来訪者
それからしばらく経って。
フェルミナ様もニルスも元気になった頃。
一台の馬車が、ネーボムク男爵の屋敷にやって来ました。
訪ねて来たのは、港町の大商人でした。海の向こうの大陸とも交易を行っているという豪商で、男爵位も持っている人との事でした。
「こちらのお館に、琥珀姫様と琥珀宮様が滞在しておられると聞き、是非ご挨拶をと思って参上致しました。」
『琥珀姫』様というのはフェルミナ様の事です。ブラウンツヴァイクラントの王女は、一人一人離宮を賜って暮らしています。その離宮には宝石の名前がついています。フェルミナ様が暮らしておられた離宮は『琥珀宮』という名称だったので、フェルミナ様は『琥珀姫』、御母上のティナーリア様は『琥珀宮様』と呼ばれていました。
ちなみにカトライン殿下は『瑠璃宮』でお暮らしだったので、『瑠璃姫』と呼ばれておいででした。
「いったい誰がそのような事を!」
ネーボムク男爵は慌てていました。屋敷の中に入れたくはなかったようですが、相手も男爵なので無碍にできなかったようです。
「商人には商人の、貴族には貴族の情報網がございます。琥珀姫様がこちらにご滞在の事は既に中央もご存じです。」
そう言われてネーボムク男爵は蒼ざめていました。この男はやはり、最終的には私達を殺すつもりだったのでは?と、確信が強まりました。
「私の名前はダニエル・フォン・レーリヒと申します。本日は琥珀姫様や琥珀姫様を援助しておられるネーボムク卿に贈り物を持参して参りました。琥珀姫様と琥珀宮様にお目通りが叶うなら幸甚の至りでございます。」
『贈り物』という単語に男爵は明らかに反応していました。
「姫様の側近の方々に聞いてみない事には何とも言えないが・・・。」
ちなみに盗み聞きをしているわけではありません。
玄関先で話をしているので、会話が丸聞こえなのです。
そして、私達の方に異存があるはずがありません。このレーリヒという人が信頼に値する人なのかどうかはわかりません。しかし、ここから逃げ出す為のこれは唯一とも言える機会なのです。
執事が私達のところに尋ねに来て私達は、勿論「面会する」と伝えました。
レーリヒ卿とは応接室で面会しました。
レーリヒ卿は何人も従僕を同伴させていて、せっせと商品を応接室に運び入れています。貴重品が多いのでしょう。剣を腰にさした護衛も二人同伴していました。
レーリヒ卿は年齢は30代の後半くらいでしょうか。まるで役者のように顔立ちが整った人でした。背も高く、声も朗々としていて笑顔に温かみがあります。ネーボムク男爵の50倍くらい華がある美男子で、侍女のアガーテやローレは顔を赤らめて見惚れていました。
目の前には美しい絹織物、金箔で飾られた漆塗りの小物入れ、ガラス瓶に入れられた香油、見事な刺繍が施されたハンカチなどが次々に並べられていきます。豪華なドレスをまとったビスクドールや、目に宝石が使われているクマのぬいぐるみもありました。
それらを最も血走った目で見ているのは、ネーボムク男爵と男爵夫人です。ティナーリア様とフェルミナ様は困惑した表情をしておられました。
「琥珀姫様と琥珀宮様にお目通りが叶い幸甚の至りでございます。どうぞ、この中から好きな物をそれぞれ何でも一つお選びください。わたくしからのささやかな贈り物でございます。」
全く持ってささやかではありません。どれもこれも、大変な高級品です。
この商人は何が目的なのだろうと思いました。そもそも、フェルミナ様は『捨宮の姫』のお一人なのです。
ブラウンツヴァイクラントの王宮には、後宮内に王妃が住む『金剛宮』があり、他に『紅玉宮』『青玉宮』『緑玉宮』『黄玉宮』『真珠宮』と呼ばれる小宮殿があります。それらの宮殿が『一軍』とみなされていて、後宮外にある他の離宮は『二軍』扱いされているのです。
後宮外の宮殿は『捨宮』と嘲笑われ、寵愛を得られなかったり失った妃の子供達が住んでいます。そこに住む王女達は王宮内で何の力も持っていないのです。
そんなお立場のフェルミナ様にここまで親切を示すなど、この商人は何が目的なのだろうか?と、嬉しさより不気味さが先に立ちました。
姉も不思議そうな顔をして目の前の商人を見ています。
フェルミナ様とティナーリア様が何も言われないでいると、レーリヒ卿は一冊の絵本を手にとってフェルミナ様に差し出されました。
「この絵本も是非、これらの品とは別にどうぞお受け取りください。王都で人気の絵本です。」
「・・ありがとうございます。」
と言って姉が絵本を受け取りました。そしてその場で中を開いて確認します。王女殿下の安全の為、側近がまず念入りに確認するのは当然の事です。
「きゃ!」
と姉が言いました。その絵本は、本を開くと絵が飛び出す仕掛けになっていたのです。
こんな絵本、生まれて初めて見ました。
その場にいた全員が絵本に釘付けになりました。クオレとニルスも絵本に見入っています。当然私もです。姉が1ページ1ページ本をめくるたび違う絵が飛び出して来ます。ヒンガリーラントの王都にはすごい本があるのだなとびっくりしました。
「僕達にも同じ物をあげようね。」
とレーリヒ卿は言い、一冊を姉に渡し、更にもう一冊を母に渡しました。
「ありがとうございます!」
と本好きのクオレが言い
「ありがとうございます。」
とニルスも続けて言います。
姉はすぐに本をニルスに渡しましたが、母は本を開いて中を確認しました。
何気なく私は母の手元を覗き込みました。そして目を見開いてしまいました。
本の中に封書が挟んであったのです。
『アルベルティーナ』
というサインが書かれていました。
その時
「琥珀姫様にこれも贈らせてください!」
と、舞台俳優のような大声でレーリヒ卿が言われました。思わず視線がそちらに向きました。レーリヒ卿が持っていたのは美しい小瓶に入れられた宝石のように輝くコンフェイトでした。
「綺麗・・。」
とフェルミナ様が声をあげられました。後方で見ているネーボムク男爵が目を血走らせて生唾を飲み込んでいるのが正直怖いです。
あれ?
応接室にいた全員がコンフェイトに見入っていた間に、母がいなくなっている!
どこへ行ったの?
と思いますが、この場にいる誰も気がついていないようです。そして、何となく気がつかれてはいけないと思いました。
それと同時に気がつきました。
この商人の目的は、母に秘密裏に手紙を渡す事だったのだと。その為に訪ねて来て、豪華な贈り物で目眩しをしているのだと。
あの、手紙は何だったのだろう?書いてあった名前の女性は何者なのだろう?
気になりましたが、態度に出すわけには行きません。
「その、コンフェイトはわたくし達の分は無いの?」
とネーボムク男爵夫人が言われました。
初対面の商人相手に取り繕っていましたが、欲が被っていた猫からはみ出始めているようです。
「コンフェイトなど、大人の方には興味無いでしょう。大人の方には是非これを。異国から取り寄せた珍しい蒸留酒です。」
男爵は嬉しそうな顔をしましたが、男爵夫人は不満そうです。でも姉が受け取ったコンフェイトを見て男爵夫人はにやりと笑いました。レーリヒ卿がいなくなったら、奪うつもりでいるのでしょう。
一瞬、レーリヒ卿の目線が私達の後ろに動きました。私がそちらを振り返ると、母が音を立てずにドアから応接室へ入って来るところでした。
他にも何人かが、母の動きに気がつきましたが誰も何も言いませんでした。きっと洗面所にでも行って戻って来たと思われているのでしょう。
「本当に素敵な品ばかりですね。」
と母が言いました。短い言葉でしたが、母の言葉には人の耳目を集める何かがありました。
「でも、お菓子は無いのですね。何か焼き菓子があったら良かったのに。」
「ああ、申し訳ありません。」
とレーリヒ卿は芝居がかった声を出しました。
「王都には、珍しい焼き菓子がいくらでもあるというのに、すっかり失念しておりました。申し訳ございます。」
「そう。」
と、母は言いました。
「だったら、王都に焼き菓子を買いに行くわ。レーリヒ卿。同行してもらえるかしら?」