6 アグラスベリーの炭酸割り
この国、エルベイン王国についての勉強会が始まって十数分。
今はノートの書き取りをしているのか、リィサさんは一言も発さず黙々とペンを動かしている。
勉強に付き合っているセイさんは、時々リィサさんの様子を見つつ、参考書となっている本を眺めている。
2人のご注文の品、『レタスとムラシュ鳥の照り焼きのパンサンド』は、間もなく完成する。
逸る気持ちを抑えながら、私は照り焼きムラシュ鳥が入っているオーブンの様子を見つめた。
-レタスとムラシュ鳥の照り焼きのパンサンドの作り方-
使用するのはムラシュ鳥のもも肉。無加工品は両手で持てるくらいの大きさなので、パンの大きさに合うように捌く。
皮はパリッとした食感と脂が美味しいので残し、細かい骨と口触りの悪い肉の固い部分、筋を包丁で取り除いていく。
おおよそ厚さ2㎝、縦横10㎝より少し大きくなるようにもも肉を切っていく。この時、火の通りにムラができないように、なるべく均一の厚さになるように気を付ける。
キッチンペーパーで余分な水分と脂を軽く拭き取り、小麦粉を全体に軽く塗す。
フライパンに少し多めの油を引き、皮を下にして焼いていく。焦げ目がついたら今度は向きを変え、肉の反対側に焼き目をつける。
ほんのり茶色になったらフライパンから肉を引き上げ、余熱を通して休ませる。
肉を休ませている間に、キャロップレタスの葉を丁寧に指でちぎる。無理矢理むしるのではなく、優しく剥がすようにする。この時、手と葉の摩擦から鳴るムキュムキュ、パキパキという葉の音が心地よい。
レタスの葉を水で洗い、パンの大きさに合わせて形を整える。キッチンペーパーで水気を拭き取りながら折り畳むことで、時短になる。
最後に、休ませていた肉を天板に乗せ、オーブンで熱を通す。
この時、照り焼きのもととなるソースとなる醤油と砂糖に香辛料を混ぜたものを肉にかけておく。
キッチンの端にある椅子に腰掛け、今日の新聞を眺めていたら、オーブンから軽快なベルの音が鳴った。鳥肉の照り焼きが完成したらしい。
後は簡単、パンにマヨネーズを塗り、レタスと肉を挟み、天板に残った照り焼きソースを肉にかけて、もう1枚のパンで挟んで完成。あとは2人に提供するだけとなった。
「………んあ、良い香り!何かが焦げるにおいだけど、香ばしくて食欲をそそる感じの…!」
ノートに向かっていたリィサさんが顔を上げ、目を輝かせながらこちらに視線を向けた。
「あ、もう出来たんだ。流石マスター。まだ全然勉強進んでないけど、先食べちゃう?」
「食べちゃう!出来立て食べないと食べ物にもマスターにも失礼だし、何より朝ごはん食べてないからお腹ペコペコ!」
言いながらリィサさんはそそくさと本とノートを鞄に片づけた。行動が速い。
コップに氷を入れ、セイさん注文のコーラと、リィサさん注文のアグラスベリーの炭酸割りを注ぐ。氷と炭酸が反応し、細やかな霧のような飛沫が周辺に飛び散り、辺りに充満した。
「お待たせしました。レタスとムラシュ鳥の照り焼きのパンサンドを2人前。それと、こちらがコーラ、こちらがアグラスベリーの炭酸割りです。」
「わはは~!美味しそう~!」
「マスターの料理はどれも美味しいけど、俺のおすすめはこれ。ソースに醤油使ってくれるところがポイント高いんだよね。俺祖国捨てたも同然だけど、たまには国の味が恋しくなるっていうか。」
「しょーゆ?」
醤油とは、セイさんの出身である東洋の国、楪ノ国周辺で使用されている調味料の一種だ。
ここエルベイン王国で生きていて名前を聞いたことがある程度だったけど、彼を含めた東洋出身の亜人族と交流を深めるうちに興味が出て、取り寄せてみたのだ。
料理の系統にもよるが、意外とこの国の料理にも合わせられることがあり、ここ数十年でお店に出すメニューにも使用する機会が増えた気がする。
楪ノ国の地域によって製造法や原材料が異なるらしく、取り寄せる地域によって風味や味が違うのも面白い。
「しょーゆ、奥深いんだね。」
「雑にまとめるな。」
本人に悪気はないのだが、リィサさんには物事を雑にまとめる癖がある。
まあまあまあと言いながら、彼女はソーダの炭酸割りが入ったグラスに手を伸ばす。どうやら、雑に話をまとめる癖に自覚があるらしい。
「本当は自分のお給料でこのジュース飲みたかったけど、仕方ないよね。セイが奢ってくれるって言ったもんね、こういう時は素直に受け取らないとね!」
「自己正当化の声が聞こえた気がするけど気のせいかな。」
「気のせい気のせい!いただきます!」
傾けられたコップから、氷のカランという音が響く。しゅわしゅわと音を立てながら、ソーダの炭酸割りが彼女の喉を通っていく。
「アグラスベリー特有の味と酸味と甘みに混ざって感じる……この甘味…砂糖?確か、ジャムを使うんでしたよね?」
「その通り。アグラスベリーのジャムを炭酸水で割ったソーダだよ。」
「どしたの突然。食レポ、ウケる。」
「ん、何かね、よくある砂糖と違う気がして。甘味の中にあるこのコクと華やかな感覚…何だろう?」
「正解はこれだよ。」
そう言って私は、ある1つの袋を取り出し、2人に見せた。
手にした袋を傾けると、サラサラと粉のようなものが移動する音が聞こえてくる。
これは、ヤビーキカという花から作られる砂糖の1種である。
赤と点々とした黄色、外に開くように大きくなる花びらと、人差し指くらいの太い茎が特徴で、根っこ以外の花の全体を絞り加工することで、今私が手にしているこのヤビーキカ糖になるのだ。
ヤビーキカ糖はほんのり赤く、ヤビーキカ特有の花の香りがするため、ベリー系の木の実との相性がとても良い。リィサさんが感じた華やかな感覚とは、このヤビーキカ糖のことではないだろうか。
「へー。俺それ飲んだことないから分からないけど。リィサってバカだけど舌は良いんだね。」
「どゆこと!?馬鹿にしてる!?褒めてる!?」
「どっちも。」
「も!?」
「まーそんなことより、リィサ、次これ食べてよ。」
話の流れを遮るように、セイさんはお皿に並べられたパンサンドに手を伸ばした。
息を荒くしセイさんを睨みつけているリィサさんだったけど、パンサンドから漂う焦げたソースと肉とパンの香りの誘惑に負けたのか、視線をお皿に向け直した。
??「…………じゅるり。」
【アグラスベリーについて】
このエルベイン王国の北西にあるアグラス地方原産の木苺の一種。
正確にはアグラス地方の北西部にあるブルメット県の平野が主な原産地だが、国民の多くはアグラス地方の特産品だと勘違いしている。
赤紫色で直径が3〜4㎝と少し大き目、主に10~11月が収穫時期であり旬とされている。
涼しく風通しのいい土地で育ち、酸味と甘味のバランスが絶妙で、よくジャムなどの加工品として流通することが多い。
細かく切って無糖のヨーグルトに混ぜて食べると、味のアクセントになる。