8.
屋上駐車場へ出たところで、レクサスに向かって走る。
二時間かけて買った衣類とギターケースという大荷物を抱えて必死に逃げる。
「何でいきなり動いたっ?」
「だって、知らない人が勝手にあたしのギター持っていたら嫌じゃん!」
「いや、たしかに、まあ、そうだが」
待て。
「これ、本当に麻耶のギターか?」
「ここに貼ってあるステッカー」
そう言って、指さしたのは真っ赤な「Negative Sugar」と書かれたステッカー。
「このステッカー持っているのは、うちのメンバーだけ」
走りながらギターケースをスキャン。
悪意とか神秘らしきものは何も感じない。
ならばなぜ。
いや、待て。
聞いたことがある。
イタリアあたりに「人探しの達人」のエージェントがいると。
何か、探したい相手の大切なもの、想いのこもったものがあれば、その相手を見つけることができると。
さっきの女、迂闊に銃を取り出すあたり、とても戦闘要員とは思えない。
と、すると。
「見つかったのは、これが原因か」
「え、何?」
だが、これを取り戻せたということは、ヤツらも俺たちを探せないことになる。
「いや、いい判断だったよ。麻耶」
「え? 何、急に」
「何でもないよ」
その時。
踏み込んだ右足に嫌な反応。
一瞬、空気の濃密感が変わり、また元に戻る。
結界。
それほど、強いものではない。
この駐車場に入るのが「何となく」嫌になり、もう少し買い物をしていこう、そんな気になる程度のものだろう。
それも、そんなに長くもつものでもない。
10分か15分か。
だが。
それまでは無茶ができるということだ。
全体をスキャン。
悪意の有無関係なく、人を探す。
二人。
一人はすぐ近く。
しかも、動きが早い。
圧倒的に。
逃げきれないか。
「そこで止まれ」
日本語の命令。
先ほど下で見たカソックの男が真正面にいた。
右手には拳銃。
ステンレスシルバーに光る長い銃身。
いや、ちょっと待て。
この銃、実戦で使うやつがいるのか?
44オートマグ。それも見る限り、8.5インチリブ付き銃身。
「CLINT-1」のレプリカだろう。
この銃は、1970年オートマグ・コーポレーションから発売された、オートマチックとして世界初のマグナム弾を使用した拳銃だ。
高い注目を浴びたが、現実には、さまざまな欠点を抱えていて、商業的には大失敗。オートマグ・コーポレーションは一年で倒産。その後も権利を引き継いだいくつかの会社で生産を試みたものの、商業的に成功することはなかった。
とは言え、そのスタイルはガンマニアの人気を博した。
その最頂点は、1983年製作のアメリカ映画「ダーティハリー4」で使われたことだろう。当時、オートマグの権利を持っていたAMT社が、ダーティハリーシリーズの主役であるクリント・イーストウッドに寄贈した特別モデルが「CLINT-1」だ。それを寄贈したことで、その二年後の映画で華々しく登場することになったのだ。
もっとも、その宣伝行為もむなしく、生産終了を迎えることになるのだが。
「なあ、あんた」
「何だ」
「ひょっとして、クリント・イーストウッドのファンか?」
「ハリー・キャラハンのファンと言ってほしいな」
「じゃあ、素直にM29使ったらどうだ。そんな欠陥銃を使わずに」
「ふむ、君はガンマニアとしては失格だね。オートマグ社は、2015年に復活してな。最新の技術で設計を見直され、はるかにクオリティの高い名銃として生まれ変わったのだよ」
そうなのか。
「それは知らなかった。失礼した」
「わかってもらえればいいのだよ。あ、ちなみにM29も持っているよ」
左手を背後に回すと、今度はリボルバーの拳銃が現れた。S&WM29。6.5インチのブラックモデルだ。
「ふむ、まさにハリー・キャラハンだね。いい趣味をしている」
「ありがとう。いい趣味をしている、と言ってもらったのは、君で三人目だ。なかなか理解してくれる者がいなくてね」
「まあな。すでに古典だしな」
「さて、君との映画談義は楽しそうだが、ここまでにしておこうか」
「もうちょっとしててもいいんだぜ」
そう言って、麻耶を背後に隠す。
とは言っても44マグナム弾は俺の身体を貫いて、麻耶を殺すことが可能だ。
案の定、男の目が笑っていた。
「では、彼女を引き渡してもらえるかな、ミスターリョウマ」