人食い馬
ヒヒ~ン♪
黄金の離島、「クリュセ」。
『さーて、今週のニュースはっと……』
早朝から働いていたハティは、休憩がてらにニュース記事に目を通していた。主に経済欄を気にしている彼女であるが、同じくらい世界の事件や事故にも興味を示している。何故なら、そうした出来事が己の商売にも関わって来るからだ。為替の変化やルートの増減など、知っておくべき事は幾らでもある。
『ん……?』
しかし、今日のニュースは何時もと少しばかり毛色が違っていた。
『ディオメデスの目撃例が多発?』
思わず首を傾げてしまう。ディオメデスは色んな意味で人食い馬だが、わざわざ目立ちたがるような連中ではない。繁殖と捕食が目的なのだから、必要最低限にしておかないと、困るのは自分たちだ。
『何か嫌な予感がするな……』
……不幸を告げる邪精が言って良い台詞では無い。
これが数日前の話。
◆◆◆◆◆◆
所も日付も変わって、湾岸都市「ダトゥム」を抜けた先に広がる平原、「ドラーマ」。北に連なる山脈と流れ込む河川の影響によって土地の半分が湿地帯になっており、豊富な土壌と水源に由来する草原が何処までも続いている。一見すると草地に思えるが、実際は泥沼や底なし沼がそこら中にある為、お世辞にも歩き易いとは言えないだろう。
この大湿地帯を越えた先にあるのが、豊穣の女神「デメテル」が治める農耕都市、「ケレス」である。たくあんたちが目指す次なる土地でもある。
だが、辿り着くにはドラーマ平原の悪路と、そこに潜む魔物を切り抜けなくてはならない。
「――――――で、その魔物ってのが、人食い馬「ディオメデス」って訳だ」
『ふ~ん』
ポダルの言葉に、たくあんが相槌を打つ。彼女らは今、泥濘の上をぬるぬると進んでいる。スライム絨毯と化したスプリガンを乗り物にしているのだ。
『でも、どんなすがたなのか、ぜんぜんそうぞうがつかないんだけど~?』
「まぁ、そりゃそうだわな」
※先ず以て馬は人を食べません。
『ディオメデスは神出鬼没で有名ですからね』
《そうそう、マジで何処から現れるか分からないんですよ》
《さっきまでは居なかったのに、振り向いたらそこに……みたいなパターンは結構多いみたいですよ》
ラゴスとピグミーたちが、そう付け加えた。彼らの言葉を信じるなら、何らかの方法で擬態してるのであろう。さもなくば、馬並みの体躯を隠せる筈が無い。
『まぁ、これだけ面子が揃ってれば大丈夫でしょ~♪』
と、クリスが朗らかに笑う。たくあんに救われてからというもの、表情に無理が生じなくなった。
『そうかな~?』
『そうだよ~♪』
『ぬんぬ~ん♪』
だからなのか、ダトゥムを出てからはたくあんにベッタリである。彼女を後ろから抱きかかえ、ずっとずっとナデナデしている。おかげでクリスの肌までスベスベだ。
「撫で過ぎ、良くない」
『何よ、嫉妬?』
「そんなんじゃないやい」
可愛い会話だった。
『スラリン!』
すると、這いずる混沌―――――ではなく、スプリガンが異常を知らせてきた。近くに何か潜んでいるのだろう。
しかし、やはり姿は見えない。在るのはぬかるんだ大地と背の高い葦原、所々で置物と化している枯れ木や岩……否、違う!
『イヒィイイイイン!』
『危ない!』
『ぬ~ん!?』
突如、ナニカが嘶き、さっきまでたくあんたちの頭があった場所を通過する。クリスの気付きがもう少し遅ければ、二人纏めて首チョンパされていた事であろう。
「すぅぅ……キェアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
『ブルヒィーン!?』
さらに、ポダルが大咆哮を行うと、漸く化けの皮が剥がれた。
『出たなディオメデス!』
『いや、かまどうまじゃん、あれ……』
その正体は、馬よりデカいカマドウマだった。身体を上下反転させ、前脚と中脚が融合した四本の馬脚を生やし、本来なら頭頂部である部分に第二の口を形成している。元来の顎や口髭、相変わらず長い触角も相俟って、遠目からだと、外骨格で武装した麒麟にも見えた。節足の可動域が異常に広いようで、普段はそれこそカマドウマらしくへばり付いて擬態しているのかもしれない。
これぞ人肉を食み、草木を害する魔馬、ディオメデスである。
余談だが、全ての個体が雌だからなのか、尻尾代わりに産卵管が伸びていた。あれをどう使って繁殖するのか……は想像しない方が身の為であろう。絶対にグロいし。
『ヒヒィイイイイン!』
『やだ、来ないでよ、気持ち悪い!』
「的確ながらも残酷なお言葉」
いや、そもそも見た目からしてグロかった。虫が嫌いな人はトラウマになるかも。それにしても、よくもこんな足場の悪い所でパカパカと走れる物だ。
《前から気になってたけど、どうやって走ってるんでしょうね、この泥沼の上で》
《ケルピーだってそんな事出来ないのに……》
『たぶん、あしがおたまみたいなかたちをしてるんじゃないかな~?』
ピグミーたちの疑問に、たくあんが答える。
事実、ディオメデスの蹄は、五本の爪が折り畳まれた事により器型になっていた。あれで空気を溜め込みつつ、細かい毛と油で水を弾き、水面に浮かんでいるのである。常に田下駄を履いているような物だ。人間の脚力では沈まない程度であろうが、そこは魔物の馬脚、何の問題も無い。
『ヒッヒィイイイィィィィン!』
『うわっ、滑って来ましたよ!?』
というか、バッタの一種であるカマドウマが祖先なので、ホッケーパックの如くカーンカーンとスライディングまでしてくる始末。何処までも気色悪い奴である。
『スライム!』
『ヒィアン!?』
『ぬんぬ~ん♪』
『ギェエエッ!』
だが、魔物と言えど所詮は馬一頭。スプリガンに足を絡め取られ、身動き出来なくなった所にたくあんの魔法攻撃を食らっては、どうしようもなかった。南無参。
「何だ、口程にも無いな。もっと歯応えがあると思ったんだけど」
『ポダルちゃん、そういうフラグは――――――』
しかし、ポダルが三下な台詞を吐いたせいなのか、事態はややこしい事になった。
『ブルヒィ!』『ヒンヒン!』『ヒャァホハハハン!』『フブルゥ!』『ハホンハホン!』『カマドウマー!』
『いっぱいきた!?』
何と、そこら中からディオメデスがピョンピョンと溢れ出てきたのだ。その数、約二百頭。繁殖し過ぎである。これはもう、
「に、逃げるんだよ~!」
『う~わ~!』
たくあんたちは蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。
◆ディオメデス
本来はトラキアの暴王「ディオメデス」が飼っていたとされる牝馬たちの事で、かの英雄「ヘラクレス」によって主人共々ぶっ殺された。ちなみにトロイア戦争で活躍した同姓同名の英雄が居るが、全くの無関係である。
その正体はカマドウマの仲間が進化した魔獣。身体の上下を反転させる事で、擬態形態と捕食形態を入れ替える。餌は人を含む小型の動物。産卵場所は血を吸い尽くしてミイラ化させた死体の中で、皮と骨をシェルターにして卵を守っている。




