おいでおいでおいでおいでおいでおいでおいで
たくあん♪
その湖には、女神が居た。
とても美しい妙齢の女性の姿をした、泉の精霊だ。
しかし、彼女はある日、一人の男児に恋をした。ニュンペーではよくある話であるが、同時にそれらの末路は悲恋になる事が多いのも真実。
女神は悩みに悩む。彼女はそこまで性に奔放では無く、むしろ興味が薄い方だったのだが、己の領域に投げ入れられてしまったその子を放っておく事が出来ず、掬い上げた事をきっかけに交流が増え、何時しかときめいてしまった。ショタコンと言われようが何だろうが、その気持ちに嘘偽りは無い。
『君の名は?』
「ぼくは「ノア」。……箱舟に乗り損ねた男だよ」
その後、女神は人間に身を落とし、少年と添い遂げた。それからの事は、誰も知らない……。
◆◆◆◆◆◆
「たくあ~ん、おいでおいで~♪」
水槽越しに、黒い影が己を呼んでいる。飼い主の「はんにんさん」である。
『………………♪』
気が付いたたくあんは、何時もの寝床からのたのたと出て来て、正面のガラスまで寄ってきた。厚ぼったい唇をむちゅ~っと当てて、ご飯をくれとアピールする。
「ほら、今日の海老だよ~♪」
すると、程無くして大粒の剥き海老がポチャンポチャンと投げ入れられた。これらの海老にはある仕込みがなされており、真ん中に開けられた切り込みに「キャットフィッシュの餌」や「プレコの餌」が詰め込まれているので、味だけでなく栄養価にも優れた食事なのだ。
『……、……、…………♪』
貰った海老を遠慮無く頬張り、もぐもぐゴックンと飲み込んでいくたくあん。
このような美味なる食事をさせてくれるばかりでなく、快適で広々とした水槽に住まわせてくれる「はんにんさん」の事が、たくあんは大好きで仕方なかった。
だからこそ、もっとずっと一緒に居たいと最後の最期まで思っていた。
言葉は通じなくても、心は通じ合っていると、たくあんは信じていた。
「えへへへ、可愛いねぇ~、たくあん可愛いねぇ~♪」
『………………♪』
見つめ合う一人と一匹。両者は同族同士ですら成し得ない、確かな絆が結ばれていた……。
◆◆◆◆◆◆
『ぬ~ん、はんにんしゃ~ん♪ ……ぬ~ん……ぬ~ん……』
寝惚けながら、ふよふよと暗闇を進むたくあん。実にシュールな光景だが、そんな事を言っている場合では無いだろう。何故なら向かう先がヴォルニィネア湖の畔なのだから。
「………………!」
必死に追い掛けるルームサービスの女の子だったが、まるで追い付けない。見た目に反して、たくあんの移動速度は早かった。のたのたと不格好な泳ぎ方なのに(※肺魚は泳ぐのは下手糞だが、実はミサイルのように突進出来たりする)。
「………………!?」
さらに、何故か深い霧が発生し、女の子の視界を奪う。その上、濃霧に紛れて枝葉が意思を持つかの如く妨害してくる。精々手足に絡まってくる程度であり、簡単に引き千切れるのだが、急いでいる時にこれは鬱陶しくて仕方ない。
そして、あっと言う間劇場でたくあんはヴォルニィネア湖の畔へ辿り着いてしまった。
「………………っ!」
しかも、これまで以上に草木が絡み付いて、女の子を完全に拘束する。よく見ると、それらは植物のフリをした棘皮動物(特にイソギンチャクに近い存在)で、ワサワサと蠢き、少女へ毒を打ち込んでいく。
『ぬ~ん……ぬ~ん……』
その隙に、たくあんは湖の中へと突き進む。
『………………』
と、行く先に美しい女性が現れた。水も滴るというか、ずぶ濡れの姿は、妖しさと艶めかしさをこれでもかと醸し出しており、一目見ただけで色々とそそられる。肺魚のたくあんには関係ないだろうけど……。
『おいで~』『おいで~』『おいで~』
さらに、女性の周りで次々と水飛沫が上がり、それらが人の腕の形を成して、たくあんを呼び始める。
『おいで~』『おいで~』『おいで~』『おいでぇ~』『お~い~で~』
数も瞬く間に増えていき、誘いの呪文が闇夜に響く。
『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』『おいで』
『は~んに~んさ~ん……』
『うふふふふふふふふふ♪』
そして、目の前まで来たたくあんに対して、女性が半分に割れた顔から蠍のような棘を出し――――――、
「……ノァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』
だが、棘が突き立てられる寸前に、女の子が信じられないような声量で咆哮し、拘束を力尽くで破壊。女性にドロップキックをかましつつ、たくあんを救出、湖畔に着地する。
『ギィキャアアアアアッ!』
すると、女性の足元から巨大な化け物が姿を現した。その姿は馬鹿デカい蠍で、尻尾の側面に人の腕のような触手、先端に女性だったナニカが生えている。少なくとも、こいつが人間の異性に恋をするとは思えない。
◆『分類及び種族名称:水棲超獣=スキュラ』
◆『弱点:頭部』
◆スキュラ
下半身が異形と化した女の怪物。元は絶世の美女だったが、彼女に恋した海の神「グラウコス」の相談を受けた魔女「キルケー」の呪いにより、今の姿に変えられてしまったとされる。その理由がキルケーの「何でグラウコスたんはあいつにばっかり恋するんだ!」という一方的な嫉妬なのだから酷い話である。その後はカリュブディスと共に海を荒らす怪物となってしまった。可哀想が過ぎる。
正体は水棲の大型鋏角類。尻尾の疑似餌で獲物をおびき寄せ、針の一刺しで仕留めてしまう。捕食対象はもちろん人間。また、海水にも淡水にも適応出来る高い順応性を持ち、生息範囲は意外と広い。




