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郷愁世界の利久さん

作者: 小椋正雪


 秘密のトンネルを抜けると、いつものように郷愁をそそる風景が広がっていた。

 どこまでも広がる草原に、未舗装の一本道。

 道の真ん中には電線のない電柱が一本立ち、そこに街灯が取り付けてある。

 気温は暑くもなければ寒くもない。

 湿度は実感が湧かないが、センサーによれば0%だった。

 遠くから、いるはずのない蝉の声が響いてくる。

 ご丁寧なことに、夕方になるとひぐらしになるし、秋にはコオロギや鈴虫になる。

 遠くを見れば、頂上が雪で白く覆われた高山。

 反対側には、日を反射して輝く海が、わずかに。

 見たことがないのに、どこか懐かしく思えてしまう風景。

 だから、ここに長時間いると、いつもマスクを外したくなる衝動にかられる。

 でも外してしまうと、帰ることができなくなる。


 ここは、死者の国。

 人類の科学技術はついに、おとぎばなしなどの伝承に残っている死者の国への恒常的なルートを切り開くことに成功したのだ。

 だが、まだ改良の余地はいたるところにある。

 まず第一に、着のみ着のままでは、ここに入ることができない。

 全身を鎧のようなスーツで覆い、マスクを装着していないと、徐々にこの国の住民と同化していってしまう。

 簡単にいってしまえば、死者になってしまうということだ。

 当然のことながら、そのままでは現地の食べ物を摂取することもできない。

 スタッフの話によれば、それは『黄泉戸喫(よもつへぐい)』といって、伝統的に危険と記録されていたものらしい。

 曰く、スーツなしでいるのが外から取り込まれていくのだとしたら、内から取り込まれてしまうのだそうだ。

 そして最後に、死者の国の全容はいまだにつかめず、踏破率が何%なのかわかっていない。

 だから、俺みたいな高収入のアルバイト代に釣られて、スーツとマスクと物騒な武器と持たされた調査員が必要になる。

 そんな危険なところにどんな価値があるのか?

 何事にも、例外があるのだ。

 たとえばこの死者の国では、オアシスと呼ばれる場所がある。

 そう呼ばれているだけで必ず水場があるわけではないのだが、そこではスーツなしで活動できるのだ。

 そしてそこでは、死者ではない俺たちでも飲食できるし、なんなら常駐することだってできる。

 今向かっている場所も、そのひとつだった。



■ ■ ■



 草原の道を歩ききると、それを横切るように一本の線路が伸びていた。

 片方はどこまでも続いていたが、もう片方は少し先に車止めがあり、そこで線路は終わっている。そしてその上に、朽ちかけた二両編成の列車が停まっていた。

 その脇には物干し台が設えてあり、洗濯物が、風にはためいていた。

 そして、その前にひとりの少女が、でかい金属製の瓶を振り回していた。

 牧場で見たことがある、ミルク缶と呼ばれるものである。

 ぱっと見では30リットルは入るものだがそれを両手で抱えるように持ち、軽々と振り回していた。


「おはようございます。なにをしているんですか?」


 スーツ越しに手首に巻いてあるスマートウォッチの画面を確認してから、俺はマスクを外してそう尋ねた。

 ここがオアシスであっても、数値の異常があればすぐにマスクを装着しないと危険だからだ。


「おはようございます。新鮮な牛乳が手に入ったので、バターを作っているんです」


 瓶を振る手をとめて、彼女——利久(りく)さんはそう答えた。

 肩で切り揃えた短い髪が、遅れてとまる。

 俺よりも頭ひとつ分、いやふたつ分は小さい彼女は、このオアシスの主である。

 その出立は、少し変わっていた。

 上は黒いセーラー服なのだが、下はランニングタイツに、ブーツを履いている。

 そして古風なガンベルトを巻いており、ホルスターにはこれも古いリボルバーが収められていた。


「そのバターを、どうするんですか」

「できたてにお砂糖を加えるんです。それだけでも美味しいんですけど、それを薄地のクッキーに挟んでお茶菓子にすると……絶対に美味しいですよ!」


 なるほど。いわれてみると、こんなところでそれを食べられるのは、かなり嬉しいかもしれない。


「せっかくですから、ご一緒しませんか」

「ああ、それじゃあ……」


 背嚢をおろし、中からアルミのケースを取り出す。

 実験はしていないらしいが、こちら側の飲食物が侵食されるを防ぐために作られたものなのだが、いかんせん内容量に対して、大きく、重い。


「向こうの茶葉と、コーヒー豆、それと……頼まれていたこれを」


 小さなスチール缶を、利久さんに渡す。

 すると彼女はぱっと笑顔を浮かべて、


「抹茶! ありがとうございます。手持ちがなくなったら、半年ほど遠出をしないとしないといけないから、助かりました!」

「半年ですか……」


 その間、この辺り一帯はオアシスでなくなる。

 主の利久さんがいなくなるからだ。

 俺の知っているオアシスで、ひとりでおちつけるのはここしかないため、その事態を避けられたのはなによりだった。


「せっかくですから、抹茶を点てましょうか。二号車両の茶室にお越しください」


 ちなみに一号車両は利久さんの住居である。

 一度だけお邪魔したことがあったが、内部はカーテンでうまく区切られている、可能な限り無駄のない空間であった。

 そして二号車両の半分が喫茶店であり、もう半分が茶室になっているというわけだ。


「俺、茶道の知識まったくないんですけど」

「気にしなくていいですよ。お茶碗を受け取って四分の一回して三回くらいに分けて飲んで、四分の一回して元に位置に戻して返せばいいんです」

「絶対それだけじゃないよね」

「そんなことありませんよ。田中先生もそれくらいでいいっておっしゃっていましたし——」


 そこで利久さんが、ふと顔を草原の道へと向けた。

 同時に俺のスマートウォッチから、警報が鳴る。

 ほぼ条件反射でマスクを被り、手に持っていた武器——FN-P90——の残弾を確認する。

 残りあと48発。腰に提げてあるM45A1はあと7発。

 一戦ならなんとかなるが、来るもの(・・・・)次第だ。




 そう、こんな物騒なものを持っているのにもちゃんと理由がある。

 この世界には、生きている人間を襲う存在がいる。

 どういう理由かは知らないが、古い弾頭ほど効く(・・)ので、俺の銃に装填されている弾丸も、弾頭部分は古い金属を再加工したものを使っている。

 なんでも、十年くらい前に誰かが趣味で持ち込んだ古式銃と古い弾丸がめちゃくちゃ効いたらしい。

 そのせいで弾丸代は通常弾よりも高くついているのだが、命には替えられない。


「大丈夫です。それをおろしてください」


 P-90を構えていた腕に、利久さんがそっと手を添えた。

 同時に、俺たちの目の前に身長2メートルほどの影が現れる。

 それは影としかいいようがない。普通の人影を少し引き延ばし、そのまま直立させたような姿だった。

 利久さんは大丈夫といったが、これにつかまれた影の中に引き込まれると——もう絶対に戻って来れない。

 現に俺は一度だけ、その光景を目にしてしまっている。


「ようこそおいでくださいました。こちらにどうぞ」


 言葉遣いも雰囲気もまるで違う静謐な所作で、利久さんが背後にある廃列車を指差す。

 そんな利久さんに圧倒されたのか、影は俺にはまったく興味を持たない様子で、静かに利久さんの後についていった。


「貴方もどうぞ、こちらに」


 どうやら俺は、無害な影と一緒にお茶することになるらしい。




 二号車両の最後部から茶室に入る。

 その際入口にスチール棚があるので、そこに武器を預けていく。

 ここで武器を置くというのは、何度やっても慣れないことだった。

 内部には、畳が敷かれた狭い空間であった。

 畳は三畳しかない。左右には元々の窓に障子が追加されており、程よい明るさになっていた。

 中には座布団がふたつ置いてあり、奥のそれに影が座る。

 どうやら、そういう知能はもっているらしい。

 仕方がないので、俺もその隣に座った。

 正座なんて、何年ぶりだろうか。

 影側の正面には富士山を模した茶釜があり、細い湯気が昇っていた。

 どうやら、俺が来る前から準備をしていたらしい。


「おまたせしました」


 利久さんが反対側の入り口——つまり車両側——から現れる。

 先ほどまで来ていたセーラー服を脱いでおり、代わりに黒い浴衣を纏っていた。

 チラリと見えた足首をみるに、ランニングタイツははいたままらしい。


「先にお菓子をどうぞ」


 俺たちに黒塗りの盆を小型化したような小皿が配られる。

 その上には、薄焼きのクッキーにバターが挟まれていた。

 おそらく、さっきまで利久さんが振り回していたものだろう。

 影が器用に手に取り、それを口元に持っていって——次の瞬間には、消えていた。

 どうも、吸い込むように食べた(?)らしい。

 俺も、その手作りバターサンドクッキーを口にする。


「甘くて——美味い」


 思わず、声が出てしまった。

 さくっとしたクッキーの食感の後、ミルクを何倍も濃くしたような風味と甘味が同時に押し寄せてきたのだ。

 

 ——絶対に美味しいですよ!


 利久さんの言葉を思い出す。

 なるほど、これは確かに美味い。


「お茶をどうぞ」


 続いて、利久さんが抹茶を差し出した。

 影には同じように黒い茶碗、俺には桜色に近い赤い茶碗である。

 中には、きめ細かい泡に覆われた、抹茶が茶碗の底に薄く入っていた。

 影がそれを両手でとり、利久さんのいうとおり四分の一回転させて、眼前で3度傾ける。

 そしてそれをもう一度回転させて元の位置に戻し、空になった茶碗を置いた。

 どうやら、利久さんがいったやり方で問題ないらしい。

 俺も真似をして、抹茶を飲む。

 ——意外にも、苦味より先に爽やかな風味が鼻を通り抜けていった。

 抹茶は苦いものという先入意識があり、実際苦味があったがそれは軽いもので、後から仄かな甘味が追いかけてくる。


『結構な、お手前でした』


 突如老人の声がして、俺はギョッとした。

 いつの間にか影が老人の姿になっていたのだ。

 老人といっても背丈は俺と変わらず、白い詰め襟の制服を着ている。


『ながいこと、ここを彷徨っておりましたが——久しぶりに一服つけたような気がします』

「そうおっしゃっていただき、光栄です」


 影であった老人が頭を下げ、利久さんがそれに応える。


『失礼ですが、これからどちらに向かえばよいか……ご存じでしょうか』

「こちらに来る途中に、線路が見えたと思います。それに沿って、まっすぐお進みください。そうすれば、望まれた場所へと行くことができるでしょう」

『ありがとうございます……』


 老人が静かに立ち上がった。

 そこでようやく俺に気付いたのか、黙礼する。

 俺も黙礼を返すと、老人はいつのまにか手に持っていた制帽を被り、まっすぐに茶室から退出した。

 俺と利久さんも、その後を追う。


『ああ、なるほど……」


 廃線となった線路を眺めて、老人は心なしか嬉しそうに呟いた。


「たしかに、あちらに目指すものがあるように感じます」

「どうか、おきをつけて」


 利久さんが一礼する。俺もつられるように、一礼した。

 老人はそれに応えるように、敬礼ではなくお辞儀をすると、一歩一歩を踏みしめて歩き出した。

 その歩き方はやはり、訓練された軍人のようであった。


「——久しぶりですね。こうやって誰かをお見送りしたのは」


 老人の姿がみえなくなってから、利久さんが大きく背筋を伸ばす。


「これが、利久さんのお仕事だったんですか?」


 これがはじめてのことだったので、思わず俺はそう訊いていた。


「いえいえ——」


 浴衣を脱ぎそれを丁寧に畳みながら——ここではじめてわかったのだが、服の下に身につけているのはタイツではなく、ノースリーブのハイネックアンダーウェアであった——利久さんは笑って続ける。


「うちはただの、喫茶店ですよ」


久しぶりに自分の好きなものを詰め込んでみました。

評判がよかったら、連載化をしてみようと思います。

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