真珠宮妃と珊瑚姫
私は、シュテルンベルク家に身を寄せるようになった日から毎日、日記をつけるようになりました。
そして、その日はとても書く事が多い一日でした。そしてその中にはとても日記に書く事のできないような事もありました。
ヒンガリーラントに来てから今日ほど、長い一日だった。と思った日はありません。そして、侯爵令嬢達や宝石の姫達は、今日という日をどのような気持ちで終えているのだろう?と考えました。
ただただ、誰にとっても夜の眠りだけは優しいものとなりますように。
そう願わずにはいられませんでした。
事件は昨日の夜から始まっていました。
瑠璃姫様や琥珀姫様が暮らすエーレンフロイト家の別邸に巨大な鹿が出たのです!
鹿は騎士達と、侯爵令嬢ジークルーネ様に駆除されたのですが、その過程で義兄のアデムが肩を脱臼する大怪我をしました。
姉は義兄を連れて深夜の救急病院に行ったらしく、朝ごはんを届けに行った時、姉は心配と寝不足でふらふらとしている状態でした。
捕らえた鹿はジークルーネ様とティナーリア様が中心になって解体しました。
農場で子供時代を過ごしたティナーリア様はともかく、深窓の令嬢であるジークルーネ様に鹿の解体ができるのには驚きました。
ジークルーネ様が特別なのかと思いましたが、急いで駆けつけて来られたレベッカ様も鹿の解体ができるようです。ヒンガリーラントの貴族令嬢達のポテンシャルの高さには驚いてしまいます。
ブラウンツヴァイクラントに、クロスボウを持って鹿を狩れる令嬢や、その後その鹿を解体できる令嬢がどれほどいるでしょう?少なくとも私の知り合いの中にそんな貴族の令嬢はいませんでした。
「ジークルーネはかっこいいわね。」
と瑠璃姫カトライン様がうっとりした顔で言われるのも、気持ちはわかります。
その鹿肉をジークルーネ様の提案で、ブラウンツヴァイクラント人の難民収容施設に持って行く事になりました。
カトライン様が自分も行きたい!と言い出され、ジークルーネ様が社会勉強になるのでは、と賛成されたので、カトライン様も難民収容施設に行かれる事になりました。
当然、施設には様々な事情を抱えた人達がいます。
私もリオンティーネ令嬢も心の中では反対だったのですが、カトライン様の決意は固く、心配だったので私もついて行く事にしました。
そして、その難民収容施設で意外な方に出会いました。『珊瑚姫』様と出会ったのです。
『珊瑚姫』様は、『珊瑚宮』でお暮らしの女の子ですが、国王陛下の実の御子ではなく養女であられます。『真珠宮』妃様の連れ子なのです。
国王陛下の側妃や王女殿下方は、宝石の名前のついた離宮でそれぞれ暮らしておいでですが、その離宮には『一軍』と『二軍』が存在します。
『紅玉宮』『青玉宮』『緑玉宮』『黄玉宮』『真珠宮』が一軍で、それ以外の離宮は皆二軍なのです。
『紅玉宮』妃様は、王国三将と呼ばれる将軍の御息女です。
『黄玉宮』妃様は、宰相閣下の御息女です。
『青玉宮』妃様は王族で、国王陛下の従姉妹にあたられる方です。
そして『緑玉宮』妃様と『真珠宮』妃様は、その折々のご寵姫様がなられました。陛下の寵愛が厚い女性がその離宮で暮らし、寵愛を失うと他の離宮に送り込まれて言わば二軍落ちをするのです。
国王陛下は10代の未婚の少女がストライクゾーンなので、どの側妃も20代になるとだいたい寵愛を失ってしまいます。
その中で『真珠宮』妃となられたミラルカ様は、少し特殊な方でした。側妃に召し上げられた時既に20代半ばで経産婦だったのです。
ミラルカ様は旅芸人をしておられた方で歌と弦楽器の名手でした。夫とウルスラ様という娘がいたのですが、国王陛下はミラルカ様の夫を殺し、無理矢理ミラルカ様をご自分の側妃とされたのです。それが三年前の事です。
その三年の間に『緑玉宮』の主は四人も変わりました。しかし、『真珠宮』はずっとミラルカ様が主のままでした。
ミラルカ様は、長く陛下の寵姫であられるララ様のように童顔なわけではありません。
他の側妃達のように陛下に媚びたりもせず、むしろ夫を殺した陛下の事を嫌っている態度を隠そうともされない方でした。
それでも、陛下の寵愛が尽きないのにはわけがありました。
若い頃から暴君として知られている国王陛下は、数え切れないほどの罪なき血を流してきました。
そして、人生の黄昏を迎えられ、今まで殺して来た人達の幻覚や幻聴に悩まされるようになられたのです。
特に幻覚は夜にひどく、陛下は夜眠る事もできなくなられました。
しかしツィターの名手であるミラルカ様の演奏を聴くと幻覚や幻聴が消えるのだそうです。その為、ミラルカ様は毎夜のように国王陛下の寝所に呼ばれ、失う事のできない側妃として陛下の寵愛を得ておられたのです。
珊瑚姫の姿を見た時私はドキッとしました。
珊瑚姫がヒンガリーラントにいるという事は、きっと真珠宮妃様もヒンガリーラントにおられるはずです。という事はきっと。国王陛下もおられるに違いないのです。