第三話 エデン移住計画
結論から言うと、俺のエデン像は半分ほどあっていた。
ビルはなく、水もおいしく、動物と人間が共存しているらしい。
女性も綺麗だそうだ。
ただし、平和ではないらしい。
俺の目の前にいる、移住担当の役所の人――吉田さんが教えてくれた。
俺は今、役所に来ていた。
移住目的だと告げると、すんなりと手続きが進んだ。
日本にとどめようとかは、どうやらないようだ。
去る者追わず……。少し寂しい気もしたが、安堵する。
「その、治安が悪いっていうのは、いったい――」
「実は、出るんです」
吉田さんは、言いにくそうに答えた。
「出る? 出るっていったい」
おいおい、まさか幽霊とかやめてくれよ。国全体ゴーストタウンとかさ。
「魔物が出るんです」
吉田さんは眼鏡をクイッと上にあげた。
「魔物? 魔物ってあのスライムとか、ゴブリンとか、そういう感じの?」
「はい。その魔物です」
「マジ?」
「大マジです。一言で言うとですね、エデンは異世界なのです」
「はあ? 異世界っ!」
驚きすぎて椅子から転げ落ちそうだ。
「それは火星とか、金星とか、そういう宇宙的な感じですか」
「いえ、全く別です。他の惑星にある国というわけではありません。エデンは地上にある異世界なのです」
「すみません、少し理解が――」
「わかります。私も初めて聞いたときは驚いたものです」
吉田さんは優しくはにかみ、続ける。
「日本では現在、表向きは百九十六か国が国として承認されています」
「というと、非公式に承認された国があるってことですか?」
「はい。実は隠された百九十七番目の国があるのです。まあ、別段隠しているわけではなく、ただ教えないだけなのですけどね」
「それがエデン……だと」
「エデンは……この世界にあってこの世界にない。何と申し上げればいいか……この世界の時間軸とは異次元にある、世界なんです」
「どうして、そんな世界が」
「さあ? それは私にもわかりかねます。ある日気づいたら、あちらの世界と繋がっていたそうです」
ミステリーサークルの一種みたいなものか。
なんだかこの世界のすごい秘密に近づいている気がするぞ、俺。
「エデンはいったいどこにあるんですか?」
「こちらですね」
吉田さんが目の前に広げられた、世界地図に指を落とす。
吉田さんが指さしたのは、日本とオーストラリアの中間くらいの位置だった。
「海の上……太平洋?」
「いえ、ヨミ島です」
「ヨミ島?」
「黄に泉と書いて黄泉」
「ああ……名前からして物騒ですね」
なるほど。これは確かに、誰も移住したがらないわけだ。
言い得て妙、まさに【あの世】ということか。
「沖ノ鳥島はご存知ですか」
「はい、日本の最南端ですよね」
「そうです。黄泉島は、沖ノ鳥島の一つ手前にある島なんですよ」
「えーっ! エデンは日本にあるんですかっ!」
これには驚いた。まさか日本国内に別の国(異世界)があったとは。
灯台下暗しだ。
「すごいちっちゃな島なんですけどね。砂浜と洞窟しかなくて。その洞窟がエデンへと繋がっているといいます」
そうなんだ。なんかロマンあるなあ。
「エデンは多様性に満ちた国で、人間と魔物だけでなく、魔人も暮らしているといいます」
「ってことは、エルフや猫耳の獣人も?」
思わず身を乗り出してしまった。
しかしこればっかりは聞いておかぬわけにはいかない。
男のロマンが、そこにあるのだからっ!
「え、ええ。いるようですね」
吉田さんに少しひかれたが、ノープロブレム! 問題ない。
どうやら本当に異世界らしい。
よく語られるラノベに出てくる異世界そのものだ。
「エデンに移住する人は多いんですか?」
「いえ。記録を見る限りだと、あなたが初めてです」
「俺が初めて……」
「はい。初めてですね」
「どうして……。皆は移住したがらないんでしょうね?」
「理由は二つあります。まず第一に、エデンはあまり表立って紹介される国ではありません」
「確かに、俺も先日初めて知りました」
「能動的に探しに来ない限り、エデンには出会えませんから」
「なるほど。それで二つ目の理由は?」
「二つ目は、やはり治安の問題ですね。魔物が出るというのは、安寧を求める移住先には程遠い場所ですから」
「ハハハハハ」
苦笑いでごまかす。安寧ではなく、冒険を求めているということにしておこう。
本当はただ楽に暮らしたいだけなのだけれど。
あれこれ会話をして、移住の最終確認をされた。
「エデンに移住するということで、本当によろしいですね」
「はい!」
俺は背筋をぴーんと正した。
「わかりました。エデンの在日大使館へは話を通しておきます」
「ありがとうございます!」
「日本国籍はそのままなので、帰りたくなった場合は、いつでも日本へ帰ってきてくださいね」
ということで、万が一エデンへの移住を失敗しても帰るところがある。
損失も最大で百万円だ。
痛いが、人生をかけた大冒険の代償と思えば、まあ許容できない範囲ではない。
そう考えると、気持ちが幾分か楽になった。
いざゆかん、俺だけの楽園へ。
※※※
吉田さんと話してから、一ヵ月のうちに俺は身支度を整えた。
突然失踪するわけにもいかないだろ?
異世界に行く時でも、飛ぶ鳥跡を残さず的なのは大事だ。
まず、会社を辞めた。
新卒から十年近く勤めていた会社だ。
入った時から辞めたくて仕方なかったブラック企業だ。
部長に告げると、ものすごーく難色を示された。
「ちょっと、楽出くん。そんなこと急に言われても困るよ」
部長は機嫌悪そうに鼻を鳴らした。
ちなみに、部長はパワハラを絵にかいたような、嫌な野郎だ。
「いえ、もう決めたので。俺、辞めます」
「無理だよ。楽出くんに今抜けられると、会社が回らないじゃないか」
いつもの常套句だ。若手が辞めると言うたびに、部長はやれやれといった様子であしらう。
そうして若手はそのまま働き精神を病むか、無言でトンズラしたりして消えていく。
「就業規則には辞める二週間前に申し出ること、と書いてあります」
俺は就業規則と書かれた冊子を取り出し、部長の顔の前に近づけた。
部長は見るそぶりもなく「そんなものはただの建前だ。とにかく、辞めさせることはできん」などという。
それでも俺が粘ると、次は「給料を上げてやる」という。
少し前の俺なら、このあたりで退職を思いとどまったかもしれない。
「いいえ、結構です! 辞めます」
俺はぴしゃりと言ってやった。
ドヤァァァ。
苦虫をかみつぶしたみたいな、部長のしかめっ面。
すごく気持ちよかったぞ。
会社を辞めた次は、身辺整理だ。
賃貸の解約をして、家具やら家電を始末する。
エデンへ持っていこうかと思ったが、引っ越し料金がえぐいので止めた。
エデンは一応日本国内だが、海外料金がかかるらしい。それに加えて、危険手当費用も割り増しされるのだそうだ。
全部売るか、捨てるかすることにした。
マンガや家電など売れそうなものはフリマアプリで出品して、それ以外は捨てることにした。
物は元々少ない方だったから、結構あっという間に整理がついた。
俺はエデンに移住する前日、母さんの墓前に手を合わせに行った。
墓石に水をかけ、花束を供える。
線香をたいた。
(行ってきます。どうか俺の無事を祈っていてください)
「また帰ったら、寄るからね」
そう言い置いて、俺は霊園を後にした。
これで、日本に思い残すことは、もうない。