第二話 立ち退き要求
戦闘の広間まで冒険者がパッタリと来なくなった。来ないなら、来ないでもいい。自分は偽者としてきちんと仕事をしている。経理係も何も言ってこない。給与の遅配や資金繰りのショートもないなら楽でいい。ずっと、趣味の料理に時間を使える。
そうしてしばらく楽な生活をしていると来客があった。郵便配達員の青い制服に身を包んだ小柄なサイクロプスの男性である。名前はゴンザレス。
古い知り合いで二人きりの時はゴンちゃんと呼んでいる。ゴンちゃんが封筒を差し出した。
「司令部からの命令書を持ってきました」
命令書の中身は気にならない。ナルバル実験場に派遣されて長い年月が経つ。命令書はたいてい同じ「ままで」とだけ書いてある。暗号でもなんでもなく「そのままでいい」の意味である。だが、今年の命令書は違った。
「ナルバル実験場の主を交代する。後任は四十八守護将の一人、メルダインを任命する」
不思議だったのでゴンちゃんに尋ねる。
「四十八守護将ってなに? 十六闘将じゃなくて?」
「十六闘将なんて随分と前に廃止になりましたよ。現在は四十八守護将って呼ばれてます」
ナルバル地方は田舎である。中央の情報は届きにくい。
また、必要なことは魔宰相イットが判断する。自分は分身なので権力闘争も軍議も本体任せだった。人間の生活にも魔族の世事はとんと疎かった。
「四十八って多くね? 魔王軍ってそんなに強い奴いないだろう」
「苦肉の策ですよ。最近は戦死者が出ないんで、ポストも空かないんです」
魔族たちは人間に攻められて土地も財産も失った。結果、恩賞として与えるものがないので、位を与えていたのは知っている。それでも、十六のポストを四十八まで増やすのはどうかと思う。それに名称も怪しい。
「守護将って呼ばれていても何を守護するの? もう守る物なんて魔王城くらいだろ?」
イットがナルバル実験場に派遣された時には魔族に残された領土は魔王城近辺のみだったはず。魔王城にも重要な部屋はあるが、四十八はない。
ゴンちゃんが渋い顔でそっと語る。
「土地ですよ。魔族が所有していた四十八の州ですよ」
不可解だった。魔族が所有する四十九の州の内、四十八は人間の手に落ちている。魔族の物ではない。支配が及ばない土地を守るなんて可能なのだろうか?
「土地は人間が実質支配していますが、魔族としては認めずにそれぞれに守護職を置いたんですよ」
最後の悪足掻きにしか見えないが、それで誰かの慰めになるならよしなのかもしれない。本体はどう思っているかわからないが、さすがにここからの魔族の逆転はないとイットも感じている。
「魔王城陥落や魔王崩御の話は聞いていないけど、どうなっているの?」
魔王に対して忠誠心はある。だが、イット本体の命令だから意味があるか、ないかわからない仕事をしている意味合いが大きい。
ゴンちゃんは呆れていた。
「魔王城はもう終わると言われて百年ですが、魔王城はまだありますよ。人間側の内戦も決着寸前といわれて百年で同じですけどね」
長い間、働いているとは思っていた。ずっと地下にいて同じ仕事ばかりを繰り返していたら、時間の感覚が馬鹿になったと知った。百年なら、人間は世代交代している。
「地上はどうなっているんだ? 近くの村は誰が治めている」
今まで気にならなかったが、気になりだすと知りたくなる。
各地を巡っているゴンちゃんはサラリと教えてくれた。
「もう村は町になっていまよ。英雄王の血筋の者が治める温泉街ですね」
赴任時にはダンジョンの近くに村があったのは覚えている。人間が開拓した居住地だが、ほぼバラックの集まりだった。村長も死にかけの爺さんだった印象が朧げにある。
「現在の町長は英雄王の子孫なのか? 魔族と因縁のある者が統治しているのか? どんな奴だ」
「町長は英雄王の大叔父の玄孫の姪です」
頭が悪いほうではないが、英雄王とどういう関係なのかイメージが湧かない。遠い親戚と表現するより、他人ですと説明しても問題ないレベルの気がする。疑問はまだある。
「待って、この土地って温泉が湧くような場所だったか?」
「湧いたら地質学者が学会に発表するでしょうね。ただ、人間の国の法律だと沸かしても加水しても温泉が名乗れるそうですよ」
「つまりはこうか? 本物かどうか怪しい英雄王の血縁者が統治する胡散臭い温泉街なのか」
自分も偽者なのでとやかく言えないが、それは脇に置く。
「街の人間が聞くと怒ると思いますが、イッちゃんの認識で合っています」
「人間とはわからないものだな」
ゴンちゃんが帰ったので、部下に支配者が新しくなると通達を出した。だが、反応は皆無だった。退任を喜ぶ者もいなければ、惜しむ者もいなかった。
「顔も知らない、話もしない上司の去就には感心なし、か」
少し寂しくもあるがこれでいいと思う。自分に与えられた役割はきちんと果たした。しばらくして、イットの元に女性のナーガがやってきた。ナーガは上半身が人間で下半身が蛇の種族である。身長は人間より高い。
ナーガの女性を一目見てあまり強くないと理解した。ナーガは挨拶をする。
「イット郷、今日までご苦労様でした。これよりナルバル実験場はこのメルダインが運営します」
イットも挨拶を返す。
「荷物はすでに整理して掃除は済ませました。後はよろしくお願いします」
二人の間に沈黙が流れる。メルダインがちょいとばかり困惑した顔で先に口を開く。
「まだ何か?」
「いえ、私はこれからどこに行ったらいいのかと思いまして」
「私は何も知らされていないですよ」
引き渡し命令が出たので従ったが、移動先の連絡がない。てっきり、メルダインが何か聞いていると思ったが違った。命令書の送達が遅れているのなら仕方ない。しばらくなかった地域の再編なら混乱もある。
「では、私がメルダイン殿をお手伝いしましょう」
行き場がないのでダンジョンにいるつもりだった。しばらく戦ってないとはいえ、自分はまだやれるし、メルダインよりは強い。
メルダインがキッパリと断った。
「結構です。私には有能な家臣がいます」
遠慮している風には見えない。本当に嫌がっている感じがひしひしと伝わってくる。
ツンとした態度をメルダインは取っていた。取って付けたようにメルダインが言い加える。
「魔宰相閣下は我らの上に立つ者。おいそれと頼み事はできません」
物は言い用だ。邪魔だから出て行けと言えば角が立つ。ならば、偽者とわかっていても魔宰相として扱ってお帰り願ったほうが早い。
イットとしても、偽者であるとは公言できないので、引き下がるしかない。
いきなり居場所がなくなった。
ダンジョンを出る時に、老いたトロルが手招きする。
「大変でしたね。イット様、これをお持ちください」
老トロルが小さな袋を渡してくれた。中を開けると人間世界の金が入っていた。この金があれば人間の街に潜伏できる。イットの変身前の姿を知る者はいないので、気付かれる心配もない。
感慨深く老トロルは告げる。
「それはダンジョンの仲間からの餞別です。ただ、公にはしないでください。メルダイン様に睨まれるので」
「俺はメルダインに何か嫌われることをしたか?」
老トロルは寂しげに首を横に振る。
「何もしていません。メルダイン様はせっかく得た地位をイット様に奪われるのを恐れているのです」
馬鹿なことだと思う。メルダインを脅やかす気はない。また、ダンジョンを奪い返す気もない。ただ、内心は証明できないし、仲違いはイット本体の望むところでもない。
メルダインが疑心に囚われれば暗殺もあるかもしれない。それもまた本体の望む所ではない。ここは素直にメルダインの手が届かない場所で命令書が来るのを待つに限る。
ゴンちゃんならきっと届けてくれる。
「では有難くいただく」
「いままでご苦労様でした」と老トロルは軽く頭を下げた。