ノアの意思
のあのあ~♪
つぎのひ~♪
「………………」
「……いや、何か喋ってよ」
ポダルが昨夜の出来事について訊ねようとしているのだが、ルームサービスの女の子――――――「ノア」は無口な少女に戻っていた為、話がビックリするくらい進まなかった。
一応、たくあんがピグミーの悪戯によってスキュラに食われ掛けていて、そこを覚醒したらしいノアが助けたのは分かっている。他ならぬたくあんが話してくれたから。酔ったり遊び疲れたりで誰一人気付けなかった事に関しては謝る他ない。
だので、出来ればノアからも事情聴取したいのだけれど、この調子である。誰か助けて。
「――――――これはいかんな。仕方ない、やはりわたしが話そう』
と、ノアの表情が少しだけ明るくなり、陽気に話し出した。
『“憑依”しているのかしら?』
そんなノアの様子を見て、クリスが察する。
『そうだね。わたしは「ノア」だが、この子本人とは言い難い。例えるなら、“ノアの意思”かな。そもそも、この子の名前は「アイギス」だしね』
果たして、その予測は当たっていた。というか、女の子の名前は「アイギス」だった。御免なさい。後でオーナーに聞いて分かる事だが、フルネームは「アイギス・ノア・ボルベ」と言うんだとか。両親の名を受け継いだのだろう。
「それで、ノアさんとやらは何者なんだい?」
『君たちの文化圏で言えば、“ノアのイデア”と言った所かな。最初の人間「アダム」と「イヴ」の息子にして、“生態系の調停者”であるノア――――――その意思が、わたしなのさ。神に与えられた役割を果たすべく、代々ノアの血族に宿り、遂行する』
「……何か、他人行儀な言い方だな」
『事実、他人だしね。言うなれば「AI」みたいな物だし、オリジナルの知識と経験を受け継いでいるとしても、わたしは役目を果たす為の演算装置だよ』
「………………」
こうも自分を物扱いされると、つい物申したくなる。
しかし、今はそんな事はどうでも良い。続きを聞こう。
『話を戻すけど、わたしは我が神の領域における生態系を守る役割を持っている』
『えっ、でもノアの神って「YHVH」だから、こちら側とは関係ないのでは?』
ラゴスが至極真っ当な疑問を呈する。ノアとは旧約聖書の登場人物、つまり「ユダヤ教」の人間だ。ギリシャ神話とは無関係である。
『……そうでもないさ。生態系は世界で繋がっている。外から者が今まで在った秩序を乱し、混沌を生む。所謂“外来種”って奴だね。それが今、どんどんこちらに流れて来ている』
「それってつまり……」
『そう。何かが意図的に生態系を乱して、多くの外来種を生んでいる。わたしはその原因を突き止め、排除する為に降臨した』
「………………」
ここに来て、滅茶苦茶に壮大な話になってきた。何がどうしてこうなった。
『だけど、そんな事をボクたちに言われましても……』
《正直、スケールがデカ過ぎて話に付いて行けないですね~》
《というか、わざわざ“敵地”に赴いたからには、ある程度の目星とかは付いてるんですよね?》
『………………』
すると、ノアが静かに目を瞑り、
『さっぱり分からない』
『《《『「駄目じゃん!」』》》』
たくあん以外の全員に総スカンを食らった。当たり前だよね。
だが、先程からたくあんが黙っているのは、一体全体どういう訳なのか。何やら考え込んでいるようだが……?
『“なにか”じゃなくて、“だれか”だよね?』
と、漸く口を開いたかと思えば、意味深な事を言い出した。
「どういう事だ、たくあん?」
『だって、カリュブディスもヒュドラもディオメデスもケリュネイアもミュルミドンもラドンも、もとはもっとみなみのいきものなんでしょ? これだけのまものがいっせいにだいいどうするなんて、てんさいでもあったか、かみわざでもなければ、ぜったいにむりだもん』
「フム……」
確かに、剣と魔法の世界で大型の魔物をこれだけ大移動……否、駆逐するような真似は、それこそ神でもなければ不可能に近い。
では、一体何処の誰が、そんな傍迷惑な行為を?
『さすがにそれはわからないかな~』
「そりゃそっか」
たくあんは偉い子だけど、知っている事しか分からなかった。
『まぁ、調査に関してはこれからだし、わたしはわたしなりのやり方で調べるよ。君たちも充分に気を付けてくれ。それじゃあ、また……」
と、伝える事は伝えたからか、ノアはアイギスに戻った。この話はここまで、という事だろう。
『ぬ~ん……』
何とも言えない空気が、ボルビに漂った。
◆イデア
哲学者「プラトン」の提唱した理論の根本用語。小難しい話なので、ザックリ言ってしまうと“物事の本質(魂的なナニカ)はこの世には無い”のが当たり前で、“「イデア界」という別世界に存在する”という事。分かり易く例えるなら、「幽霊はこの世の者じゃないんだよ」って感じ。“肉体は牢獄”とか言っちゃう辺り、人生に疲れていたのかもしれない。




