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パン屋の娘

ヒンガリーラントに来て十日が経ちました。


屋敷の中に閉じ込められた生活はずっと続いています。

外部と連絡がとりたい。と思っていますが、とる方法がないのです。


だけど、誰と連絡をとれば良いのでしょう。ここは外国で、周囲の人達は皆知らない人達なのです。どこかに逃げ出そうにも、逃げる場所などどこにも無いのです。


もう、故国に帰る事もできないのです。

頼めば新聞を見せてもらえるのですが、新聞によると夏の王都も反乱軍の手に落ちたようです。反乱軍による略奪や虐殺で王都は地獄絵図だそうです。

そう考えると、自分達は間一髪で逃げ切れたと言えるのでしょう。だけど、今の状況で「助かった」とは、とても思えませんでした。


どうしてこんな事になってしまったのだろう。普通に暮らしていたつもりだったのに。なぜ、安心して暮らせるはずの家や国を失ってしまったのだろう。


外国に侵略されて故郷を失ってしまったのだったら、まだ納得できたかもしれません。もし、そうだったのだとしたら、侵略して来た国を心から憎めました。でも、自国の国民はそこまで激しく憎めませんでした。反乱軍の人達は、王族や貴族に虐げられて来た人達だからです。


田舎の平民が、どんなに厳しい生活をしていたか私は知っていました。飢え死にしないぎりぎりまで税を搾り取られていたのです。その税金で領主一族は贅沢に暮らしていました。私は使用人のような扱いを受けていたけれど、でも『領主一族』の一人だったのです。


これは罰なのだろうか?

でもその罰を、会った事も無い外国人に与えられなければならないのだろうか?


もう、わかっています。姉は王宮の侍従に騙されたのです。侍従はどのような形かでヒンガリーラント人のネーボムク男爵と繋がっていたのです。

侍従と男爵はティナーリア様とフェルミナ様を騙して王宮から引き離し、ここに閉じ込めたのです。

寵愛とは無縁な妃でも、側妃である以上ティナーリア様にはいくばくかの財産があります。それを搾取する為に、呼び寄せ監禁したのです。何十人もいる側妃の中でティナーリア様が選ばれてしまったのは、ティナーリア様に両親も兄弟もいなかったから。そして騙しやすかったからです。ティナーリア様の腹心だった姉の事が。


気分が悪くなってきて私はしゃがみ込みました。


「どうしたの、リナ?」

背後から姉の声がしました。


「どうしたの。体調悪いの?」

私の事を、心から気遣ってくれる優しい声です。


私が離婚して戻って来た時。姉は一言も私を責めませんでした。「馬鹿な男に騙されたおまえが悪い」とも「自業自得だ」とも言いませんでした。ただ私の事を心配してくれました。そんな優しい姉をどうして責められるでしょう?

姉は昔から優しくてお人好しでした。そんな姉を騙した者が悪いのです。


「ううん。なんでもないの。」

「・・そう。なら良かった。最近アリゼも体調が悪そうだし。リナも体調が良くないのかと思った。」


姉は微笑んだが、無理をしているような微笑みでした。実際、姉の方が私より何倍も辛いだろう、と思います。

姉の目を見ていられず、私は窓の外を見ました。私と母の寝室であるこの北向きの部屋からは裏庭が見えます。庭と言っても花壇のたぐいは無く、雑草だらけです。


「あ!」

「どうしたの、リナ?」

「人がいる。」

この家の使用人ではない人間が裏庭を歩いていました。


私と姉は、裏庭へ向かいました。別に助けを求めようとか、そんな事を考えていたわけではありません。ただ、この屋敷の中に私達が『いる』という事を知って欲しかったのです。


その人は裏口へと向かっていました。裏口があるという事を私は今日初めて知りました。低木の茂みでドアは巧みに隠されていました。


「あの!」

と、声をかけるとドアノブに手をかけていたその人が振り返りました。


若い女の子でした。ヒンガリーラント人は前髪のせいで若く見えるので、思ったよりは若くないのかもしれません。でも、私よりは絶対に年下です。

赤みがかった金色の髪をして、健康的な肌色にたくさんのそばかすがあります。手には大きなバスケットを持っていました。


「あなたは・・?」

「こんにちは。怪しい者じゃありません。私は、パンの配達に来たパン屋です。お世話になってます。」

と言って少女は、ヒマワリのように笑りました。

「・・そうなの。私は・・リナ・フォン・エーデルフェルトというの。その・・十日ほど前に、ブラウンツヴァイクラントからここへ来たの。こちらは、姉のエマ。」

「はじめまして。エマ・フォン・ロベルティアです。旧姓はエマ・フォン・エーデルフェルト。あなたがいつもパンを届けてくださっているの?」

「いえ、今日が初めてなんです。普段ここにパンを納めているパン屋の店主さんが足を捻挫しちゃって。お店を閉めているので、今日だけうちのパン屋に声がかかったんです。」

「そうなんだ。」

「あ、もし良かったら。」

そう言って少女はバスケットの中からパンを二つ取り出しました。


「この春の新製品。ドライチェリー入りのパンです。良かったらどうぞ!」

「え、売り物でしょう?」

「試食用です。もし、気に入ったらお店に買いに来てください。うちの店はアガパンサス通りにあります。『フォルカーの店』というパン屋です。」

「ありがとう・・。」


善意が心にしみました。


ネーボムク男爵夫婦からも、使用人からも悪意しか感じません。こんな善意を他者から感じるのは久しぶりでした。そして目の前の二つのパンはとても美味しそうでした。


「えへ、是非お待ちしていまーす。」

と言って少女は微笑んで、そして裏口のドアから出て行きました。


「ドライチェリーか。もうさくらんぼが実る季節なのね。忘れてたわ。」

と姉が言いました。


ブラウンツヴァイクラントの我が家の庭には、さくらんぼの木が生えていました。母が苗木を植えたのです。春が来る度美しい花が咲き、その後たわわに実をつけました。それを食べるのが毎年の楽しみでした。

私は裏口のドアに手をかけました。ドアを開くと目の前に道がありました。荷馬車くらいは通れそうな広さの道でした。


「ここから出入りできるのね。」

「いざとなったら逃げられるわね。」

私と姉は顔を見合わせて笑い合いました。


「みんなで分けて食べましょ。」

と言って姉はパンを掲げました。


おいしそうなパンをもらった事も、裏口のドアを見つけた事も。ささやかな事だけれどもとても嬉しかったです。


でも私達は、この、名前も知らぬ少女との出会いが運命を変えるものになる事をまだ知らなかったのです。

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