絶虹蝶
絶好調である!
巨大農業都市「セレス」。
国土全体が広大な田園地帯であり、様々な野菜や果物が実り、家畜たちがほのぼのと暮らしている。空気も美味しく、水も豊富なこの土地は、まさに農園にして一種の楽園でもあるのだ。
しかし、そこで暮らす住民まではどうかと言われると、そんな事は無く、雲にも届きそうな巨大な樹林の家に住まう“天人”と、地表で家畜の世話をする“地人”で明確に上下関係が築かれていて、基本的に地人の方が下に見られている。というのも、地人は何らかの理由で樹林を追われた「元」天人であり、大抵は罪を犯した咎人なので、自然と蔑みの対象となってしまうのである。
まぁ、彼ら地人が頑張って家畜を世話するから樹上生活が成り立つのであって、どちらも必要な存在ではあるのだが。
そんな美しいディストピアを支配しているのが、豊穣の女神「デメテル」だ。
慈しみの深い女神として伝えられているものの、一度怒り出せば地表に大凶作と冬を齎す二面性を持ち、特に“母親”としての気質が強い。その為、娘である「ペルセポネ」が「ハデス」によって冥界に拉致されてしまった時は、地上が暗黒の闇に閉ざされてしまったという。
ようするに、彼女が愛し慈しみを向けるのは自分が生み出した存在だけで、人間の事は姿形が似ているだけの虫けら程度にしか思っていない、という事である。それは人間以外の動物に対しても同様であり、“生態系の維持に必要だから”仕方なく見逃しているに過ぎないのだ。
『………………』
その美しくも恐ろしい地母神が、今クリスたちの目前に居る。ハティの紹介でなければお目通り処か生きて還る事さえ叶わなかったのだから、本当に恐ろしい。彼女は自らの楽園を荒らし兼ねない外来生物が大嫌いなのである。
『取って返すような真似をして申し訳ありません。ですが、どうかお慈悲を。その神の御業で、我が友人を救って欲しいのです』
さらに、贔屓している大口の取引相手であるハティですら、この通り。如何にデメテルが他人を見下しているかがわかる。少しでも気に入らない事をすれば、ハティであっても無事では済まないのであろう。下手すると、気分次第で殺されてしまうのかもしれない。
『………………』
一言も発さず、その美しい双眸でたくあんを見遣るデメテルだったが、
『……フフフフ……ウフフフ、アハハハハハハハハハハハハハッ!』
突如、狂ったように笑い出した。数十メートルもある巨体を除けば、まさしく妙齢の美女然としている為、余計に恐ろしく感じる。
『ぬぅ~……ぬん?』
だが、その狂気とは裏腹に、デメテルは何の見返りも求めず、たくあんたちを蝕むヒュドラの毒素――――――厳密に言えば彼らと共生しているウイルスを浄化した。流石は神様と言いたい所だが、一体どういう風の吹き回しだろう。未知を嫌う彼女が、異世界の転生者を救うなんて。只より安い買い物は無いが、無償で押し付ける善意は普通に怖い。
『ウフフフフフ……』
しかし、デメテルは本当に何一つ要求する事無く、誰かを嘲笑いながら自らの居城の奥へ引っ込んで行った。
『だ、大丈夫なのかな?』
『このままここに居る方が大丈夫じゃないだろうね。さっさと引き上げよう』
『ぬぬぬ~ん?』『プリ~ン……』
薄ら寒い物を感じるが、本人があの調子だから考えても仕方ないし、今のクリスたちに出来るのは、足早にこの場を去る事だけだ。変に間誤付いていては、それこそデメテルの怒りを買ってしまう。
そして、クリスたちは訳も分からぬまま、デメテルの居城を後にするのであった。
◆◆◆◆◆◆
『……うにゃん?』
ふと、ラゴスは目を覚ました。小さく幼い彼の隣に居るのは、ラゴスの母親。他の仲間が厄介者扱いしてくる中で、彼女だけがラゴスを心から愛してくれていた。その温もりは太陽よりも暖かく、幸せな気持ちにさせてくれる。
『眠いんでしょ、ラゴス? もっと寝ていて良いのよ?』
『うん、もうちょっとねるね、おかあさん……』
『ウフフフ、お休みなさい……』
夢心地の中で、ラゴスの意識は蕩け、母の胸の中へ還って行く……。
◆◆◆◆◆◆
《あはははは、やってやったわ~♪》
《流石だねぇ! ボクらには出来ない事を平然とやってのける!》
《そこに痺れる憧れるぅ!》
三人のピグミーが、今日の悪戯を終えて、彼らの秘密基地にて空騒ぎを始める。雌一人と雄二人で構成される彼らは、ピグミーの里きっての悪戯者であり、生まれた時からつるみ続けた悪友でもある。
だが、大人たちは三人を注意はしても、厳罰に処する事はしない。何故なら、彼らは親を魔物に殺された、孤児たちの集まりなのだから。
《さ、次はあの森に行ってみましょう!》
《え~、あの禁止区域に!?》
《でも面白そう~♪》
今日もまた、三人の悪戯は続く……。
◆◆◆◆◆◆
さて、一方の現実はと言うと、
『ウフフフフフ……』
『おかぁさぁ~ん』
《それいけ~》《あそぱそまそぉ~》
イリスの放つ虹色の怪電波によって脳波を狂わされ、幸せの夢に囚われたラゴスやピグミーたちが、自ら死地へ赴こうとしていた。即ち、イリスの摂食器官である触手の射程範囲に、ゆっくりと近付いているのである。
その緩慢で滑稽な姿を、イリスは実に愉しそうに見ていた。
これぞ虹天使の狩り。夢心地を味わわせる代わりにお前たちを味わわせろ、という彼女なりの慈しみなのだ。電磁波(正しくはフェロモンを媒介にした電気信号)という媒体を用いる為、防ぐ方法は無いと言っていい。
しかし、一見無敵に見えるイリスの能力にも、弱点はある。
「――――――だらぁあああああっ!」
『キャォッ!?』
と、メンバーの中で唯一幻術に罹らなかったポダルが、怒りの拳を叩き込む。
「思い出させてくれてありがとう。……私には何も無いって事をなぁっ!」
夢も希望も無い人生を送って来た人間に、良い思い出も何も無いだろう。
足元すら見えない、闇黒世界に独りで立たされる者の気持ちが分かるのか、天使に?
だが、本当に質が悪いのはこれからである。
『うわぁあああっ! お母さぁあああん!』
《止めろぉおおおっ!》
《何で……どうして……!》
「なっ……!?」
夢が悪夢に変わってしまったラゴスたちが、絶望に喘いでのた打ち回る。彼らは今、最愛の者が死ぬ場面を二度見させられているのだ。突如として発生したスーパーセルによって成す術なく命を刈り取らる様は、まさしく悪夢であろう。
むろん、これはイリスが意図した物では無く、狂った脳波を戻す際に発生するアレルギー反応のような物なのだが、食らう側は堪った物ではない。言うなれば、トラウマを無理矢理呼び起こされているのだから。
「……この悪魔がぁ!」
『ギャハハハハハァ!』
ポダルの絶望的な孤軍奮闘が始まる。
腐っていても、元は女神だった天使。その巨体から繰り出される圧倒的なパワーと、電磁波を集束して攻撃に転用した破壊虹光線を前に、ポダルは一方的に弄られた。
「ぐぅっ……!」
『イヒヒヒヒ、ギヒャヒャヒャヒャヒャヒャッ!』
遂には叩き落され、大き過ぎる足に踏み付けられるポダル。最早ピクリとも動けない……。
◆デメテル
大地母神との称される、豊穣の女神。「オリュンポス十二神」の一柱でもある。冥府の王「ハデス」の妻たる「ペルセポネ」の母親でもあり、身内に“だけ”は優しいデメテルは、ハデスが愛娘を誘拐して無理矢理手籠めにした時は、世界を闇黒に閉ざした時もあった。怖い。
余談だが、ペルセポネはゼウスがデメテルに狼藉を働いた末に出来た子だったりする。だので、娘は愛しているが、ゼウスたち三兄弟やその関係者には殺意さえ抱いている節がある。




