見えざる脅威
シュワッチ!
『マケナイノネェエエエエ!』『ンァアアアアアッ!』
迫り来る馬波。私は虜~♪
『こっちくんな~!』
そんな訳は無かった。単に蟲の大群が押し寄せて来る恐怖でしかない。
「クソッ、何だって急にどいつもこいつも擬態を解いて……!」
『考えても仕方ないでしょ、今は逃げるのよ!』
「でも、この散り方はちょっとヤバいぞ!?」
だが、散り散りになったのは流石にマズかろう。集団に囲まれた時は円陣を組まないと、各個撃破されるだけだ。
まぁ、剣と魔法の世界で、現実の戦法が通じるのかは不明であるが……。
(クソッ、皆は……)
ラゴスは一人で、ピグミーも二人だけど、小さいから逃げ易いので問題無い。変幻自在のスプリガンは言わずもがな。そこでハタと気付く。
「おい、たくあんはどうした!?」
『あっ!?』
居ない。たくあんのお肌はスベスベだから、逃げた拍子にすっぽ抜けたのかも。
いや、今はそんな事を気にしている場合ではないだろう。たくあんは何処へ行ってしまったのか――――――と思った、その時。
『【μεγάλη】! ぬぅぅうううううん!』
「『デカーい、説明不要!?』」
ディオメデスの津波を突き破って、滅茶苦茶デカいたくあんが現れた。クリスの内部へ潜入した時とは逆に、巨大化の魔法を使ったものと思われる。
『さんぷんしかもたないけどね~』
「ウル○ラマンかな?」
それにしてもデカい。全長四十メートルぐらいはあるんじゃなかろうか?
『ぬぅぅぅううううううん!』
『ブルヒィッ!?』『ホバァ!』
そして、その巨体で次々とディオメデスを薙ぎ払い、粗挽き肉団子にされそうな仲間たちを掬い上げて行く。
しかし、ディオメデスは数を減らさない。先程までの二百匹は離散したのだが、追加で別のグループが雪崩れ込んで来たのである。大変気色悪い光景だが、そもそもディオメデスたちはどうして急に擬態を解いて、逃げ惑うように現れたのか。
もし逃げているのだとしたら、一体何から?
『ぬぅっ!?』
すると、たくあんの顔が苦痛に歪んだ。ディオメデスの攻撃はほぼ通じていない筈なのだが、一体何があったのか。
『牙!?』
たくあんの尻尾の方に居たラゴスが、地面の下から突き立てられた巨大な牙を見付けた。牙でこの大きさなのだから、本体ともなれば相当な物だろう。下手をすると今のたくあんより大きいかもしれない。
『ぬぅ~……』
遂には倒れ伏し、元の大きさに戻るたくあん。察するに、牙から毒物を注入されたのであろう。たくあんの身体はあくまで魔力により膨張しているだけなので、密度はそこまで高くは無いのだが、それを加味しても、この巨体を一撃で卒倒させるなど、尋常な威力では無い。
こんな悪い事をするのは誰か?
それは、ディオメデスたちを追い立て、棲み処を乗っ取ろうとする新参者――――――“侵略的外来生物”。
――――――ゴゴゴゴゴゴゴゴッ!
「何だ!?」
と、急に地面が揺れ出した。次いで、ナニカが下から高速で湧き上がってくる気配がして、
『ギィグァヴヴヴヴヴッ!』
九つの頭を持つ蛇のような怪物が、大地を引き裂いて現れた。
「「ヒュドラ」だと!?」
「ヒュドラ」とは、「アルゴス地方(百眼魔神「アルゴス」が管理する土地)」に存在する「レルネーの泉」を根城にしていた、九頭の大蛇である。半人半蛇の女神「エキドナ」が生みし鬼子の一体でもあり、首を切り落としても倍々ゲームで復活する驚異的な再生能力と、浴びるだけでも永遠なる苦しみを与えるとも言われる猛毒を持つ。
だが、今目の前に居るヒュドラは、確かに蛇のような九つの頭を持つものの、長い胴体や尾に該当する部分が無く、全ての頭が円錐型の胴体から放射状に生えている為、“蛇の頭によく似た触腕を持つクモヒトデ”に見える。というか、円錐の頂点を起点として花が咲くように展開する口が見えるので、間違いなく棘皮動物の仲間だ。その場合でも、本来とは上下逆さまなので違和感はあるのだが。
「何でこんな所にヒュドラが!?」
『いや、それよりもたくあんちゃんが!』
『ぬぅ~ん……』
見る見る内に弱っていくたくあん。
『【|αποστείρωση《アポスティロシ》】! ……駄目だ、毒が強過ぎる!』
ラゴスが必死に毒消しを掛けるも、最近覚えたばかりの拙い魔法では、伝説の魔獣が放つ猛毒を無力化する事は出来なかった。このままでは半刻とせずに、たくあんは死んでしまうだろう。
『ギィガァヴヴヴヴヴッ!』
しかし、ヒュドラは待ってくれない。現れた傍からディオメデスたちを次々と捕食し全滅させると、今度はたくあんたちへ襲い掛かってきた。直ぐに向かって来なかったのは、じっくりと毒のスパイスを利かせる為かと思われる。
「この野郎ぉ!」
『ギガギァッ!?』
だが、そうは問屋が卸さず、ポダルたちが許さない。たくあんを噛み砕こうと迫る蛇頭を、ポダルが殴り飛ばした。ヒュドラは体液自体が強酸性なので、返り血を浴びないように、発勁の要領で攻撃している。切ると増えてしまう為、その対策の意味もある。
《《動くな蛇野郎!》》
『【πυρκαγιά】』
続いてピグミーたちやラゴスも、各々のやり方でヒュドラの動きを妨害する。たくあんに手を出すなんて絶対に許さないと言った態度である。
『プリリーン!』
さらに、スプリガンがお包みのようにたくあんへ絡み付き、彼女の身体から毒を吸い取っていく。確かにスプリガンは毒や腐食に耐性が高い種族であり、肩代わりをするのは名案なのだが、それでもヒュドラの猛毒を消し切れる物ではなく、精々が半刻を数刻に伸ばす程度であろう。
しかし、これはスプリガンが稼いだチャンスだ。
「……クリス、たくあんを連れて「ケレス」へ行け! ヒュドラの毒を癒すには、神の力を借りなきゃ無理だ!」
走れクリス! たくあんの命は、お前に掛かっている!
『ワタシたちがたくあんを連れて戻るまで、絶対に死ぬんじゃないわよ!』
「そっちこそ、たくあんを届ける前にくたばったら承知しないからなぁ!」
そして、クリスは走り出した。命を燃やし、己を鼓舞し、たくあんを救うまで、一歩たりとも止まらぬと誓って。
『今度はワタシがたくあんを救うんだ!』
◆ヒュドラ
半人半蛇の女神「エキドナ」が生み出した魔物の一匹で、九つの頭を持つ巨大な毒蛇。アルゴス地方の「レルネーの泉」を根城に活動していたが、英雄「ヘラクレス」に斃された。凄まじい再生能力と死後も威力が衰えない猛毒を持ち、殺された後も様々な形で不幸をばら撒いている。
正体はやはり蛇……ではなく棘皮動物。三位一体の群体生物でもあり、全ての命を絶たないと殺す事が出来ない。




