ヴェステンの門
読み終わって。
なんか、あっさりしている手紙だなあ、と思いました。
妹から亡命して来た姉への手紙なのです。
『ご無事ですか?』『怪我をしておられませんか?』『大丈夫なのですか⁉︎』
といったフレーズがあっても良いと思うのですけれど。
正直、私のヒンガリーラント人のイメージは、気位が高く、情に薄く、理性的で冷静、といったものです。ブラウンツヴァイクラント人は、情に厚く、感情の起伏が激しく、時に粗野なほど心が熱い国民性ですので、言うなれば正反対の国民性と言えます。
そして、そのイメージ通りの手紙なのです。
私には、ヒンガリーラントの貴族の手紙の定型文、というものがわかりません。
『水がぬるむ』とか『渡り鳥が帰って来る』というのは、春に出す手紙に必ずつける文章なのでしょうか?それとも、長い間ヒンガリーラントを離れていた人を相手に『和解を望む』みたいな意味があったりするのでしょうか?
年寄りが体を悪くしているので会いに来て欲しい。というのは、手紙の定型文のような気もしますし、詐欺の典型という気もします。
『世情に疎い私』みたいな事を書いていますが、たぶんこれを書いている人は疎くないです。書いてある内容に一定ライン以上の知性を感じます。
『乱筆乱文にて失礼』と書いてあるけれど、ものすごく綺麗な字です。まあ、誰かに代書させているという可能性もありますが。
何故、この手紙を他人行儀に感じるのかわかりました。この手紙には、ノエルというお母様の名前がどこにも書いてないのです。
「お母様。カロリーネ叔母様という方は、お母様の叔母様ですか?」
と姉が聞きました。
「ええ、父の妹です。ご自分に子供がおられなかったので、とても可愛がって頂きました。きっと、アルベルもそうなのでしょう。」
「お体が悪いのですね。」
「それは、どうでしょう。」
母は首を傾げて言いました。
「手紙にまるで緊迫感がありませんからね。父が危篤になった時や、長兄が死んだという手紙が届いた時は、もっと動揺しているような内容でしたよ。字も本当に乱れていました。本当に叔母が病気なのだとしたら『いつでもおいでください』みたいな書き方はしないでしょう。『親戚の年寄りの体調が悪い』というのは、会いに来て欲しいという意味の一種の慣用句なのです。」
あー、やっぱりそうなのか。と思いました。
「今までにも手紙が来た事があったのですか?」
「父が危篤になった時と長兄が死んだ時、それと本人が結婚した時に届きました。」
妹さんとは、完全に没交渉だったわけではないようです。
「私達がここにいる事を、どうやって知ったのでしょう?」
正直、それが一番気になります。母も首を傾げました。
「本人に聞いてみないとわからないわね。」
「アルベルティーナ様に会いに行く為に王都へ行くのですか?」
と私は聞きました。
母はそっと目を伏せました。
「あのままあの屋敷にいる事は危険です。ネーボムク男爵夫婦は信頼してはならない種類の人達です。」
「ごめんなさい。」
と姉がうつむいて言いました。
「私がヒンガリーラントに行こうと言い張ったから。」
「気にする事はないわ。こういう事になる可能性も考えていました。あまりにも都合の良い話でしたからね。それでも行くと決めたのは行き先がヒンガリーラントだったからです。いざとなれば、カロリーネ叔母様に頼ろうと最初から考えていました。」
「お母様・・・。」
「ただ、カロリーネ叔母様も老齢の未亡人です。優しい御方だったけれど、どれくらい力になってもらえるかはわかりません。妹のアルベルティーナに関しては為人すらよくわかりません。王都へ行ってもどうにもならないかもしれないし、むしろ危険でさえあるかもしれません。だから、ティナーリア様とフェルミナ様をお連れしなかったのです。」
「お母様のお気持ちもよくわかります。でも、お二人やアリゼを残して行く事は正直とても辛いです。私達のいない間にみんなに何かがあったらって!お母様の妹のアルベルティーナ様という方も男爵を信頼しておられないのですよね。」
「どういう事?」
と私は姉に尋ねました。
「だって、こんな方法で手紙を渡して来るなんて、手紙の事を男爵に知られない方が良いと思っているという事よ。それに、この手紙には『お姉様』とあるだけで、お母様の名前が書いてないわ。もしも、仮に手紙を男爵に見つけられても、誰宛ての手紙なのかわからないようにしているのよ。」
手紙一つでもいろいろな事がわかるものです。
「王都まで片道四日か。王都って遠いのね。」
乗り心地の悪い馬車はガタガタと揺れます。馬車は街を囲む城壁の門までついたようです。小窓を開けると太陽の光が差し込んで来ました。
「おかしいわね。」
と母が呟きました。
「門と同じ方向に太陽が見える。という事は、ここは街の西門なのだわ。でも、王都へ向かうのに使うのは北門のはずです。」
「王都は、この街より北にあるのですか?」
と私は聞きました。
「方角的には南です。でも、王都とこの街の間にはエルフェリー山と呼ばれる山があって、北に迂回しないと王都には行けないのです。」
「南でなく、北に迂回ですか?」
「南に迂回すると、二倍時間がかかるのですよ。深い谷や大きな湖があるんです。」
あれ?と思いました。お母様はこの街に以前にも来た事があるのでしょうか?そうでなければ、この街から王都はどちらの方角にあるのか。旅をするのに日数がどのくらいかかるのかわからないはずです。
私も窓から門を眺めました。確かに門の上部には、西を意味する『ヴェステン』の文字が書いてありました。