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高野孝

 本当に戻ってこれたのだろうか。


 玄関の前でおれはドアを開けられずにいた。

 拠点についたときの嫌な予感がいまだに引っかかっているからだ。


 庭を周り、窓から中を覗こうにも雨戸が邪魔をする。

 明かりがついていても、テレビがついていない。無音だった。


 それでも、ずっとここにいて近所の人に虐待児と思われてもいけない。

 よし、入ろう。


「……ただいま」

「おかえり。遅かったわねぇ。汗かいてっしょ? 先風呂入っちゃいなさい」


……いつも通りだった。



 荷物を置いてすぐ、おれは浴槽に浸かる。

 リラックスする環境にいると却って、脳が興奮しているのがわかる。


 目を閉じても今日のことが瞼に映る。

 そして、()()()が現れると正体のわからない黒い感情が熱を持つ。


 西咲。

 あいつは達郎のことが好きなのではないだろうか。

 なんというか妙に馴れ馴れしいというか。

 だからなんだと言われれば、自分でもわからない。

 ただただ気に入らない。

 きっと、おれはあいつが嫌いなんだ。だから達郎が好きなら全力で邪魔してやりたいと思うんだ。

 おれは微熱をそう解釈した。


 「はあ……」嫌な気分だ。他のことを考えよう。


 他のこと……そうだ。タイマーはなぜ止まったのだろう?

 公園に入ったから?

 他にも止まる要因があるかもしれない。なら、常にチェックしておくべきだった。

 それに、ちゃんと動くかもわからない中でいきなり遠くに行くのも良くなかった。


 それと扉のこと。

 こっち側に戻ってくる時、扉が机になっている状態だと怪我する危険もある。

 達郎は気に入っているようだが、まずは機能面を重視するべきだ。


 あと考えること……向こう側の住民になるかどうか。

 いや、もうのぼせそうだし風呂出るか。



 夕飯の席に着くと、今日は好物だった。


「塩鮭か。いただきます」

「今日安かったから買ってきたわ。明日テストでしょ? おいしいもの食べて頑張ってもらわないと」

「ああ、うん」


 そういえば明日か。なんだか現実味がない。

 そんなことより、向こうの住民になるかどうかばかりをぼんやりと考えてしまう。


――大丈夫よ。ここの()はみんな幸せだから


 そんな言葉に揺れてしまった。

 おれはなぜ向こう側に行きたくないと思った? 周りの人に迷惑をかけることが怖いからだ。

 では、達郎が異界の住民になるのを止めたいのはなぜだ? わからない。

 どうして、向こう側に行きたくない気持ちが薄らいでいるのだ? わからない。

 このままでは永遠に結論が出ないのではないか。いっそ他の人の意見を聞きたい。

 目の前の母を見つめる。

 どうやって訊こうか少し考えて口を開く。


「心理テストなんだけどさ」


 おれは切り出すが母の箸は止まらない。

 少し子供っぽい切り出し方だったろうが、おれは続ける。


「大事な人がある日突然ばったし倒れて、死んてしまったらどう思う?」

「そうねぇ。あんたが死んだら悲しむさ」

「じゃあ、もし天国で幸せになってたら?」

「それでも悲しいわ。せっかく命があるんだから、生きてないと味わえない幸せを見つけて欲しいし、その手助けが母親の本分だからね」

「じゃあ天国じゃなかったら、悲しくない?」

「例えば?」

「例えば……外国とか2度と会えない場所」


 母は箸を止めた。


「本人の自立のためなら、仕方ないと思うのかしら。自分で考えて、自分で選んで、自分で見る世界はどんな幸せより価値があるはずだからね」


 母はそう言って、美味しそうにご飯をかきこんだ。

 おれの気持ちはだいぶスッキリした。

 やっぱり向こう側に行くのには反対だ。

 達郎を止めようと思う矢先。頭の片隅で悪い考えが浮かぶ。


――それは自分たちが生きていることを美化するための方便じゃないのか。


「それで、私の何がわかったの?」


 母は鮭の骨をつまらなそうに取り除いている。


「うーん。よくわからなくなっちゃった」

「何よそれ」


 ピコン。

 スマホが鳴った。

 おれのだ。

 見ると、達郎から『明日学校休める?』とだけ送られていた。


 何を聞いてんだ明日はテストだぞ。そう返そうとして踏みとどまる。


  明日何するの?


   午前中 空き家で日記

   探して午後から探検

   来れない?


 母の言葉と意地悪な考えが、指を動かなくする。


    無理ならそれでいい

    西咲と行くから。


 西咲と達郎を2人にさせるのは許しがたい。返信を打つ指は止まらなかった。



 返信から翌日は、あいにくの雨だった。例の空き家を目指して、坂を登ると赤い傘が見えた。

 誰だと思って見ると達郎だった。


「随分と目立つ色だな」

「母親のを借りてきたんだ」


 彼はなんてことないように、傘をクルクル回す。


「マスク持った?」


 首を振ると、達郎は「ほこりっぽいから持っておいたほうがいい」とマスクを渡してきた。


 マスクをつけ、傘を立て掛けて、おれたちは例の空き家に入る。

 午前中に日記を探し、午後には西咲とともに扉を潜る予定である。


 ここに西咲を呼んでいないのはおれが意地悪したというわけじゃない(してないつもりじゃないが)。彼女に知らせていない情報が日記に載っている可能性があるのだ。

 彼女が知らない情報と言うのは、神殿探しの目的のことだ。

 あいつはアホだから情報を漏らす可能性がある。

 あいつから勝手に頭突っ込んできたわけだし、伝えなくても良いだろ。


「そういえば西咲には今日2人で日記を探しに行ってること、なんて説明したの?」


 ふと、気になって訊いてみた。

 あいつに何も言わず日記を探して。隠していることがあると疑われてしまうのではないか?

 達郎は自前のランタンを灯している。


「僕たちは日記を探すから、西さんは学校でチョークを持ってきてって頼んだ」

「また、チョーク盗むの?」

「こうでも言わないと彼女納得しないだろう? それに、僕たちの税金で買われているチョークを数本拝借するのは授業中に机と椅子を数時間占有するのと税の目的から見ても本質的には同じことじゃないか」


 それは詭弁だとおれは言うと、まあねと達郎は笑った。


「というか、なんでチョーク? まだあるでしょ」

「偽拠点対策のためだよ。前回、迷ったのは歩いた距離がわからなかったからだと思うんだ。だからチョーク本体に細かく等間隔に印をつけて、その印分削れたら、もう1本のチョークで地面にマークする。そのためのあと1本、できれば2本欲しいね」


 なるほどな。ただ西咲が上手くチョークを盗める気がしないが、まあそれはそれで良いような気がしてきた。

 先生に怒られてもおれらの名前出すんじゃないぞ。


 日記があるという納戸に着いた。

 中に入り、達郎が部屋を照らす。

 以前、暗くてわからなかったが、広さは4畳半で壁に本棚が置いてある。そこからこぼれた本はオカルトチックなものだ。英語の物もあり難しそう。


 ランタンがことんと置かれる音がした。

 黒いタンス引き出しが4つある。


「タンスとはこれのことかな。確か上から2段目だったよね?」

「下から2段目じゃなかった?」おれは首を振って答える。

「そ、そうだったっけ」


 達郎は下から2段目を開け、日記を取り出した。

 日記はボロボロの金を紐で結びつけてあるだけの粗末なものだった。


「本当にあったよ」達郎はペラペラとめくる。

「それいつのなんだ?」

「1975年だね」

 

 そう言って日記とランタンを床に置く。

 おれは近付いて、日記を覗く。

 最初の方はなんてことない記録だ。

 おそらく白い扉と関係なしに趣味でつけていたのだろう。


 日記を半分ほどめくり、ようやく夢男の記録に関するページを見つけた。


ーーー


昭和50年6月13日


今日変な夢を見た。その夢の言う通り、近くの川を登ると真っ白い扉があった。そのことを、武さん(おそらく夫だろう)に言うと持って帰ろうと、人を集めようとした。だけど、まだよくわかっていないからあんまり大事にしちゃいけないんじゃと思って止めた。2人で扉を運ぶのは一苦労で1日中かかってしまった。


昭和50年6月16日


新殿を探そうにも方角も場所もわからないので、あてもなくさまようばかり。また、19時を過ぎると帰れなくなるなど、恐ろしい一面もあり、あの時人を呼ばなくてよかったと思い返している。ただ、私たちも歳が重んでいるから、どうしようかと足踏みしている。


昭和50年6月20日


白い世界で初めて人と会った。親切な人で、私たちに色々と助言をしてくれた。


儀式の方法。

まず、近くの海で体を清める。次に神殿の真ん中にある台座に仰向けになる。渡された白いコンパスの針を体に刺す。そうすると魂が体から出る穴を作ることができる。自分で自分を刺すことは難しいので、相方にやってもらうと良い。

もし神殿以外の白い世界で針を使って死ぬと、魂は不安定な力場に流され続けることになる。

(針を使わずに死んだり、19時を過ぎても向こう側にいると、魂が体に閉じ込められた状態で体のエネルギーを取られてしまう)


ーーー


 まるでアステカの儀式じゃないか。そう思って達郎を見るが、彼は変わらず目を輝かせている。


「見る限り、6月で面白いのはこんなところかな。7月のに行っていいかな?」

「ああ」


 彼はページをパラパラとめくり始めた。

 こんな速さで読めるのかと思ったが、その手がピタリと止まった。


「おや、18と19日の日記がない」そう言って、前後を確認しだした。



ーーー


昭和50年7月17日

海の潮が引くと前まで霧で見えなかった浅瀬に神殿が現れた。

身辺整理を始めよう。儀式ができるのはもう少し先だろう。


昭和50年7月20日

一昨日、武さんが食事中に倒れた。脳梗塞らしく、神殿どころじゃなくなってしまった。

もっと早く神殿を見つけていたら、永遠に一緒に入れたのに。



昭和50年10月10日

武さんと同じところに行くか、向こう側の住民になるかずっと決めかねていたけれど、私は向こう側の住民になることにした。結局死んだとしても同じところかはわからないし、苦しみの中に余生を過ごすのは嫌だから。


ーーー


 7月20日から最後の10月10日の記録に至るまでの数十ページには反省や思慮が書き殴られていた。

 あるページは紙が破けるほど黒く塗り潰されていた。

 狂気をまざまざと見せつけられているようで気分が悪くなったが、見てよかった。

 向こう側で会った少女の幸せそうな様子に納得できたからだ。

 

「これは持ち帰ろう。後々便利そうだ」


 それから、西咲と合流するまでの間おれたちは部屋のものを色々と見た。が、特に有益になりそうなものはなかった。

 タンスの上に家族写真があった。子供の姿があったので日記を読み返すと、そいつはやんちゃだったから既に縁を切っているらしかった。



 外に出るも変わらず雨だった。マスクを取り、山の中冷えた空気を吸い込むとほこりっぽさが口の中に残っていた。


「待たせたナ」


 坂道を上ってくる西咲の姿が見えた。


「テストは大丈夫なのカ?」心配しながらそう尋ねてきた。

「後日やるだろうね」


 達郎が思ってもいないだろうことを言った。


「なるほどな。答え教えてやろうか? カエルは爬虫類だぞ」

「嘘つけ」


 おれは西咲に聞こえないようにボソッと呟いた。突っかかるとめんどくさいのを学んだのだ。


「サァ行くぞ。西咲はな考えたが、机の改築がしたい」

「扉はあのままでいいんじゃないかな?」


 達郎はおれの分まで傘を取って、言った。


「ケド、危ないカメラも壊れかけタ」

「なら、扉の先にクッションを敷くとか他の部分にしよう。扉本体を変えるのはコストがかかりすぎる。それに今日は時間がない。明日が休みだからやるなら明日だ」

「うーむ。なら仕方ない。写真も取り忘れてることだしな」


 おれと達郎は傘をさし、西咲と横並びで歩く。


「チョークはどうした?」


 おれは西咲の仕事を思い出し疑心に駆られた。


「アァ、持ってきたぞ」


 しかし、西咲は胸を反らして答えた。


「本当か?」

「あたりまえだのクラッカーじゃ。ホレ」


 彼女は、バックの中をごそごそと漁り、チョークを取り出した。


ーー白いチョークだった。


 おれと達郎は顔を合わせる。

 彼は唖然としているが、多分おれも同じ顔をしている。

 真っ白い空間の中で、白のチョークは使えないだろ……。


「ナ? チョークだろ? 全部で8本。全部新品ジャ」


 シャキーンと両手の指の間にチョークを挟んでポーズを取る。

 

「ごめん。何に使うか知らせなかった僕のミスだ……」


 達郎は謝って、西咲にチョークをどうするつもりだったか教えた。


 向こう側の崩壊まで今日を入れてもあと5日。時間がないので、午後からの探検は白チョークの代わりにマーカーを使った。

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