プロローグ
「息子と離婚しなさい。」
と姑に言われて、既に夫の署名が書いてある離婚証書を突き出された時。
私はなんとなくロングランヒットになっている演劇の事を思い出しました。
王子様が下級貴族の娘と恋に落ちて、上級貴族の婚約者との婚約を破棄するという物語です。
下級貴族の娘の腰を抱き、夜会会場で何の非も無い婚約者を『邪悪』呼ばわりした挙句、夜会の全参加者の前で「貴様との婚約を破棄する!」と叫んで婚約者を追い出すカス王子。
そんな最悪な男と浮気相手の泥棒女は結局次から次へと不幸に見舞われ、最後には破滅します。
脚本家も演出家も平民なので、王族や王族にへつらう貴族を徹底的にディスり貶めて、観客が溜飲を下げられるという作風にしたのだと思います。
王族や貴族への不敬罪に問われそうな内容ですが、ギリギリの内容であるが故に観客の支持は厚く、今や、その作品に出て来る王子は国内一のカス男と見なされていました。
しかし、私の夫はそのカス男よりも更にカスなようです。
劇に出て来る王子は腐れ外道ですが、それでも婚約者の顔を直接見て婚約破棄を叩きつけました。なのに私の夫はそれすらをママに頼んだようです。
夫のローレンツはそういう人です。『嫌』と思った事は絶対やらずに人に任せます。プレゼントをくれた人に御礼状を書く事も、記念日に両親に贈る贈り物を買いに行く事も、イニシャルがGの虫を退治する事も全部私に任せて来ました。
子供の頃から嫌な事は全部代わりに母親がやってくれていました。私と結婚すると、その役割を私に求めました。そしてその私を捨てるのはママにお願いしたようです。
さすがにこれはキレてもいいわよね。
私は低い声で
「どうしてですか?」
と聞きました。
「子爵様は、義勇軍の側につく事にされたの。」
「・・・え?」
「そんな事もわからないの?頭の鈍い女ね。」
わかるか!
と内心で毒づきました。
とりあえずわかることだけ、頭の中で箇条書きにしてみました。
今、私の祖国では革命が起きている。
祖国の名前はブラウンツヴァイクラントで君主制国家である。
夫は子爵家の親戚の貴族で、当主である子爵様に仕えている。
革命とは、民衆が蜂起して王室を攻撃する行為だ。
私達の国は貧富の差が激しい。
それでも、国全体が豊かだった間はそんな国でもなんとかなっていました。
しかし、伝染病や蝗害が原因で大々的な食糧不足が起こりました。その結果、外国のジャーナリストいわく、国民の5%が食べ過ぎで死に95%が飢えて死ぬ。そういう国になってしまったのです。
その為至る所で不満が爆発し小競り合いが起こるようになりました。それに対して国が動き軍隊が民衆を弾圧し、それに民衆が抵抗する形で革命が始まったのです。
そして、その革命の波はど田舎の子爵領にも迫って来ています。
数ヶ月の時を経て、『義勇軍』とやらは肥大化しています。結局、それだけ国に不満を持っている国民が多かったという事です。
そして、子爵領には『義勇軍』と戦って勝つ自信も力も無いのです。
だから、『義勇軍』に味方するというわけか。馬鹿じゃないの!と内心で毒づきました。
『義勇軍』が支配する新政府で、旧体制の貴族が同じだけの権利や財産を持てるわけがありません。それに、もしも王家が力を盛り返したら子爵家は反逆者とみなされます。末路はむごい事になるはずです。
目先の事しか考えていなくて長期的な視野というものがないのです。とにかく眼前の面倒をどうにかする事しか考えない思考回路が、夫と全く同じです。さすが親戚、というべきでしょうか。
考え込んでいる私に姑はふんぞり返って言いました。
「おまえの姉は、王女の乳母をしているのでしょ。20番目か30番目に生まれた王女の。」
王女殿下、もしくは内親王殿下と呼んだらどうなの!と思います。
国王陛下が女性にだらしない方だったとしても、まだ5歳の王女殿下には何の罪も無いのです。
「そんな女を姉に持っている事が『義勇軍』に知れたら、子爵様の立場が悪くなるの。だから出て行くように言っているのよ。さあ、早くこの書類にサインして!」
「ローレンツと話をさせてください。」
と私は言いました。
「あの子は忙しいの。大事な仕事をしているのよ。だから代わりに私が話をしているんじゃない。そんな事も理解できないの?本当に馬鹿な女ね!」
忙しい?
たいした仕事なんかしていないくせに。
子爵様が治めている複数の街の中の一つの執政官をしているけれど、副執政官に「善きにはからえ」という事だけが仕事で、ろくな仕事なんかしてないでしょう。
忙しいとしたら、浮気で忙しいんでしょうが!
嫌な事を思い出して私はムカムカしました。
愛人が妊娠した時も、夫は私への報告を母親にさせました。
ブラウンツヴァイクラントは一夫多妻制の国なので、夫が他の女を妊娠させる事は別に怒るような事ではありません。なのに、二人目の妻と結婚する事を自分では言わずに母親に言わせたのです。妻が二人以上になるのなら、権利や家庭内の仕事の配分について明確に決めなければなりません。トラブルを回避する為、公証人をたてて契約書を作るケースもあるほどです。だけど、その話題について話をしようとすると夫は逃げ回りました。挙句、姑と愛人と話し合って三人で決めてくれと言ったのです。
小心で狡い男!
私は心の中でののしりました。
それでも、そんな男を愛していたのです。愛していたから、そんな男との結婚生活を六年我慢したのです。
だけど、さすがに我慢も限界です。
姑からどれだけ責められても、かばってくれなかった時。
愛人に子供がいると知らされた時。
実家の家族の悪口を吹聴された時。
愛情は少しずつトリミングされていきました。愛情がどんどんと無くなっていき不満が溜まっていっても『この人は私がついていないと駄目なんだ』と思えたならば、きっと耐えられたのでしょう。でも、夫はママがいればそれでいい。という人でした。好き放題やっても全部母親が尻拭いをしてくれる事を知っている。私も愛人も、子供さえ必要のない人だったのです。
今までに何度も離婚を考えました。それでも離婚しなかったのは、実家に戻りたくなかったからです。
父亡き後、三人の子供を育てた母は、兄が親に娼館に売られた幼馴染を身請けして結婚したいと言った時反対しませんでした。軍人が嫌いだったのに、姉が騎士団の騎士と結婚すると言った時も反対しませんでした。
なのに、私が大学の同級生だったローレンツにプロポーズされたと言った時
「あの男はやめておきなさい。」
と言ったのです。
私は、母の言葉を無視しました。その結果がこれです。
時々届く手紙によると、兄夫婦と姉夫婦は子供にも恵まれ幸せに暮らしているようです。母や兄姉に向ける顔が無い。そう思って我慢して来たのです。
「わかりました。」
と私は姑に言いました。
「だったら、私が持参した花嫁持参金を返してください。」
子供も産めず、気に入らない嫁だった私を姑が今まで追い出さなかったのは、この為です。
離婚するという事になったら、持参金を全額私に返さないといけません。でも、持参金はもう無いのです。姑と夫はとっくにその金を自分達の贅沢や遊興に使い込んでいたという事を私は知っていました。
私がそう言うと姑はけらけらと笑いました。
「あなたの姉のせいで離婚になったのよ。返す必要あるわけないじゃない。」
「そのような道理は通じないと思います。」
「おかしいわねえ。あなたのお母様はそれで良いと言ってくださったわよ。」
「母に離婚の事を伝えたんですか⁉︎」
「そうよ。ここにいられても迷惑だから連れて帰ってくれ。と連絡したの。そしたら今日返事が来たわ。すぐに迎えに参ります。ご迷惑をおかけしました。ってね。」
この母と息子は、私を王都の実家に返す為の旅費を払うことさえ拒否するつもりのようです。
この六年間、不安定な世の中だったせいで物価が上がり生活は苦しくなっていました。六年前にはこの家に五人もいた住み込みの使用人も一人ずつ減っていき、今もいるのは一人だけでした。使用人がいなくなった為、誰かがやらなければならない仕事を私がやってきました。勿論、無報酬で。それなのに!
怒りで頭の芯が熱くなりました。
もう、夫にもこの家にも何の未練も無い。
出て行けと言うのならば喜んで出て行ってやる。
ただ、悔しくて情けなくて腹立たしかったのです。この親子が不幸になってくれるなら、そのついでに世界が滅びても構わないと思えるほど腹立たしかったです。
そして、自分の非力さが悲しかったです。濡れた新聞紙のように無価値な存在として捨てられる自分が情けなかったのです。
この家でただ耐えているだけの間に、時間も若さも失いました。今更生き直すこともできはしない。28歳の女なんて、娼館ですらもう雇ってくれないでしょう。
この親子に復讐してやりたい、と思いました。
できる事なら殺してやりたい。
ああ、だからなのか。と思いました。だから、夫は私の前に顔を見せないのだ。あの卑怯な男は。
私は、離婚証書にサインしました。
その後、私は自分の部屋で荷物をまとめました。
今日中に家を出て行くよう姑には言われています。
この家にいる間は絶対に泣かないと決めていました。
うつむいたりしない。何があっても前を見て生きて行くのだ。絶対に泣かない。うつむかない。
全ての荷物をまとめ終わった時、この家の唯一の使用人の家政婦が声をかけに来ました。彼女の目には哀しみと憐れみの感情が揺れていました。私に同情してくれているのでしょう。それと同時に、この家の仕事を分担していた私がいなくなる事に不安を感じているのでしょう。
「リナ様にお客様です。」
「私に?誰かしら?」
「リナ様のお母様とお兄様と名乗っておられます。」
「!」
私は部屋を飛び出しました。
母と兄は応接室にさえ通されず、玄関のエントランスに立たされていました。
そのような目に遭わされていても、母の凛とした姿は六年前と変わっていませんでした。美しい姿勢で立つ母の姿は、百合の花のように優美でした。
「リナ。」
母と兄は私を見て微笑みました。
「迎えに来たわ。」
「お母様。お兄様。」
「会いたかったわ。リナ。さあ、家へ帰りましょう。」
この家にいる間は泣かないと決めていたのに。
私の目から涙が伝い落ちました。
兄が
「会いたかったよ。リナ。」
と言って優しく抱きしめてくれました。
「帰ろう。僕らの家へ。」
心の中に光が差して行くようでした。
どうして私、もっと早くに帰ろうとしなかったんだろう。優しい家族がいるのに、あんな薄情な人達にしがみついていたのだろう。
「うん。」
と私は言いました。
帰ろう。あの暖かい家に。
だけど結局。その家にいられたのは一ヶ月ほどでした。
こんにちは
北村すがやと申します
この作品は『侯爵令嬢レベッカの追想』という話のスピンオフ作品になります
本編を読まなくてもわかる内容ですが、もし読んで頂けましたら世界観がよりはっきりするのでは、と思いますのでそちらの作品もぜひ、ぜひっ!一度読んでみてください
よろしくお願いします!
こちらの作品も頑張って書いていこうと思っております
頑張れー!と思ってくださる方、ぜひ、リアクションやブクマ、評価をポチポチっと押して作者の背中を押してください
どうか、よろしくお願い致します