第四話 異世界へ移住
黄泉島にある洞窟を抜けると、そこは異世界だった。
「うわぁ、すっげえー。マジ異世界だ」
俺は今、スーツケース片手に、このエデンを歩いている。
エデンは中世風の街並みで、ザ・異世界って感じだ。
ビルもなければ、自動車も通っていない。
あるのは、高くても二階建ての建物と、馬車。
せわしかった日本での日々とは違う。
のんびりと時間が流れていきそうだ。
移住者というか、旅行者も含めて、エデンへ向かうのは俺一人だった。
少し心細い。上京したての頃みたいだ。
新天地に引っ越して、まずすることといえば――。
そう、住処を決めなければならない。
俺だけのお城だ。
右も左もわからない異世界だ。とりあえず、通りすがりの女性に話しかけてみることにする。
冒険者っぽい出で立ちの女性だ。
腰先まで伸びた白銀の髪。栗色の、大きな瞳。
そして何より、たわわに実った豊満な胸。
身長は俺よりは低いが、女性にしては少し高めな気がする。そこがまた、彼女の魅力を一層引き立てている気もする。
出るところは出て、引っ込むべきところはちゃんと引っ込んでいる完璧なプロポーション。
クラスにいれば、間違いなく一番の美少女だろう。
「あのう、すいません。不動産屋さんはどこでしょう」
「****」
女性は首を傾げた。
やっぱり言葉が通じてないみたいだ。
そりゃ、ここ異世界だもんな。
「えっと、住むとこ。おうち。宿、眠るところ、ホーム」
手で屋根の形のジェスチャーをしながら伝える。
「*****」
ダメだ、何を言っているかさっぱりわからない。
言葉くらいフィーリングと根性でなんとかなると思ったが、難しかったか?
困り果てていると、女性が何やら小瓶を差し出した。
中には赤紫の液体が入っている。
しそジュースという感じの色味をしていて、得体が知れない。
「これはいったい?」
尋ねてももちろん答えは返ってこない。というか、何を言っているのかわからない。
女性は小瓶を口に近づけるふりをしている。
「飲んでみろってことか?」
小瓶を受け取る。俺も真似して口へ近づけると、女性はにっこりと頷いた。
笑顔がキュートだ。
知らない人からもらったものは食べてはいけませんと教わっているが、まあ綺麗な女性がくれるものに間違いはないだろう。
毒だったらそのときは、そのときだ。
ええい、ままよっ。
俺は一息に飲み干した。ゴクゴクゴク。
ウッ。
こ、これは――。
(やだ。なにこれ。甘―い)
液体はめっちゃうまかった。
清涼飲料水をもう少しだけ甘くした感じの味がした。
「めっちゃうまい」
思わず口から漏れた。
「でしょう。メリーさんのポーションは味がピカイチなのよ」
「これポーションだったんですね」
ってあれ?
「俺の言葉わかるんですか?」
というか、俺も女性の言葉がわかる。
「今、あなたが飲んだのは、言語通訳のポーションよ。これを飲めばどんな言葉もわかるし、相手にも伝えることができるの。まあ、効果が一日なのは惜しいんだけれどね」
そんな便利なものがあるなんて……さすが異世界。
「ところで、あなた私に何か聞きたいことがあったんじゃないの?」
「俺、この国に移住してきたんですけど、住むための家を探してて……」
「なるほど。わかったわ。不動産屋まで連れて行ってあげる」
「ありがとうございます!」
「私の名前はルイーズよ」
「えっと、俺の名前は楽出郁夫っていいます。イクオって呼んでください」
ルイーズに手を差し出されたので、握手する。
なかなかにフレンドリーなようだ。
二人そろって歩き出す。
並んで歩けば、不釣り合いながらも、なんかアベックぽい。
道行く人がチラチラと見てくるが、悪い気はしない。
「イクオは、どちらから来たの」
「俺、実は日本から来たんです」
「まあ、外の世界から!」
「日本を知ってるんですか?」
「ええ、異世界でしょ。なんでも、鉄でできた牛や鳥が住んでいる危ないところだとか」
ああ、ルイーズさんから見れば、日本の方が異世界にあたるのか。
……っていうか、結構、歪曲されてんなあ。
まあ、あってるっちゃあってるか。
自動車も飛行機も、危ないっちゃー危ないし。
「イクオは強いのね」
「へっ?」
強い?
いや、割とこれまでの人生、最弱の部類ですが。
もうかれこれ、十年くらい運動してないし。
「だってそんな危ないところで暮らしてたんでしょ」
「ま、まあね。結構強いかも……」
俺は頭をかいた。嘘も方便ってやつだ。
「すごーい!」
ルイーズさんは胸の前で手を合わせた。目がキラキラしている。
やばい。ボロが出る前に話題を変えよう。
「あ、あの、ルイーズさんは冒険者なんですか?」
俺はルイーズさんの腰先に据えられた剣を見遣った。
持ち手の傷からして、なかなかに使い込んでいそうだ。
「そうよ。イクオには劣るかもしれないけど、私もなかなか強いのよっ」
ルイーズさんが小首を傾げ、ウィンクした。
(うわっ、かわいい)
「っていうか、ルイーズでいいわよ。敬語もなし。私も呼び捨てにしてるんだから。さん付けされると、むずがゆくなっちゃうし」
「は、はい、ルイーズ」
「そこは『はい』じゃなくて、『うん』でしょ」
やがて俺たちは広場っぽいところについた。
円形上の広場を中心に、周りには店が並んでいる。
真ん中には、仁王立ちの銅像が立っている。
知事の威厳的なやつだろうか? わからん。
どうやらここが街の中心のようだ。
「ここが商人ギルドよ。生活必需品から家まで、なんでもそろってるわよ」
ルイーズがそのうちの一軒で立ち止まった。
この辺りでは一番大きな建物だ。
人がひっきりなしに出入りしているところからも、その繁盛具合がうかがえる。
「ありがとう。案内してくれて。それにポーションまでくれて」
俺はトートバッグから金貨の入ったきんちゃく袋を取り出した。
日本円は、すべてエデンスイヤーに換金済みだ。
この世界には紙幣はなく、硬貨が流通しているらしい。
エデンの物価もわからないので、とりあえず袋には百枚ほどを入れていた。
残りはすべてスーツケースに詰めてある。
約一兆円のスーツケース。
ので、スーツケースめちゃくちゃ重い。コロコロがあって助かった。
価値はざっと次の通りだ。
銅貨一枚……百スイヤー。
銀貨一枚……千スイヤー。
金貨一枚……一万スイヤー。
お金の価値(物価)は商人ギルドに至る途中の市場で確認した。
りんごが百スイヤーで売られていた。
日本と同じような金銭感覚で問題ないだろう。
「あのう、これで足りるでしょうか」
金貨をとりあえず一枚取り出した。
値段がわからないから、様子見だ。
「いいのよ、気にしないで。困ったときはお互いさまってね」
やばい。ルイーズが天使に見えてくる。
「それじゃあお言葉に甘えて。でも、今度会った時、別の形で返させてください」
ルイーズとこれっきりなんて、寂しい。
本音を言えば、また会いたいのだ。
「わかったわ。その時はよろしくね」
「うん、また」
「ええ、またね」
俺は見えなくなるまで、ルイーズの後ろ姿を見送った。