイクラント人達は皆、ぽかんとしました。
私もしました。
母が何を言っているのかわかりませんでした。
しかしレーリヒ卿だけは笑顔で
「承知致しました。」
と言いました。
「な・・な、何を言っているんだ!勝手な事をされては困る!」
とネーボムク男爵が立ち上がって叫びました。
「あら、どうしてですか?私達はこの屋敷に幽閉されているわけでも監禁されているわけでもありません。どのように行動しても自由のはずです。」
と母が答えます。
「そ・・それはそうだが、しかし我々にはあなた方を保護する義務があるのです。王都など、そのような遠く・・。馬車で四日、いや五日もかかる距離なのですぞ!」
義務なんか無いし、そもそも果たしていないじゃないの?と心の中で思います。
「それに、初対面の人間に同行を頼むなど、淑女のされる事ではありませんな。それがブラウンツヴァイクラントの流儀なのですか?ああ、何と嘆かわしい!」
「今は非常の時ですから。戦争や大きな災害があった時には、いつもと異なる事にも臨機応変に対処する、水のような柔軟さがブラウンツヴァイクラントの流儀です。そもそも、あなたとて、一ヶ月前には顔も知らぬ他人でした。」
「しかし・・どんな危険があるか。」
「私共は大人です。どのような危険があろうとも自己責任だという事は承知しています。」
「しかし!」
「行きましょう、お母様!私、お母様に付き添います。」
私は男爵の言葉を遮りました。母が、何の考えも無しにこのような事を言っているわけがありません。さっきの手紙の事といい、何か理由があるはずです。
「ありがとう、リナ。長く馬車で揺られるのは体に良くないから、アリゼはティナーリア様達の側に残ってくれる?クオレ。お母様を頼むわね。エマとニルスは私について来て欲しいわ。」
「でも・・。
姉は、不安そうな表情でフェルミナ様の方を見ました。フェルミナ様も不安そうに姉を見返します。
確かに、こんな屋敷に幼いフェルミナ様を置いていくのは不安だと思います。でも、今の状況なら別行動をとる方が安心なのです。
別行動をしていたら、フェルミナ様達に何かあっても私達が告発できます。レーリヒ卿について行った私達に何かあってもティナーリア様が告発してくださるでしょう。その事実が抑止力となるはずなのです。
「王都までは片道四日かかります。往復で八日。買い物に一日かかったとして九日。一日の余裕を持って十日経ったら必ず戻って参ります。決してお約束を違える事はありません。どうか私達を信じてお待ちください。」
母は真剣な表情で言いました。
「必ず我が商会が無事に奥様方を王都にお連れします。どうか心配なさらず、お任せください。」
と言ってレーリヒ卿は胸を叩きました。
あなたが信頼できるのかが一番大切なポイントなのですけれど。
「フェルミナ様。ティナーリア様。」
姉はお二人に跪きました。
「十日したら、必ず戻って参ります。おいしい焼き菓子をたくさん買って参りますから。」
「ありがとう。エマ。」
そっと目を伏せてティナーリア様は言われました。そして、姉の耳元に顔を近づけ、そっと囁かれました。
「戻って来なかったとしても恨まないから。」
それから少し大きな声で言われました。
「怪我をしたりしないよう体には気をつけてね。」
「ティナ様。」
姉の声に涙が滲んでいました。
ネーボムク男爵はまだ、顔を青くしたり赤くしたり大変でしたが、男爵がまた何かを言い出す前に私達は行動を移しました。
結局贈り物は、ティナーリア様が絹織物をフェルミナ様が香油を選ばれました。それを選ぶよう男爵夫人が囁いたからです。
私や母や姉の支度にそれほど時間はかかりません。商品を馬車に片付けるレーリヒ卿の方が大変なくらいです。しかし、手際の良い従僕が四人もいたので、あっという間に片付きました。
母は手元に残った数少ない貴重品を全部アリゼに渡しました。アリゼは不安そうに涙ぐんでいましたが、それでも
「お義母様の判断を信じています。どうか、道中お気をつけてください。」
と言って涙を拭いていました。
そんな様子を、二人の護衛がじっと見ていました。
そして、ここへ来て一ヶ月余り。私達は表門から外に出ました。門から出る時、門番が私達を止めようとしました。しかし、屈強な護衛に睨みつけられると、すぐに後方に引いてくれました。
姉は何度も何度も、後ろを振り返っていました。フェルミナ様が楓のように小さな手を窓ガラスに押し当てて、外をずっと見ていました。
「さあ、どうぞ。」
と言ってレーリヒ卿がエスコートをしてくれ馬車に乗ります。馬車は豪華でも貧相でもない普通の箱馬車です。座席は木でできていて、クッションの類いもありません。
この馬車で四日か・・・。
と思うと少しげんなりとしました。
人が乗るスペースと荷物を置くスペースが、完全に別部屋になっているのはありがたかったです。ただしその為に、想像よりも馬車の内部は狭かったです。
家族だけなら良いけれど、レーリヒ卿がご一緒と思うと気兼ねですね。と思い、私はため息をつきました。
しかし、レーリヒ卿は御者の隣に座られました。従僕の一人が御者を務めます。もう三人の従僕と護衛の方は騎馬でした。
なので、家族とベルダだけで馬車の中に座る事ができました。
御者の掛け声と共に馬車が動き始めます。
「お母様、どういう事なのですか⁉︎」
馬車が動くと同時に姉が強い声で母にそう問いかけました。