5 エルベイン王国
「ねえマスター、本当に俺ら邪魔じゃない?うるさくない?」
「セイそれ3回目!しつこい男は嫌われるって言うよ?」
「そだね~しつこい上に声のでかいやつは男女関係なく嫌われるね~、今のリィサみたいに。」
「な~~~~!!?」
「はは…もう少しだけ声のボリュームを下げてもらえると助かるかな。今日は数名、テーブル席にお客様がいるからね。」
そう、今日はテーブル席に2名、別のお客様がいる日だった。
1人はこの喫茶で飲み物と読書を楽しみに、1人は軽食を食べつつ勉学に勤しみに。
声の大きさを指摘され、2人は同時に肩をすくめた。そろりそろりと後ろを振り返り、テーブル席の方を確認する。
他のお客様たちはこちらの声を気にする様子はなかったけど、一応声を抑えてもらえるよう2人には釘を刺しておいた。
会話が盛り上がると声量が上がるのは仕方のないことだけど、この2人は特に声が大きいのだ。
「何か注文する?後にする?」
「えーっと、この、レタスとムラシュ鳥の照り焼きのパンサンドを2人前。」
パンサンドとは、小麦などの穀物の粉を水や真菌類と一緒に練り合わせて発酵させ、オーブンで焼き上げた食べ物であるパンに、野菜や肉、ソースなどの具材を挟んで作る料理の一種だ。
軽食から主食にまでなる万能な食べ物であり、個人の好みに合わせて調理ができる。
ムラシュ鳥は、全長60〜80㎝の初級小型草食獣の一種である。
食肉として流通している鳥肉の1つで、一般家庭から富裕層まで幅広く食されている。
特に、発達した足回りの肉質は筋肉質でありながら、柔らかく口当たりが良いことが特徴とされている。
”人間”しか存在しないと言われている物語上の惑星、地球の生き物に例えるなら、一番近いのはニワトリという鳥だろうか。
一方レタスはキャロップレタスという品種のものを使用する。
丸くて大きなフリルのような葉先と黄緑色と黄色のグラデーションが特徴の、この国原産のレタスの一種である。
パリッとした心地のいい食感で、噛めば噛むほど甘味と水分が出てくる食べ心地の良さがこのレタスの売りとなっている。
一番の旬は4月だが、キャロップレタスは1年を通していつでも育てることが可能である。朝日が昇って1時間くらい経過した早朝に収穫するのがコツで、この時間に収穫することでうまみと水分を余すことなく葉全体に凝縮させることができるのだ。
ちなみに、当店で扱っている野菜の一部は、私が店の裏にある自宅の庭で栽培している産地直送の品物である。
「かしこまりました。お飲み物は?」
「俺はコーラで彼女はアグラスベリーの炭酸割りで。」
「セイの奢り?」
「そう、俺の奢り。噛みしめてよね。」
「わーい!!」
リィサさんは両腕を上に伸ばし、嬉しさを全身で表現した。
が、セイさんと私の無言の視線に気が付き、口に手を当てて小さくすみませんと呟く。
彼女の声量と感情のコントロールは今後の課題になるのかもしれない。
「軽食と飲み物を用意しますで、しばらくお待ちください。」
「はいはい、ゆっくりどうぞ~。」
「どうぞ〜!今日は私たち、お勉強をしに来たので!」
「勉強?」
そう言うと、リィサさんはノートとペンと本を取り出した。
リィサさんの取り出した本をセイさんが手に取り、パラパラと数ページ捲る。
私が視線を向けると、「ほらこれ」と本の表題を見せてくれた。
本には『我が国エルベイン王国について』と書いてあった。これは子供向けの地理、歴史の本であり、私たちが今いるこのエルベイン王国についての教科書のようなものだ。
「リィサがこの国についてもっと知りたい!って言うから、俺が教えることになったんだよ。俺この国出身じゃないのにね?」
セイさんが目じりを下げながら溜息をつく。
確かに彼はこの国出身ではない。ましてや『違法移民』の”鬼”だ。
「他に予定が合うかつ教えられそうな人がセイしかいなかったの。」
「そそそ、ハイドラのおやっさんに頼まれちゃって。だから、マスターにもこの場にいてもらおう思って。マスターはこの国で生まれ育ったんでしょ?」
「ああ、生まれも育ちもこの国だよ。」
「作業しながらで良いからさ、間違ったこと言ってたり解釈がおかしかったら言ってほしいな。」
「私でよければ。」
答えながら私は、業務用冷蔵庫の扉を開けた。隙間から冷気と食品特有の雑多な匂いが込み上げ、お互いを殴りあうように主張をする。
作業に取り掛かる私を見届けたセイさんは、本を開きながら隣に座るリィサさんに向き直った。
「さーて、まずは初歩的な部分からかな。そもそもなんだけど、今の暦、分かる?」
「馬鹿にしないで!制定暦1009年の10月です!」
「よしよし、流石にそこは理解しているね。じゃあ今は建国暦何年?」
「けんこくれき………?」
この国には2つの暦がある。
1つは、先ほどセイさんが言った制定暦。
今から1009年より前、この国は君主制だった時代がある。
当時はエルフの一族であるブレンクーン家という王族と、エルフの貴族が国と領地をまとめていた。この時には既に多くの亜人族が存在していたが、全ての亜人族の上に立つ実権を持つのはエルフであり、エルフが優遇される社会となっていた。
1124年前、これに異を唱えたのが、ヴァンパイアのカヒエ・タンガスティンという人物だった。我が国は特定の種族ではなく、国民によって選ばれた者によって統治が行われるべきであると主張した。
エルフ中心社会に辟易していた多くの亜人族はタンガスティンに賛同し、王政の廃止を求めた。
しかしそれに対して素直に「はい分かりました」とはならないのは当たり前なわけで。ここから約100年近くに渡り、王政廃止派と王政継続派と王族の対立が続いた。
大きな事件も何度か起こったが、それでも国の政体が変わることはなく、人々は疲れ果てる一方だった。
そして今から1025年前、この国の王政は終わりを告げた。
亡くなった先代から国王の座を引き継いだユシア・ブレンクーン女王が王室と貴族制度の廃止を宣言。エルフ中心社会に終わりを告げた。
当然というべきか、エルフの貴族たちからは猛反発を食らったが、ユシアの手腕により多少手荒ではあったが貴族たちもまとめあげ、数十年かけて納得させた。
この数十年の間にユシア・ブレンクーンとカヒエ・タンガスティンを筆頭とした王政廃止派たちにより、この国の新たな政体が築き上げられた。
結果、今から1009年前にこの国は正式に立憲君主制になった。王家であるブレンクーン家はそのまま存続させるが、国の象徴として君臨こそするが統治はしないという形に落ち着いた。
この時に決められたのが制定暦。この国が立憲君主制になってから1009年ということを表している。
もう1つは建国暦。
エルベイン王国が建国してから現在に至るまでの年数を表している。
現在は建国暦2744年の10月である。
「わ、わわ……」
「まあ制定暦の経緯とかは覚えなくてもいいよ。制定暦と建国暦、そういうものがあるってことだけ把握していれば。」
「い、いや、頑張っておぼえる…」
学校などの機関では確かに制定暦の経緯を学ぶが、卒業してからこの知識が生かされることはほとんどないだろう。多くの者が、「そういう暦がある」くらいにしか認識していない。
リィサさんは息も絶え絶えになりながら、本に書いてある文を書き写していた。
「じゃあここで問題~。この国の名前は?」
「エルベイン王国!!」
「はい正解、じゃあこの地図のどの国?」
「ここここここここ!!」
「俺らのギルドやこのお店があるこの県が所属する地方は?」
「は?」
「はいここ、ミフィン地方です。ちなみに王都ウォレリアがあるのはアルカシェ地方のこの一番大きい県です~。」
「みふぃん…あるかしぇ…あぐらす……ん?アグラス?」
「あー、アグラスベリーの産地だね。アグラスベリーの名前の由来はこの地方名。」
正確に言うと、アグラス地方全体がアグラスベリーの産地として有名なわけではない。
アグラス地方北西部にあるブルメット県の平野が主な原産地になっており、この国に流通する78%のアグラスベリーはこのブルメット県産であると言われている。
どういう経緯であの木苺がアグラスベリーという名前になったのかは定かではないが、名前の由来と原産地的には半分正解、半分不正解といったところか。
そんなことを考えながら、私は今、話題の渦中にいるアグラスベリーのジャムの瓶を手に取り、作業を進めるべく手を動かした。
2人の勉強会はこれからだ。
【キャラクター解説】
名前:ハイドラ
年齢:55歳くらい
身長:130~140㎝
種族:ドワーフ
【ハイドラについて】
喫茶「調合屋」の常連の一人で、初級の草食獣から中級の肉食獣の討伐と猟を生業としているギルドに所属している中年のドワーフの男性。ギルドのリーダーというわけではないが、それなりの立場にいる模様。
リィサをギルドで引き取ると決めた者の1人で、彼女の面倒を見ている。
大きな声とガラガラとした声が特徴。言葉遣いは乱暴気味だが性格は優しく人情派で、常に笑顔を絶やすことがない。怖いけど怖くないおじさんとよく言われる。
プライベートでは3男3女の父親で既婚者。妻は国家公務員のドワーフ。