4 穏やかで仕事好きなジャックフロストの女性
1009年10月13日 午後9時頃
グラスの底に、星形の甘味料が溶けて沈んでいく。
ゆらゆらと揺れている無数のそれは、本物の星のように輝いて見えた。
「…さて、私はそろそろ失礼します。明日は早番なんです。」
ラングさんは飲み物を飲みきると、帰り支度を始めた。
鞄の中から財布を取り出し、支払金額を確認しつつお金を取り出している。
ふと彼は時計を見上げると、もうすぐ9時ですねと呟いた。彼に言われて気が付いたが、あれから1時間ほど経過していたようだ。
先ほどより空気が冷えているように感じられ、夜の静けさが増したのを実感した。
「あららぁ~残念。もう少しお話していたかったのに。」
「すみません。お喋りはまたの機会に。マスターお金はこれで足りますか。」
フラウストさんはしょんぼりしていたが、まあ仕方ないよねえと言いながらすぐに切り替えた様子だ。再びグラムナッツを手に取り、指先で少し弄んだあと、その黒い殻に爪をひっかけて割った。
このお店には、2人のように仕事帰りに寄ってくれるお客様も多い。仕事終わりに立ち寄り、一人の時間を楽しむのもよし、カウンター席で知り合いの誰かを待ち、ラングさんとフラウストさんのように会話を楽しむもよし。
もちろん、私でよければ話し相手になりましょう。
私はラングさんから差し出された料金を受け取った。
他の亜人族と比べて小柄なためか、ラングさんの手にはぎゅうぎゅうに硬貨が握られていた。
私は彼の手から硬貨が落ちてしまうのではないかと思ってしまい、咄嗟に両手を差し出し代金を受け取った。ラングさんは微笑みながら「マスターの手の大きさなら大丈夫です、両手にあふれるほどの大金ではありませんよ」と笑っていた。
咄嗟の対応とはいえ、彼を子ども扱いしてしまったようで、申し訳なさと気恥ずかしさを感じた。
「丁度でした。ありがとうございます。またのお越しを。」
私は不足分がないことを確認し、領収書を渡した。
ラングさんは席を立ち、私とフラウストさんに一礼し、無駄のない足取りでドアに向かい、丁寧にドアを開け店を後にした。
店には店主である私と、フラウストさんの2人だけだ。店には風で窓が揺れる音と、フラウストさんがグラムナッツの殻を割る音だけが聞こえる。
「フラウストさんはまだ帰らなくて大丈夫ですか?」
「うん。実は、明日休みを取ったんだあ。忙しい時期に入る前に取っちゃおうと思ってえ。」
「…ああそうか。そろそろ【魔法鉱石】の採掘、採取の時期ですか。」
フラウストさんは、今後訪れるであろう職場の多忙な様子を想像したのか、眉間に皺を寄せながら頷いた。
フラウストさんが務めているのは、【魔法鉱石】の採取の計画や指示、管理を行う公的機関【魔法省】の【魔法鉱石管轄課】、通称鉱石課である。
魔法鉱石とは、この世界に欠かせない万有エネルギーの元とされている鉱石の総称である。
魔法鉱石からエネルギーを抽出、加工することで、各家庭にガスや電気が供給されている。実は、魔法鉱石は特殊な鉱物であるにも関わらず、私たち一般人にも身近なものだったりする。
多くは高山地帯や洞窟、深海の底などの自然の中で見られるのだが、たまに住宅街でも鉱石が転がっていたり結晶化しているのが確認されているのだ。
鉱石が発生する原理は学者たちの間で研究され、原理が分かりつつあるらしい。
私は専門家ではないから、ガスや電気、その他のエネルギーとして利用されているという一般的な知識程度しか知らないけど。
「私は現場の人じゃないけど、それでも採取採掘の当事者の一人であることに変わりはないからねえ。こればっかりは仕方ないかなあ。」
「…そうですね。」
返答に少し間が開いてしまった。自分の専門外の話を聞くのは楽しいが、ふと思い出したのはあの好奇心旺盛な赤髪のエルフの少女。
そんな私の様子を察したのか、フラウストさんは首をかしげて私の顔を見てきた。
「ん?どうかした?」
「……最近、うちにエルフの女の子が来ることがあるんですよ。何にでも興味を持つ子なんですけど、その子の前でこの話をしたら根掘り葉掘り聞かれるんだろうなって。フラウストさんの話し相手に良いかもしれないな、と思って。」
「ふふふ〜。それはいいかも。私、ラングさんと同じように今の仕事が大好きなの。忙しさに溜息をつきたくなることもあるけど、それでもやりがいや楽しさは感じているの。」
興味を持ってくれて魔法省の試験を受けて合格してくれたら人手も増えるし、と彼女は楽しそうに笑う。
「……ああでも、彼女、好奇心が旺盛すぎて。何というか、悪気なく相手の領域に踏み込んでしまうというか。」
「あ~…言ってることは想像できたけど、その子関係で何かトラブルでもあったの?」
「いえ、トラブルというか…私に初めていったセリフが『本物の”人間”だ』だったんですよ。」
彼女は何かを察したのか、あちゃ~という顔をしている。
これはジャックフロストの彼女に例えると、初対面の人に「雪女は好きな人を凍らせるって本当ですか?」と聞くことに等しい。
初めて顔を合わせた人とは関係なく、失礼な発言だと捉えられかねない。実際に、ハイドラさんはそんなリィサさんを咎め、何度も私に申し訳なさそうにしていた。
「ふふふ。でもねえ、私、彼女に会ってみたいなって思っちゃったの。」
彼女はいつもと変わらない様子で笑う。リィサさんに対する軽蔑や嫌悪の感情を抱いているようには見えなくて、私はその疑問を彼女に投げかけてみた。
「う~ん、私の場合はだけどねえ。その発言が意図的かどうか、悪意があるかどうかによって受け取り方が全然違うの。相手が子供だからとか大人だからとか関係なく、意図があったり悪意を感じられない限り、そういうことを言われてもあまり不快感は感じないの。」
「…私の話した内容だけで、彼女には悪意を感じられない、と?」
「そ~う。マスターの様子や、そのエルフの女の子の様子を想像するとねえ。本当に、ただ知りたくて知ろうとしているだけなのかなって。もちろん、どんな理由があっても、プライベートゾーンに踏み込まれることに不快感を抱く人はいるだろうし、そういう人を心が狭いとか器は小さいとかそういうことではなく、悪いことだとは思わない。」
フラウストさんは一息つくと、紅茶ソーダを少し飲む。
グラスの中にあった甘味料の星々は、いつの間にか溶けきって跡形もなく消えていた。
彼女はしゅわしゅわと音を立てているグラスを傾けて、中に残っているそれを円を描くように軽く振っている。
「ただ、私はジャックフロストとしての伝承について聞かれることを、全てが全て嫌というわけではないってだけ。セイレーンの友達の子どもにもあれこれ聞かれたことあるけど、その子からは悪意を感じなかった。だから、雪女の伝承と比較されても気にならなかった。…まあ、友達の子どもだからっていうのもあるかもしれないけどねえ。」
なるほど、と私は納得した。
彼女が嫌なのは、あくまで意図的に悪意を向けられること。
相手の発言に悪意があるのかは人それぞれ捉え方にもよるだろうけど、少なくとも彼女は相手の発言に悪意を感じるかがポイントになるのだと。
「まあ、実際に会ってみないと分からないけどね。もし会う機会があれば、少しお話してみたいかも。」
「機会が来ると良いですね。良き出会いであることを願います。」
「ふふふ。そうねえ。ここに来る楽しみが1つ増えたかも。」
彼女は手に持っていたグラスの中身を一気に飲み干した。
「もう一杯何か飲みますか?それか軽食でも?」
「う~ん、今日はもうやめておこうかな。帰ってゆっくりお風呂に入って、ストレッチでもして早めに寝ようと思って。明日はせっかくの休みだし。マスター、今日も美味しい飲み物をありがとうねえ。」
フラウストさんは財布を取り出し硬貨を何枚か取り出した。
私は右手を差し出し、代金を受け取る。ジャックフロストらしく、彼女の指先はひんやりとしており、その冷たさは硬貨にも移ったようだ。
硬貨に移った冷感を察したのか、彼女はあっと声を出した後にふふふと笑った。
「私から何度も硬貨を受け取る機会はあるでしょ~。慣れない?」
「すみません、慣れるのにはもう少し時間がかかるようです。」
「覚えておいてね、これもジャックフロストあるあるだから。特に貴金属系のものは少し持っているだけで、ひんやりしちゃうから。」
ジャックフロストみたいな亜人族が触れても冷たくならない特殊な貴金属もあるけどね、と彼女は付け加えた。身支度を整えると、じゃあねと手をはためかせながら店を後にした。
店には私以外いない。人目がないことを良いことに、私は背を伸ばし、少しストレッチをする。
「今日はもう店じまいをしよう。」
店を閉めるために、私は作業に取り掛かる。
明日もあなたに安らぎがあらんことを。
そう願わずにはいられなかった。
【キャラクター解説】
名前:フラウスト
年齢:30歳くらい
身長:165㎝
種族:ジャックフロスト(雪女)
【フラウストについて】
喫茶「調合屋」の常連の一人で、魔法省の魔法鉱石管轄課に務めるバリバリのキャリアウーマンなジャックフロスト。
語尾を伸ばしがちな喋り方が特徴で、話しているとこっちの気持ちまで緩みそうになる独特な雰囲気がある。
のほほんとした口調だが、仕事では重要な仕事を任されるほどの実力と風格があるらしく、それなりに責任のある仕事を任されている様子。